長女

和太鼓を作り続け、総本家から分家してまた分家して…で何代目かもうワケわかんなくなっちゃ…

長女

和太鼓を作り続け、総本家から分家してまた分家して…で何代目かもうワケわかんなくなっちゃった家の長女です。劇団◯◯に合格した直後原チャリに当て逃げされ怪我→入団前にクビ→病む→イベコン→MC→うつのみや親善大使→ラジオパーソナリティ→花火鑑賞士、MC他色々しつつ、結局太鼓屋。

最近の記事

essay#11 舞台芸術学院

このnoteをご覧になっている方で舞台芸術学院の存在をご存知の方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか… 市村正親氏、役所広司氏、渡辺えり氏、大倉孝二氏、最近だといとうあさこ氏…といった一流の表現者を世にバンバン出している、池袋西口の小さな小さな専門学校です。 でね、私、舞台芸術学院のOGなんです(と胸を張っていいのかわからないくらいはちゃめちゃで先生方にはご迷惑をおかけしまくってた)。 OGと言っても、本科(昼間部)ではなく別科(夜間部)の方の。 つい最近池袋を歩いて

    • 小野﨑太鼓店#5 シベリア抑留

      シベリア抑留 っていうのはなんだか遠い遠い昔話で、 時間も地域も、そして関係性も全部が自分にとってはるか遠い、平たく冷たくいってしまうと無関係な話だと子どもの頃思っていました。 けれど、あるとき祖母がぽつりと 「私のいちばん上の、よしみさんていうお兄やんはね、シベリアに連れて行かれたんだよ」と話してくれたことがありました。 当時小学校に入りたての幼い私には シベリアに連れて行かれた イコール シベリア抑留 という事実に思い至れず、 なんならシベリア抑留という言葉さ

      • essay#10 祭り2日目の邂逅

        先日書き殴ったnoteでは、本当に沢山の方から心配のメッセージを頂戴しました。 ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません。 父の、【老舗の太鼓店なんだから、いつだって、どんなに苦しい時だって、ドーンと構えて平気なフリをしていたい、自分達がもし苦しい想いをしていてもお客様に悟られたくない】 というカッコつけたい気持ちに水を差すことになってしまいましたが(お父さんごめんね)、 いつか【職人】や【伝統工芸士】という職業が、【何かをつくる】という技術を持っていることの素晴らしさが

        • essay#9 梅雨が明け、祭りの夜に想うこと

          この投稿は恐らく社長である父の目に入ればすぐに消すことになると思います。 社長の目に入らずとも、大変みっともない内容なので私がその羞恥心に耐えられずに消すかもしれません。 が、今の小野﨑太鼓店と今後の小野﨑太鼓店があり続けるためにもお客様に知っておいていただきたく、元々一族の中で(長子なのに女だったという理由で)煙たがられている私が発言すれば弊社の他の誰かが傷つかずに済むと思って、今これを打っています。 私が生まれて、物心ついてから、消費税が導入されて、その税率も3から5

        essay#11 舞台芸術学院

          essay#8 梅雨の時季に嗤い笑うこと

          毎年この時季になるとふわっと思い出すことわざがあります。 それは以前仕事でご一緒した海外の方が教えてくださったもので、 「約束は雲、実行は雨」というアラビアの古いことわざ。 アラビアという国はほとんど雨が降らないから、雨は現地の人々にとって恵みであり願いであり待ち望む幸せだそうで、 このことわざは【約束なんてものは果たされて初めて意味を成す…けれど、果たされる約束は実際には稀で、口から出た約束は雲のように実体がなく気づけば流れていってしまう】という、 真っ当な人 優

          essay#8 梅雨の時季に嗤い笑うこと

          essay#7 家族の轍とガラスの動物園

          ヒトでもリスでもペンギンでも、この世に産まれてから最初に過ごす社会は家族です。 家族って、最小単位のコミュニティなんですよね。(そう考えると生まれた瞬間からたった1人で海を目指して生き抜くしかないウミガメの赤ちゃんとかホントすごいなぁ) 私が生まれた家はたぶんちょっと特殊で、家業がどうこうということじゃなく、 祖父母だけでなく父の妹、叔母も同居していました。 していましたっていうか、今も実家には叔母が両親と一緒に住んでいます。 2人の叔母が。 自分ちの家族しか知らな

          essay#7 家族の轍とガラスの動物園

          essay#6 友達が減る?

