いちょう並木100周年
明治神宮外苑の銀杏並木は、今年100周年を迎える。
ネットで検索しても、記念日を特定したものを見つけられなかったので「明治神宮外苑志」を繙いてみた。
大正12年6月23日〜7月2日が、銀杏並木の「植栽工事」の期間とあるので、敢えて記念日とするなら7月2日ということになるのだろうか。
146本を順番に植えていった工事の完了した日。
(注 外苑志には、青山口の並木とあるが、「銀杏」とは記されていない。銀杏の並木のことだと理解することにする。)
令和5年(2023)は、大正12年(1923)から数えて100年。
大正12年9月1日の関東大震災により、完成目前だった神宮外苑は、被災者の受入れを行うなどし、中央広場には避難民の為のバラックも設置された。NHK大河ドラマ「いだてん」でも、競技場に溢れかえる避難民が描かれていたのをご記憶でしょう。
青年団により神宮内苑から移植されたばかりの芝も、踏み荒らされ、後日やり直しとなるなどした他、造営工事自体が一時中断を余儀なくされた。
外苑の完成・神宮への奉献は、3年後の大正15年10月であったので、外苑の100周年は、令和8年(2026)10月22日ということで、3年半後に迫っている。
脱線するが、大正15年12月に大正天皇が崩御されるので、昭和元年が1週間だけあり、すぐに昭和2年を迎える。昭和100年は、令和7年(2025)ということになる。
外苑の完成とは別に、いちょう並木の100周年、その記念日は何日なのか?
まず、新宿御苑の親木に由来する実生が豊島御料地で生育され、1,600本の苗木から選抜された146本が外苑青山口に植えられた。その植えられた日が記念日ということになるだろう。
『明治神宮外苑志』に「その日」を探してみる。
「外苑工事奉仕青年団調」という、全国各地から上京した青年団の活動記録の中に、庭園係の活動として以下の記載があった。
並木植樹帯についての記載はここまでなので、植栽工事は7月2日に完了したことになるのだろう。
植栽工事は、福井県丹生郡と宮城県遠田郡の青年団による奉仕活動と記載されている。
当該青年団には、何か当時の記録が伝わっていないのだろうか。
なお、この時期の造営工事は、全て青年団によるものだと思っているが、上記の表の他に工事が存在するとなると工事完了が7月2日とは限らなくなる。
★令和5年5月4日 追記★
明治神宮歴史データベースの記載を確認したら、
年表に次の記載があった。『外苑志』の記述と相違する。青山口並木植樹帯工事が、銀杏並木の工事を指していないということなのだろうか?
3月はまだ青年団は植栽工事を始めていないのだが。
★令和5年10月20日 追記★
明治神宮外苑七十年誌に、次の記載があるのに気が付いた。
前記の歴史データベースはこの七十年誌に基づくものなのか。それとも銀杏並木についてのはっきりした記録が神宮には遺されているということなのか。恐らくあるのだろう。
植栽の時期の記述だけでなく、次の様な説明もある。後で紹介している苑内設置のチラシ記載の説明と同様に、注目すべきポイントは、146本が同時の植栽であること。全て兄弟木(雄木と雌木があるので、私は兄弟姉妹木と呼びます。)であること。
このことから、絵画館正面の直路4条128本と女子学習院正門前の2条18本とを合わせて、146本の銀杏並木であることをはっきり認識するべきである。絵画館正面の128本だけが、外苑の銀杏並木なのではないのである。
★取り敢えず、書きかけながら公開してしまうことにする。
この記事は、随時書き換えていくつもりです。
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