流れで主夫@フォロバ100%(糖尿2型)

NOTE始めたての流れで主夫(糖尿2型)です。 子育て中&最近まで父の在宅介護(丸6年…

流れで主夫@フォロバ100%(糖尿2型)

NOTE始めたての流れで主夫(糖尿2型)です。 子育て中&最近まで父の在宅介護(丸6年)をしてました。 経験した事や学んだ事を発信していきます。 経歴/仏・伊料理・製パン・製菓・商品開発→主夫 趣味/料理・子育て・株投資・家庭菜園・価格比較 夢/子供食堂

最近の記事

『うちの子がコロナ陽性になりました。』〜症状の変化を時系列でお伝えします。ご参考になさってください〜

遊びに出掛ける事もなく、休日はもっぱら家で過ごし、日常では密を避け、しっかりとマスクやアルコール消毒、手洗いうがいをしていて、かなり警戒していたのに、PCR検査の結果、子供がコロナに感染しました。 子供は小学校の低学年で、オンライン授業をしていましたが、月年末のテストがある為、2月21日(月)から学校に通学を再開しました。 以後、時系列でお伝えします。 2月21日(月)…朝の体温 36.4 ・小学校のオンラインから登校に切り変える。 2月22日(火)…朝の体温 36.4

    • 愛娘からのバレンタイン… 泣けるほど嬉しい…(T ^ T) いつも、こういう時に、あの曲を思い出す… 『あなたが産まれて、お父さんになれた。 あなたが産まれて、お母さんになれた。 ありがとう、ありがとう、産まれてきてくれて、ありがとう』 ありがとう!我が娘よ!

      • シャトレーゼ寄ってきたら、魅惑的なイチゴの世界に支配されてて、完全に心を奪われた🍓🍓🍓

        • 親の介護が始まった日・第七話「デイケア施設の意外な格差」

          色々な契約や手続きから始まり、認定されるまで時間がかかりましたが、なんとか父の介護認定がもらえて、生活の方向性がかたまってきました。 月に一度の病院への通院は、私が車を運転して父を運び、短い距離の移動はレンタルした車椅子を使いました。 又、平日の火曜日と金曜日に日帰りのデイサービスを利用して、朝の8時40分頃に施設の方が専用の送迎車で迎えに来てくれる事になりました。 施設の運転手さんは女性の気さくな方で、明るい挨拶と、ゆっくりとしか移動出来ない父に「大丈夫ですよ〜」っと言

        『うちの子がコロナ陽性になりました。』〜症状の変化を時系列でお伝えします。ご参考になさってください〜

        マガジン

        • 親の介護・6年の記録〜介護の始まりから葬儀・相続まで
          7本

        記事

          オミクロンさんが襲ってくる前に、焼肉キング様へGO!(間違って消したので再アップ・2021・12/18の記事・またしばらく行けないね…)

          今日はみんな大好き、焼肉キングさんに家族で行ってきました!٩( ᐛ )وイエー コロナが市中に流行りだしてから約2年外食に行かなかったので、オミさんが来る前に、今がチャンスと、焼肉キング様のランチタイム、食べ放題の制限時間90分を目一杯使って家族で食いまくってきました(笑) 焼肉キング様、大満足です! ありがとうございましたm(_ _)m コロナ禍中は家で焼肉してましたが、買ってきたスーパーのお肉もいいんだけど。 美味しいは美味しいんだけどっ・・・。 やっぱり焼肉店で好

          オミクロンさんが襲ってくる前に、焼肉キング様へGO!(間違って消したので再アップ・2021・12/18の記事・またしばらく行けないね…)

          親の介護が始まった日・第六話「介護申請とケアプラン」

          父は、病院やお医者さんが大嫌いでした。 風邪をひいても病院には行かず、いつも市販の薬でなんとかしていました。 そんな父なので、介護施設等に入所するなんて話を聞く訳がありません。 …でも、まぁ、皆んなそうですよね。 正直なところ、病院や介護施設に入りたいと思う人なんていませんよね。 やっぱり自分の家がいい。 それは皆んな同じだと思います。 世話になってきた父親が老齢になり、少し身体が不自由になっただけで、施設には行きたくないと言う父に、仕事があるからとか、介護が重荷だからと

          親の介護が始まった日・第六話「介護申請とケアプラン」

          今年は喪中故、「初詣見学」(屋台の射的・おみくじ)