          生きていれば知り合う人の分母はどんどん増えるのに、友人と呼べる人は年々減っていく…出す年賀状の枚数も、受け取る枚数も、年々減っていく…なんでだろうね。 子どもの頃、こんなことを言っては少し寂しげな母の横顔をそばで眺めて、 ホントなんでなんだろうね…?大人って不思議な生き物だなあ…と思ったものでしたが、 気づけば私自身が当事者としてこの不思議に直面する年代になりました。 そうして、確かに年賀状を出す相手は年々減ってきているし旧友と連絡を取り合うのも悲しいことに誰かの訃報がき

          essay#6 友達が減る?

          essay#5 優しい嘘という名の

          昔はエイプリルフールの数日前から『さあて今年はどんな嘘をついてやろう?』『今年はみんな笑ってくれるかな?』なんてニヤニヤしながら嘘を用意していたのに、いつのまにかエイプリルフールをただの4月の始めの日として通り過ぎるようになってしまいました。 それは私が歳を重ねていろんなことにはしゃぐ体力を失ったせいなのか、それとも日常の中でさりげなく嘘を吐くことが当たり前になってしまったせいなのか、どっちなんだろう。 どっちもかな。 さて、 中学生の頃よく観ていたサウスパークというア

          essay#5 優しい嘘という名の

          essay#4 悪口とブラックジョークの狭間で

          突然ですが、ブラックジョークって言われると何が浮かびますか? 先日初めて知り合った方々が品性と知性のない言葉を延々と繰り返す人達で、 私は自分自身を結構なキャパ広女だと思ってたんですが、その自覚が揺らぐレベルでびっくらこきまして。 …あれ?私の英語の語彙より少ないな? …あれ?この人達何十年も生きててこのワードセンスなの? 周りは誰も諭してあげなかったのか…可哀想に… なんて思ってしまうほどでした。 ていうか私の言葉選びだって一族最凶と名高いし、口喧嘩したら相手が

          essay#4 悪口とブラックジョークの狭間で

          小野﨑太鼓店#4 三島由紀夫作品にうちの太鼓が出てくるという話、その4

          今回の投稿はいつもの如く無駄にクソ長い文章なのですが、どうか最後まで読んでいただきたいのです。 まず急にすみませんね、和太鼓の話をしましょう。(ほんと急ね) ご存知の方はそう多くないでしょう。 ひとつの和太鼓を完成させるまでには小さなもので早くても3〜4年、モノによっては10年以上の時間を要します。 原木(でっかい丸太)の状態で仕入れた国産欅を切り出して、くり抜いて、太鼓胴として大体の形を整え【荒胴(あらどう)】という状態にしたら、そこから最低数年間はじっくりと乾燥させて

          小野﨑太鼓店#4 三島由紀夫作品にうちの太鼓が出てくるという話、その4

          essay#3 本を読むこと

          子どもの頃、家のことや仕事、私以外にも妹たちの子育てで忙しかった両親とあまり話す機会はありませんでした。 その代わり、夕食をとっとと食べ終えてしまえば両親と妹たちが過ごす寝室の本棚に並ぶ本を好きに読み漁ることができたので、部活動もなかった小学生当時、私の唯一と言ってもいい楽しみは両親の蔵書を片っ端から読んでいくことだった気がします。 今でこそご縁あってガッツリ漫画というか漫画家さんに関われていますが、マンガの読み方も割と最近までわからなかったくらいに私は活字しか知らずに育

