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チ。血、知、智、地。

チ。を読みきった。

学ぶことについて、疑うことについてここまで真摯に、そして縋り続ける話だとはつゆ知らずに1巻から読み始めた。

異端であることは即ち罪であり、穢れであり、赦されるべき存在である。

天動説が教義として浸透されているかつての落ち続ける世界において、地球が周り動いているとは証明すら許されない世界。

そんな世界で、疑いを持つ人たちが現れる。

唯一無二であるはずはなく、疑うことに好奇心が組み合わさることによって、その疑いと知りたいという欲求は世界を駆け巡る。

1人は純粋な興味を追求するため、1人は明らかな疑いに反証を示すため、1人は自分が抱いてしまった興味を否定をするため、1人は自分が見つけた疑問を自分自身によるものだと叫ぶため、1人は教義が歪んだ宗教観を否定するため。

疑いを持った人たちは共通してこんなことを考えた。

地球を中心に星は廻っているのではない。地球が廻っているのだ。という定説を覆す学説。

世界はそれを糾弾し、罪とみなし、ありとあらゆる責め苦によって「改心」を促す。

自由に思想を持つことが許されないが故の当たり前な暴挙。それが許されていた。

そんな世界で求道者たちは美しい定理を追い求める。自分は途中で息絶えてもいいという崇高な覚悟を秘めながら。

覚悟が決まった人間は一挙手一投足が美しく、合理的なのかもしれない。

学ぶ自由が保障されない環境で必死にもがき真理を求めた人たちの時代から数百年。今は何を書こうと考えようと許される自由の時代。

基礎研究に応用研究。自分がやっている研究は果たして世界を変えるのか。変えられないだろうけれど、誰かを変えるかもしれない。

学ぶことを肯定してくれるのではなく、学び続けるための脅迫をされる生活が始まる気がする。

学べなかった人間による怨念が昇華された学説によって生かされてる今、それに報わないと何が21世紀の住人なのか。

学び続け、研究を続け、研鑽を続け、毎日何か1つでも吸収をする。それが許されているのなら、灰色の青春を憂うことなど許されるはずがない。

青春を謳歌しなければ。全力で学生をしなければならない。

奇しくもまた、同じ漫画の作者による無言の圧を感じてしまう。

死ぬ気で全力疾走り、死と隣り合わせとまではいかなくとも死したのちに誰かに繋がる研究をする。

自分は今それが出来ているのか。血反吐吐く学びをしているのか。

鞄に入れてある教科書はそこまで読めちゃいない。

それでもやるのか、やれるのか、自分よ。

そんなことをふと問うてみた。

死ぬ気でやれ。さもなくば死ね。それくらい言ってやりたいものです。

家庭教師に行ってきました。

これまで満点続きだった学生が挫折をする瞬間に立ち会った。未知の恐怖に触れ、それを克服する。

気持ちが良くなる瞬間に立ち会えた気がした。

とりあえずこれからも努力を肯定できるように頑張ります。

というわけで今日はこの辺で。ではまた。

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