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雑記帳 調べて纏めたことを忘れないようにしておくnoteです。時々書き直したり書き足し…

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雑記帳 調べて纏めたことを忘れないようにしておくnoteです。時々書き直したり書き足したりします。

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固定された記事

【外苑将来の希望】

【外苑将来ノ希望】 現代語訳 今から100年前のことです。 明治神宮外苑は、政府ではなく「国民」による「国民的事業」として造営され、明治神宮に奉献されました。 その…

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1年前
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明治神宮外苑内のヒトツバタゴ 調査報告(大正十二年七月)

『天然紀念物調査報告 植物之部(第五輯)内務省』より 史蹟名勝天然紀念物調査会委員 理学博土 白井光太郎 明治神宮外苑内のヒトツバタゴ 所在 明治神宮外苑北部女子…

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1か月前
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青山れんぺいば

れんぺいば と 六道の辻 練兵場は、「れんぺいじょう」と当たり前に読み下していますが、「れんぺいば」とも読むこと、明治大正の頃の人々が「あおやま・れんぺいば」と呼…

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8か月前
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外苑ノ曠遠開豁

青山方面の景観 【明治神宮外苑ノ記】碑に、外苑の特徴として謳われる「曠遠・開豁(こうえん・かいかつ)」 というもの。 遥か遠くまで展望が広く開けて眺めが良いさまの…

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8か月前
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いちょう並木100周年

明治神宮外苑の銀杏並木は、今年100周年を迎える。 ネットで検索しても、記念日を特定したものを見つけられなかったので「明治神宮外苑志」を繙いてみた。 大正12年6月23…

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1年前
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何故 「私有地」 なのか

明治神宮は、「外苑」 を2回獲得している。 「国有境内地処分法」と附帯決議について 調べると興味深い事情が、浮かび上がって来る。 1回目の獲得は、大正15年10…

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1年前
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「外苑を語る者の、忘れてはならぬものである。」

【明治神宮五十年誌】 昭和54年発行の「明治神宮五十年誌」で、明治神宮はこう述べています。  明治神宮が、「外苑将来の希望」を重要視していることが良く分かります…

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1年前
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【明治神宮外苑の記】

外苑の4列の銀杏並木が青山通りに接するところ、明治神宮外苑青山口の隅にひっそり高さ4メートルの石碑が建っています。 大正15年(1925)10月、計画から14年(大正12年9月…

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1年前
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【海老名市長タウンミーティング】

令和5年2月25日 於 国分コミュニティセンター「国史跡 相模国分寺跡」隣接地に、明和地所が14階43mのマンションを建設する計画が進行中です。 2月25日、史跡最寄りの国分…

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1年前
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【外苑将来の希望】

【外苑将来の希望】

【外苑将来ノ希望】 現代語訳

今から100年前のことです。
明治神宮外苑は、政府ではなく「国民」による「国民的事業」として造営され、明治神宮に奉献されました。
その際、将来に渡り遵守して欲しい「8つの希望」を申し添えていました。

今、明治神宮に託されたその希望が踏み躙られようとしています。

素人の拙い現代語訳ですが、1人でも多くの人に内容を知って頂ければと願っております。
ちょうど、本日3月

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明治神宮外苑内のヒトツバタゴ 調査報告(大正十二年七月)

明治神宮外苑内のヒトツバタゴ 調査報告(大正十二年七月)

『天然紀念物調査報告 植物之部(第五輯)内務省』より

史蹟名勝天然紀念物調査会委員
理学博土 白井光太郎

明治神宮外苑内のヒトツバタゴ

所在
明治神宮外苑北部女子学習院東北角より、東北約百八十四間(約334.5m)の処にあり。
横高三十四尺(約10.3m)。
枝下八尺(2.4m)、地上五尺(1.5m)。
周囲六尺〇四分、直径一尺九寸分、枝張東西三十六尺六寸、南北三十七尺二寸

来歴
此木は維

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青山れんぺいば

れんぺいば と 六道の辻

練兵場は、「れんぺいじょう」と当たり前に読み下していますが、「れんぺいば」とも読むこと、明治大正の頃の人々が「あおやま・れんぺいば」と呼んでいたことを知りました。
工場を、「こうば」とも言いますね。
どのくらいの人が、いつ頃迄そう言っていたんでしょうね。

(注)六道の辻・・・後に練兵場になる場所に、江戸時代からあった六つの道が交差する辻。全国各地に六道の辻がある。仏教

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外苑ノ曠遠開豁

外苑ノ曠遠開豁

青山方面の景観

【明治神宮外苑ノ記】碑に、外苑の特徴として謳われる「曠遠・開豁(こうえん・かいかつ)」
というもの。
遥か遠くまで展望が広く開けて眺めが良いさまのこと。

かつては、見晴らしの良い広大な原っぱだった青山練兵場。明治天皇の大喪儀がここで催され、その時の式場配置の基本ラインを元に、明治神宮外苑が造営された。
広大な敷地を活かして、土地の造成や植樹が行われ西洋式の庭園として完成した。

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いちょう並木100周年

いちょう並木100周年

明治神宮外苑の銀杏並木は、今年100周年を迎える。

ネットで検索しても、記念日を特定したものを見つけられなかったので「明治神宮外苑志」を繙いてみた。
大正12年6月23日〜7月2日が、銀杏並木の「植栽工事」の期間とあるので、敢えて記念日とするなら7月2日ということになるのだろうか。
146本を順番に植えていった工事の完了した日。
(注 外苑志には、青山口の並木とあるが、「銀杏」とは記されていない

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何故  「私有地」  なのか

何故 「私有地」 なのか

明治神宮は、「外苑」 を2回獲得している。

「国有境内地処分法」と附帯決議について

調べると興味深い事情が、浮かび上がって来る。

1回目の獲得は、大正15年10月22日。
明治神宮奉賛会により外苑が造営され、この日に明治神宮に奉献された。大正9年に先に完成していた内苑と外苑が揃い、明治神宮の神域が確立した。
    内苑+外苑=明治神宮
「内外両苑相須チテ神域ノ規模是レ備ハリ」
(相須チテ 

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「外苑を語る者の、忘れてはならぬものである。」

【明治神宮五十年誌】

昭和54年発行の「明治神宮五十年誌」で、明治神宮はこう述べています。 

明治神宮が、「外苑将来の希望」を重要視していることが良く分かります。

【明治神宮外苑の記】

【明治神宮外苑の記】

外苑の4列の銀杏並木が青山通りに接するところ、明治神宮外苑青山口の隅にひっそり高さ4メートルの石碑が建っています。
大正15年(1925)10月、計画から14年(大正12年9月の関東大震災により一時中断)に及ぶ外苑の造営が完了しました。明治神宮奉賛会(正会員10万7千人・賛助員700万人)のもと、国内外からの献金、献木、全国の青年団による勤労奉仕による明治神宮外苑造営の大事業を記念する石碑です。外

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【海老名市長タウンミーティング】

【海老名市長タウンミーティング】

令和5年2月25日 於 国分コミュニティセンター「国史跡 相模国分寺跡」隣接地に、明和地所が14階43mのマンションを建設する計画が進行中です。
2月25日、史跡最寄りの国分コミセンに於いて「市長タウンミーティング」が開催されました。
史跡の景観が甚だしく損なわれること等について、地元市民4名から内野市長に対し質問がなされ、それに対して行われた内野市長の一括答弁を下に書き起こしました。
この問題に

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