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essay#6 友達が減る?




生きていれば知り合う人の分母はどんどん増えるのに、友人と呼べる人は年々減っていく…出す年賀状の枚数も、受け取る枚数も、年々減っていく…なんでだろうね。


子どもの頃、こんなことを言っては少し寂しげな母の横顔をそばで眺めて、
ホントなんでなんだろうね…?大人って不思議な生き物だなあ…と思ったものでしたが、
気づけば私自身が当事者としてこの不思議に直面する年代になりました。


そうして、確かに年賀状を出す相手は年々減ってきているし旧友と連絡を取り合うのも悲しいことに誰かの訃報がきっかけだったりする事実に愕然としながら、
めちゃくちゃカッコよくて頼れる友人達に想いを馳せて、
自分なりにではありますが、
私の場合ではありますが、
なんとなく出た答えがあります。

それは、減ったんじゃなくて、減ったように見えてるだけなんじゃないのかなぁと。



なぜなら心の中でふとした瞬間あの子どうしてるかな、元気だといいな、会いたいけどきっと忙しいと思うからまたいつか機会があれば会えたら嬉しいなって、そう思える相手もそう思える機会も年々増えているからーーー!!!!!





お互いの生活スタイルや選んだ進路、大学行く行かないとかね、結婚するしないとかね、子どもは、とか、

人生って高校くらいまではほとんどみんなおんなじような一本道を集団でおてて繋いで歩いてるんだけど、そこから一気に細かく枝分かれするじゃないですか。



で、その先も選択の連続で、選択した数だけ枝分かれして、また枝分かれした数だけ選択して。

私は学業に身を入れるタイプじゃなかったのと経済的な理由で大学進学は諦めましたが、高校もしくは大学までおんなじような勉強しておんなじようなモノ食べておんなじようなものを見て笑っておんなじような人生歩んでたとしても、そっから先もずっとおんなじ人生なんてまずありえないんですよね。








あの子に会いたい!ていう気持ちが生まれて、 

次の瞬間きっと

ああでも確かお子さんがまだ小さいんだ、忙しいだろうな大変だろうな、て考えて、

前に会った時仕事も忙しくてって話してくれたっけなぁ…とも考えて、

最終的に
『親の友達にすら"オメェいつも暇そうにダラダラ遊んで過ごしてんな(実際はただのリモートワーク)"って言われる私とあの子は流れる時間が違いすぎる…!会いたいとか言ったら、ししし失礼なんじゃ…!!』

てビビり上がってアクションを起こせない、みたいな。


で、元気でいてくれたらそれが一番だぁ…っておじいちゃんおばあちゃんが孫に言うみたいなことを考えて友人に想いを馳せて終わる、が私のルーティンです。

せめてLINEやメールの一本でも送ればいいのかもしれませんが、しばらく会ってない友人からいきなり連絡きたら宗教かネットワークビジネスか変なセミナーの勧誘かお金貸してほしいとかの話じゃないかって警戒させちゃいそうで申し訳ない…
とまた妄想力が爆発しちゃって。



また、年々こちらが出す年賀状の枚数もいただく枚数も減っていっているよね…という話になっても、それは事実だしある意味ペーパーレス化が進む時代の流れもあると思うし、

でもでもそれ以上に、心から幸せでいてくれと願える存在は決して減っていないな、むしろ年々増えているなと感じ、



そうか、大事な友達の定義って【わざわざお互い時間を捻出して定期的に会う】とかそういうものさしだけで考えなくてもいいのかもしれない(もちろんそれができたら素敵です)なんて…





誰かの幸せを心から願えること、それが何人もいてくれていること、
それはとても幸せなことなんだなってことにも気づけて、嬉しくて、少しの勇気が出せそうなので


お昼ごはんを食べて、洗濯機をまわし、洗濯物を干し終わって一息ついたら、
長いこと連絡を取り合っていなかった親友にLINEしてみようと思います。






宗教かネットワークビジネスか変なセミナーの勧誘かお金貸してほしいとかの話じゃないかって警戒させてしまいませんように。

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