長野移住後の長野での転職―私の職場は標高1200メートルの大自然のなか
この記事の表紙画像は、私がスマホで撮影した自宅から徒歩わずか5分ほどで見渡せる八ヶ岳の山々。11月の素晴らしく晴れたある日の眺め。住んでいるところは標高約800メートルくらい。
長野移住を簡単に実現できたのはリモートワークのおかげ
私が東京から長野県(地方)へ移住する際に、特に際立って困難がなかったのは、仕事がリモートで行えることが大きな要因だった。
日本国内での地方移住を考え始め様々な情報収集をするなかで、移住を叶えるのに一番時間や労力を割くことになるだろうと思ったのが、仕事問題。
2019年の末に英語教師としてのファーストキャリアに終止符を打ち、2020年セカンドキャリアとして新たに東京のIT企業で勤め始めた。2020年を迎えてすぐにコロナ感染症が日本を襲った。IT企業に入ってすぐに私はリモートワーク環境に移行した。そして規模感の異なるITベンチャー企業を転々としながらリモートでの働き方を続けていた。
なにも狙ってリモートワークという働き方を実現できたわけではなかったが、リモートワークならどこにでも住めそうだなと思い始める。むしろ、リモートワークをうまく利用しない手はなさそうだと思った。そして、不思議なことに、リモートワークをしていると自分の好きなところに住みたいという欲望が湧いてくる。
そして2023年にリモートワークをしながら長野移住を実現した。
移住にあたって行った大きなタスクは、家探しのみ!都内での普通の引っ越しとなんら変わらない感覚で長野に引っ越してきた。
これが、その地で働き口を探し、面接を受け、内定してからようやく住む家を探すというステップを踏むとなると半年~最大1年くらいはかかりそうな印象だ。私たちは住む家が見つかった時点で引っ越しを決めたので決断してから行動にかけた期間としては1,2か月ほど(新築の家だったので建つのを待ちながらほぼ引っ越し準備をしていただけ)。
それとリモートワークをしながら移住できてよかったと思うのは、逆に、こっちでどうやって転職するの?という感じだったから。
東京みたいにITベンチャー企業が長野にあるとも考えにくいし、自分の職種自体ここではニーズがなさそうだと感じていた(特殊といえば特殊な狭い専門職)。まったく別の業界・職種に就こうとしても、長野の地でどんなバリューを発揮したいのか当時は明確なイメージがなかったというのもある。
長野での転職ができたのもリモートワークのおかげ
長野にめでたく移住することができたのもリモートワークのおかげで、長野で転職できたのもリモートワークのおかげだといえる。
長野に住みながらリモートワークで主に東京における課題解決やDXに取り組むなかで、次第に、自身がその事業に携わる意義や企業への帰属意識を感じられなくなってきてしまった。長野出身で長野から東京の企業にリモートワークで携わっている人なら、もしかしたら、地方から(地方に居ながらにして)東京の企業に勤められて何かしらの影響力を発揮できることを喜ばしく思うかもしれない。
しかし、東京から長野に出てきた私が(外から)みた東京は、東京だけが急激に発展していて東京だけで成り立っているようにみえた。長野に住んでみると、東京では問題や課題だと思えたことが、そうではないこともあるのだと知る。
どのベンチャー企業に転職しても、入社したらSmartHRで個人情報入力や年末調整自分で勝手にやってね、なんかあったらSlackで聞いてね、みたいないわゆる東京ならほぼどこでも通じる“常識”や“共通項”が存在している。
長野にはそれがない。
東京から長野をみたら(都会に住んでいると)、デジタル化や世の中の流れから取り残されていてかわいそうと思うかもしれない。
でも、東京は東京のなかでベンチャー企業が他のベンチャー企業のツールやサービスを導入しあっていてお互いにビジネスが成り立っているように、地方は地方で生活やビジネスが普通に成り立っている。コミュニティや地域の繋がり、インバウンド需要などはむしろ東京よりも強さがあるのではと私自身は感じている。(つい先日も英語圏から日本旅行にきた夫婦のトラブルを英語と日本語通訳して解決した)
ここ数年過ごしてきたなかで久々にSmartHRで年末調整しない年末をむしろ微笑ましく思えてしまうのも事実。(そこまで効率化しなくてもやっていけてる平和感みたいなものに)
今の職場ではアナログをすべてデジタル化していこうとは考えておらず、デジタル化して意味のあることだけをデジタル化していこうと思っている。完全デジタル化に移行してしまうと、私が最もよいと感じている地方ならではのそこに住む・働く人たちの人となりや良さを消し去ってしまうような気がして、そういう部分は引き続き後世に残していきたい。