          essay#3 本を読むこと

          essay#2 天才を殺す凡人は身近なところにいる

          母はものすごく優秀で、娘の私が見ても綺麗だな、かわいいなって思ってしまうほど外も中も素敵な人で、我が家で唯一のA型同士である私とはわざわざ言わないし敢えて括ったりもしないけどなんとなーくA型同盟みたいなのがあって、ものすごく頭がいいのにものすごくとぼけてるところもあって、 『アレをアレしてさぁ』みたいなことを本当に言うし、初めましての顔合わせとか結構大事な会食の席でも急に『うふふふふ…あっ!ごめん思い出し笑いしちゃった』って1人で思考がワープするし、つまりは本当に愛すべき人な

          essay#2 天才を殺す凡人は身近なところにいる

          小野﨑太鼓店#3 三島由紀夫作品にうちの太鼓が出てくるという話その3

          國學院大學の皆様のご協力のもと、【三島由紀夫の豊饒の海第二巻・奔馬に出てくるうちの太鼓は現存している】 という情報を頂戴し、この目で実際に拝もうと國學院大學さまの総務課にやってきた私ではありますが 遠目に見ても私が把握している小野﨑太鼓店の塗装とはだいぶ違っており、途端に不安になる私。 え、あれうちの長胴太鼓なんですよね…? 『確かに傳馬町小野﨑弥八の焼印が入った長胴太鼓が現存しております』って言ってくださってましたもんね…? いや曽祖父の代はもしかしてこの塗装だった

          小野﨑太鼓店#3 三島由紀夫作品にうちの太鼓が出てくるという話その3

          小野﨑太鼓店#2 三島由紀夫作品にうちの太鼓が出てくるという話、その2

          ハーイこんばんは、時折クッソ長文垂れ流し女でございます! 今回は太鼓店のこと、小野﨑家の歴史(というほど大したもんでもないですが)に触れながら、公表するかどうかをものすごくものすごくものすごく悩んだ末に書き綴った内容です。 綺麗なことやってるアピール、家族仲良しごっこをSNSで頑張ってる方々が裏で不倫してるとか、 政治家を批判してる割に仲間と綺麗な表現で誤魔化しつつ実際のところ癒着していたりするのが気持ち悪くて仕方がないように、 やはり不誠実を許せない性格なので… 私にと

          小野﨑太鼓店#2 三島由紀夫作品にうちの太鼓が出てくるという話、その2

          小野﨑太鼓店#1 三島由紀夫作品にうちの太鼓が出てくるという話、その1

          三島由紀夫という偉大な名前はずっと昔から存じ上げてて、でも自分の今のアタマではまだ読んじゃいけない気がする、畏れ多い…という気持ちでいて、高校に入学した頃『そうだ、賢くなったら是非読もう、そうしよう』と決意し、 けど多分その時が私の智力のピークで、そもそも賢い大人にならなかった私はついぞ三島由紀夫作品群を一頁もひらかずにここまで来てしまいました。 今年、私は人生2度目の高3の歳を迎えます。 戦慄。 ところが先日家族から 『うちの太鼓、三島由紀夫の豊饒の海に載ってるから〜

          小野﨑太鼓店#1 三島由紀夫作品にうちの太鼓が出てくるという話、その1

          essay#1 ハイボール

          ハイボールを飲む時、私がいつもこっそりしていることと、瞬間的に引きずり出される記憶があります。 それはトラウマだとか嫌な記憶ではなく、むしろとてもあたたかい記憶で、でも切ない記憶で、 『研修で半蔵門駅近くの会場まで来るから、なんか近場で安いビジネスホテルおさえといてよ、でついでに当日の夜空いてたらお前ももう大人だし一緒に飲もうよ』 という高校の恩師からの電話がきっかけで、たった一度だけお酒をご一緒できた夜の記憶。 研修がだいたいこんくらいの時間に終わるから…というメール

          essay#1 ハイボール