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「バイト飽きた」は仕方ない?

日常に成り果てた緊急事態宣言の終わりに伴って新しい日常へとなって15時間ほど経った。

最初は本当に急ぎの連絡でメールの件名に入れていた「至急」の文字がいつの間にか毎回のメールに使われるようになり、次第に「緊急」だとか「急を要する」とか「可及的速やかに」とかの代替語になり、いつのまにかそれすらも当たり前に使われ、本当の緊急が緊急たるそれに変わり、原点回帰の「緊急」と化したそれに似ている宣言のおかげで、職場は休業となりここ数ヶ月実質無職の状態だった。

ありがとう休業補償、君のおかげで後先考えずに本が買えたよ。これからも毎週、いや毎月来い。

休業であっても休業補償が出るよくわからないチグハグな安堵感にやられ、休業になる前に感じていたそれを忘れてしまっていた。

そう、このバイト飽きてきたな。ということに。

バイト飽きたんですよね。

やってることが同じで毎日いろいろなことが起きて楽しいぜ!みたいな環境でもないし、やってることは毎回ほぼ同じなので特にこれといった成長感もなく、ただただ就業時間の中で働いている。

この歳で労働は苦痛なものだと知りたくなかった。忘我している瞬間は1分どころか5分単位で過ぎていくのに、どうしてレジを打ってお客さんを待つ時間はこれほどまでに長く感じてしまうのか。

時間に縛られているのに、どうしてさも自分が時間を支配しているかのように錯覚してしまうのだろうか。

今の業務内容はレジを打つことがメインで、たまに調理補助をすることになっている。

良く言えば無心で打ち込める仕事であり、悪く言うならば単純作業の繰り返しだ。

どうやら自分は単純作業を単発でするならこなせるけど、それが定期的なものになると苦行に感じてしまうタイプらしい。

年末にやっていた箱を作り続けるバイトで思い知った。

あれは数日間だけだったからなんとか体が保っただけで、きっとあれは日常的なものになると間違いなく続かなかっただろう。

スーパーのレジ打ちとかも、きっと自分には性に合わない気がする。決してスーパーのレジ打ちの労働的地位が低いという話ではないです。この前も缶コーヒーしか買わないのに丁寧に接客してもらって申し訳なかったです。

話を戻そう。バイト、飽きた。

学生の本分は勉強。それは知っている。でも、バイトだとかそれっぽいイベントだって本分、いや、半分、4割分くらいではないか。そしてそのバイトに何かしらの楽しみだとか達成感だとかを追い求めるくらいは許されるのではないだろうか。そんなことを考える。

今のバイトを辞めることなく、ちょくちょく新しいバイト先を探してやんわり来年半ばくらいには辞めたいところ。それも円満に。

そんなことを思いながらバイト探しでお馴染みのタウンワークを見ているとまぁ出てくる出てくる。不況だとか言われてるけど人は足りていない今日、文句や条件さえなければ仕事は山ほどある。

これまでのバイト遍歴はレストランと食堂。そろそろ違う業種とかやってみたい。そんなことを考えつつ色々見ていると、塾講師だとか家庭教師だとかアパレルだとか販売だとか、それなりに仕事はある。

塾講師もちょっとやってみたい気持ちはある。でも自分のことだから間違いなく飽きてくるだろうし、それにこれは得意だと言えるほどの教科がない。強いて言えば社会とか歴史とかその辺だろうか。

アパレルも興味がある。でも残念なことにアパレル顔をしていない。自分が日頃恐れている「何かお探しでしょうか」を言える自信もない。

そうなると結局行き着いてしまうのだ。飲食という実家のような安心感を醸し出すあの業界に。

趣味とは言えないけど、外食に行った際に撮るご飯の写真を投稿するインスタのアカウントでふらふらと投稿を見ていると、美味しそうな肉料理のお店が急遽アルバイトを募集していた。

待遇も悪くない。それに帰り道だ。なんなら個人経営で客単価も低くないから客層も良い方に入るだろう。そんな打算的な気持ちでいつものごとく震えながら電話をしてみた。

お忙しかったようで明日またかけ直すことになりました。

というわけで明日まで緊張しながら過ごすことになりそうです。

あとどれだけのバイトを体験することができるのだろう。そんな嬉しいのか不安なのかよく分からない気持ちで今日はさくっと寝ようかと。

ではまた明日、おやすみなさいにはまだ早いけど、おやすみなさい。

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