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長野で東京の課題感を解決するために、これからの自分の人生や時間を割くのは自分にとって正しい選択なのかと数か月悩みに悩んだ。働き方や年収もガラッと変わるということも含めて。
長野に引っ越し後に、アメリカのニュース雑誌『TIME』で取り上げられていたウィリアム・マッカスキルというオックスフォード大学准教授が書いたこの本を読んだときの未来のための思想がずっと頭に残っていた。
見えない未来のために、個人がいまからできることは、学習し、学習することで選択をし、よいことを実行することにつなげること。
便利な生活を実現したり、効率的な業務が可能になる自動化やAI活用、DXに向けた開発をしたりするよりも、もう少し遠くの未来を想像しながら、「よいこと」を実行していきたいふんわりとした何かが生まれてきた。
そこで私は30代にしてすでにサードキャリアは早すぎるだろう!と思いながらも、宿泊・観光業界に入り込んでいくことを決めた。(教育⇒IT⇒宿泊・観光)
ここでも『見えない未来を変える「いま」ーー〈長期主義〉倫理学のフレームワーク』のなかに書かれていた、年を重ねるごとに人の興味関心は移り変わっていくからやりたいことが変わるのも当然のことだという考えを参考にした。
長野に1年間住んで様々なところを訪れてみて、やっぱり長野は山や大自然に囲まれた地であることを実感し、多くの人を魅了するような自然に恵まれていると常々思っていた。この資産を活用して、持続可能な地域社会をつくっていきたいという強い情熱が湧き上がってくる。日本が本来持っている観光という武器で、未来の世代に、日本そして長野を受け継ぎ残していきたい。
そういうわけで、長野での転職もリモートワークのおかげだったというわけ。
給料が10万くらい下がってもなんてことないと思えるワケ
移住前から読んでいた『超ミニマル・ライフ』。人生をよりよく生き、自分にとって最高の人生にするには、ミニマルが鍵になるよという話。
所有物も少なく、人間関係のストレスも削ぎ落し、生活水準も上げずに小さく暮らすことで、自分が本当にやりたいことに全身全霊をかけられる。これは本当にそうだと私も信じている。今回の長野県内での引っ越しや転職においても、普通なら人生の大切な決断のひとつであり、なかなか重い腰が上がらないなんてこともあるかもしれないけれど、私の場合はすんなりとすぐに決断し行動に移すことができる。それは、手放すものが大きくなく、重くないからだ。何にしても軽くて小さいものばかり。だから結果として人生でこれやりたい!と思ったことに、時を待たずして突っ込んでいける。
給料が下がったとしても、小さく暮らしているので特に心配がない。しかも、買い物に行く店も限られているし(買おうと思えばネットで購入できるが)、ここで贅沢な暮らしをしてもあまり意味がない。誰かに見栄を張る必要もないし、どこかに遊びに行くにしても大自然の中なので、基本大金はかからない。軽く小さく暮らしているのに、雄大な自然という大金を出しても手に入らない超天然の遊び場がすぐ目の前にあるのが一番の贅沢。
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最近人生論的な本のジャンルで頷きがとまらずに読んでしまった『THE BLUE ZONES』。世界の長寿が住む地域をブルーゾーンと名付けて、ナショナルジオグラフィック誌とチームを組んだ著者が、なぜその地域に長寿が多いのかを解き明かすために行った取材記録だ。
ただ長生きをすればいいわけではなくて、誰もが皆、長く幸せに健康に生きたいと思っている。その秘訣のうちの一つとして、「生きがいをもつこと」や「人生の目標をもつこと」が挙げられている。しかも、100歳を過ぎた長寿が「農作業をすること」や「適度な運動を定期的に行うこと」を心がけて続けているのだから頭が上がらない。
お金よりも健康がいかに大事であるかを見せつけられている気がした。
そして、生きがいや使命感といった存在意義を感じられることをもっているかどうかも非常に重要なポイントだ。自分自身が自分の存在意義を感じられていないと人間は生きる気力を失う。生きがいや使命感の大きさは関係なくて、どんなに小さいことでもいいから、自分は誰かのためになっているという実感を得られるものがあることで生きる活力と喜びが湧いてくる。
といった具合で、いまの暮らしと人生経験から、ちょっとやそっと給料が下がったくらいではビビらない。
標高1200メートルの職場で働くのはどんな気分?
毎日最高です。それ以上を言い表せる言葉が見つからないくらい幸せを感じている。
自然の中にお邪魔させてくれてありがとうの気持ちがいつも溢れる。そんな気分です。