          今年の年明けは、父が去年亡くなり、我が家は喪中…。 参拝は出来ません。 でも、でもでもでも、参拝はしなくとも、子供が屋台を見に行きたいと激しく申すので(見るだけじゃ済むわけもなく、目的は射的一択。ミエミエです…)、仕方なしに、寒風吹き荒む中、大宮の氷川様に行って参りますた…💦 今年の年始の氷川様の屋台は、流行り病の感染対策で、混み合う三ヶ日を外した、1月4日(火)から屋台がスタートしたらしいです。 また、大宮公園の方の屋台出店は無く、参道の方の屋台のみ。 その参道の屋台も

          今年は喪中故、「初詣見学」(屋台の射的・おみくじ)

          親の介護が始まった日・第五話「介護が始まり、最初に直面する事…」

          父が退院後、介助・介護にあたる家族の負担は想定以上のものでした。 父は、ゆっくりですが自力で床から立ち上がり歩く事は出来たのですが、トイレに到着前で間に合わず、途中で漏らしてしまう事が時々ありました。 処理にあたるのは母か私。 そして、漏らした側の父の気持ち。 特にプライドが強いのが男性。 父はその度にプライドが削られていきました。 情けなさもあるのか、複雑な表情をしてその場に佇むしかない…。 普段、謝る事なんてめったになかった厳格な父が、小さな声で「……ごめんな」と言いま

          親の介護が始まった日・第五話「介護が始まり、最初に直面する事…」

          親の介護が始まった日・第四話「リハビリと今後…」

          父の転倒した時の傷が癒えるのもそこそこに、リハビリがすぐに始まった。 いきなり立ったり歩いたりではなく、マッサージや軽いストレッチと軽い負荷運動からのスタート。 高齢になると筋力の衰えが早いので、1日も早くリハビリを始める必要があると、担当になった医師と理学療法士さんから聞いた。 私はというと、上司や職場に事情を説明し、急に休んだお礼をして、職場に復帰した。 母は病院から、入院時に用意して欲しい物を買い揃え、心配なのかタクシーで病院に毎日通った。 母の気持ちが通じてか、父

          親の介護が始まった日・第四話「リハビリと今後…」

          親の介護が始まった日・第三話「驚きと不安」

          父が倒れた翌日、私と母は、父が入院している病院に行きました。 行きの車中、父は今どんな状態になのか、もし何か起こってしまっていたら、これからどうしよう… そんな事が頭をよぎり、車内は無言。 「なる様にしかならないよね…」、その言葉を交わしたのだけは覚えています。 受付で父の居る病棟と病室の番号を教えてもらい、エレベーターに。 言われた階で扉が開くと、目の前にナースステーションがありました。 看護師さんに面会を告げ、病室に向かう。 緊張でこわばった顔の母。 "何が起こってて

          親の介護が始まった日・第三話「驚きと不安」

          親の介護が始まった日・第二話「診断の結果は・・・」

          息を切らし家に着き、玄関を開けると、母が病院に行く準備をしていた。子供は心配そうに居間の戸びらからこっちを見ている。 「おかえり、母さん、行ってくるね。タクシー呼ぶから、子供よろしくね。」 「うん、ありがとう。ママ(嫁さん)が帰ってきたら交代して、俺も車ですぐ病院行くよ。」 「分かった。」 母は車の運転免許を持っていないので、タクシー会社に電話した。普段より早口になり、明らかに動揺しているのが分かった。電話口でタクシー会社のオペレーターに伝える家の場所の目安に手こずっていた

          親の介護が始まった日・第二話「診断の結果は・・・」

          親の介護が始まった日・第一話「父が倒れた・・・」

          ちょうど、6年前・・、12月の冷たい風が吹く、冬の日。 その日の仕事の終わりが見え始めた18時頃。 落ち度のないようにチェックをしていたその時に、一本の電話が職場に掛かってきました。 いつものように事務員さんが電話を受け、すぐさま私の名前が呼ばれました。 「○○さん(私の名前)、お家からお電話ですよ」(事務員さん) 「えっ?…あっ、はい。」(私) 今まで家から職場に電話が掛かってくることなんか一度もありませんでした。「なんだよ、もう、恥ずかしいなぁ…。もうすぐ帰るのに

          親の介護が始まった日・第一話「父が倒れた・・・」

          「主夫」になった経緯・・・

          まさか自分が「主夫」になるとは思ってもいませんでした。しかしながら、私なりの考えで「主夫」になったのです。その経緯を今回はお話ししますね。 私が「主夫」となった大きな要因は、同居している私の実の父(83)が脳梗塞とパーキンソン病を発症した事でした。 父は、冬の寒い時期、自治会の寄り合いの帰りに倒れ、救急車で病院に搬送。処置が早かった為、一命は取り留めましたが、左半身の麻痺が残り、更にCT検査の診断でパーキンソン病が発覚。後に、市の認定員の方から要介護3を言い渡されました。

          「主夫」になった経緯・・・