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「うちの子、家庭学習してくれない!!」と思ったら読む記事(2/2)

前投稿の続き。
(1/2)を読んでいない人は、こちらも見てね。↓

「快」な家庭学習

前投稿(1/2)から、「快・不快」の選択という言葉を何度もだしているが、これこそが、一番最初に解決すべき課題だ。

不快ならやらない。それだけ。

特に低学年ならなおさらである。

「勉強しなさい!」という声かけは、100%無意味というのは、たぶんほとんどの大人が気付いている。なぜなら「不快」だから。

でも、大人の方が何も考えていないので、つい言ってしまう。

では、家庭学習が「快」になる、具体的な方法を考えてみよう。

子どもにとって「快」なこと

すぐに思いつく「快」を上げてみる。

楽しい、嬉しい、気持ちいい、達成感、優越感、自己肯定感、・・・

他にもあると思うし、子どもによっては個性的な「快」を持っている可能性もある。

楽しく学習するというと、ゲーム感覚で学習できるアプリとか、歴史がわかるマンガとか、そういうのを想像する人もいるかもしれないが、必ずしもそんなものが必要じゃない。

課題は普通の問題集などでも十分である。
大事なことは、その子の今にマッチするかどうか。

絶妙な難易度

頭を使わなくても出来るような簡単な問題は、勉強でも何でもなく、ただの作業である。逆に、手も足も出ないような難しい問題とにらめっこしても、なんのメリットもない。

絶妙に、解りそうでわからない問題、覚え切れそうでちょっと覚えきれないということレベルの問題を考えるのは楽しい。ちょっとだけヒントを貰って、解ると嬉しい、気持ちいい。

だから、低学年までは、課題選びは親がした方がいいと思う。

うちでは、1,2年生は、ほぼ親の方で課題を決め、3,4年生から少しずつ、「今日はこれをやろう」と本人が選ぶという機会を増やしている。

5年生になると、なるべく自分で楽しいレベルを探れるように、課題選びも勉強の一つだと思っている。

子どもが自分で選ぶと、すぐに終わりそうで、楽なものを選ぶ。
でも、自分で決めたことをやり遂げるというのも、「快」なので尊重するべきだ。

そして、ボリューム不足だと感じたら、頭の体操的に、1問だけ一緒に難問にチャレンジしてみるのも良い。「一緒に」がポイント。

この「絶妙な難易度の面白さ」にはまってくると、「なんか、面白い問題無い?」なんて求めてくることもある。そういうときは、やや無理っぽいレベル問題を、これもやっぱり一緒にやってみるのは楽しい。

目に見える効果

表を作って、頑張った日にはスタンプを押したり、シールを貼ったりなんていうのは、古典的だけど、けっこう達成感ある。

ただし、それは出来なかったら逆振りの効果になってしまうので、投げっぱなしで、「また続かなかった」なんて思わせてはいけない。

なんとしても、楽しく続けて「1ヶ月全部埋まった!がんばったね!」みたいな、状況に持って行く必要がある。

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問題集は、たくさん種類がありすぎて迷ってしまうが、子どもに合った難易度であること、そして、見た目に好きな事、あとなるべく薄い方が良い。
さっさと全部やりきった方が、達成感がある。

僕は、子どもがやった課題に赤ペンを入れるとき、太めのペン(ぺんてるのサインペン赤)で、波線やコメントなどぎっしり書いてやる。

わざと大げさにたくさん書き込んで、見開き真っ赤にしてやるのだ。そうすると、見た目に「このページは、やり潰してやったぜ!」みたいな気分になれる。これは、100円のペンでできる事なので、是非オススメしたい。

「褒める」前にすべきこと

実は、子どもにとっては一番の「快」は、親の視線を集めることだ。

仕事や家事、大人の事情に夢中になって、自分の方を見てくれないというのが一番つまらない。

「褒めて育てる」みたいな話は多いが、投げっぱなしで、何か出来たら褒めるなんてのは、犬の躾より発想が貧困だ。

子どもが30分でも頑張るためには、ジャストミートする課題選びなど先にすることはあるし、やらせっぱなしではなくて、どれくらいやったのか、しっかり見て評価しなければならい。けっこうな労力である。

親の方が、本当に考えて、「子どもの今」に合わせた良い課題を出していれば、それを頑張って達成したということは、実際に学習効果の大きいことだろうし、気兼ねなく褒めるに値する。

解らなかった問題は、一緒に解決する必要があるし、間違った問題は、どうやって考えたのか聞きながら方向修正する。こうした親子の時間は、親の方は大変だが、子どもにとってはとても「快」だ。

「は?なんでわかんないの?」みたいなことになると、一転して「不快」になるので注意しなきゃ。

「なるほど、そう考えたんだね!」と聞く姿勢を維持したい。

仕事が忙しくて、そんなに見てあげる余裕がないという人も、ちょっと考えて欲しい。子どもが求めているのは、時間の長さではない。

同じ温度で燃えろ!

子どもが構築する人間関係は単純で、同じくらいの「熱量」でしか燃えてくれないということだ。 

自分の子どもが家庭学習に対して冷めていると感じたら、それは、親の方も家庭学習への熱量がその程度と言うこと。

親が冷めているのに、子どもが熱血で勉強しまくるとかありえるだろうか。想像する必要も無い。

「私はこんなに真剣なのに、うちの子ったら!」みたいな、逆パターンはありえる。それは、親の頑張りが空振りしている。

残念ながらぜんぜん伝わっていないのだ。
その気持ちを全て、子どもの「快」に変換するように工夫して欲しい。間違っても親にとっての「快」ではない。

時間が無いなりにでも、仕事が終わってから家庭学習ノートに赤ペンを入れて、コメントしてあげたり、明日チャレンジする課題への方向付けをしてあげる等、毎日やれることはある。

休みの日に、一緒に問題集を選びに本屋さんに行くのも楽しいはずだ。それが別にネットで買ったって良い。テキストの雰囲気や色、イラストデザインなどでそれぞれ好みで選ぶことも「快」を得る条件になる。

テキトーな問題集を買い与えて、「毎日これを1ページやりなさい」と、親が30秒で考えたことは、子どもの方だって30秒で飽きる。一つの問題集ですら、最初から1枚ずつめくることが「子どもの今」にマッチしているとは限らない。

子どもの自習が親を超えるとき

「シンギュラリティー」といえば、最近よく聞くAI用語で、「技術的特異点」と訳されている。AIが人間の知能を超え、AI自身がより高度なAIを作り始めてしまうというSFチックな未来の事だ。

そんなことが、本当に起こるかどうかは、専門家の間でも意見が分かれている。それは、さておき、親子の学習において、これに近いことが起こるのだ。

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思春期前後に、いつのまにか子どもの方が親より賢くなって、自分自身で自分のために学ぶようになる。自分にベストな負荷を掛けるようにコントロール出来るようになり、自分で課題を見つけ、自分で解決する方法を学ぶ。

大学受験などの勉強を思い返せば、高校生は当たり前にそれをやっているわけだが、その感覚で、家庭学習を小学生に押しつけるのは、あまりに雑な教育だ。

まず、やってみること

うちの子は、ぜんぜん家庭学習してくれないと、悩む人も多い。

何から手を付けて良いかわからないというなら、教科書をパラパラめくって、一番難しそうな問題(まだ習っていないところでもいい)を、子どもと一緒に解いてみよう。

「お母さんが習った頃とは、やり方が違うからわからない」と言いたくなったら、頑張るのは子どもではなく、30年間アップデートされてないお母さんの方が更新する必要がある。

なんてことはない、その単元を少し遡って、教科書を読めば大人なら解る。そして、子どもに解説して貰えば良い。

きっとそれは、子どもにとって、とても楽しい時間のはずだ。

ここまで、学校の先生の話は一つもしていない。
先生は、クラス全体の平均的な対応をせざるを得ない。

その子にとっての「絶妙な難易度」そして、「快」というのは、親でないとなかなかわかり得ないからだ。昨日今日だって、同じとは限らない。

もちろん、そこまで個々を気にしてくれる優秀な先生は沢山いると思うが、親の精度に敵う筈がない。

なにより、毎日我が子のベストな加減を探りながら、ずっと見守って貰っている安心感。これが何よりの「快」であることは、忘れてはいけない。

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