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小野﨑太鼓店#1 三島由紀夫作品にうちの太鼓が出てくるという話、その1

三島由紀夫という偉大な名前はずっと昔から存じ上げてて、でも自分の今のアタマではまだ読んじゃいけない気がする、畏れ多い…という気持ちでいて、高校に入学した頃『そうだ、賢くなったら是非読もう、そうしよう』と決意し、
けど多分その時が私の智力のピークで、そもそも賢い大人にならなかった私はついぞ三島由紀夫作品群を一頁もひらかずにここまで来てしまいました。
今年、私は人生2度目の高3の歳を迎えます。

戦慄。

ところが先日家族から

『うちの太鼓、三島由紀夫の豊饒の海に載ってるから〜』
と、まるで
『今日のチラシに牛肉特売だって載ってるから〜』
くらいのテンションで言われまして。

よくよく訊けば、私と2人の妹以外の家族は皆その事実を知っていて(妹たちよ知ってたらすまん)でも、誰1人としてうちの太鼓が豊饒の海の何巻のどのあたりにどのような形で登場するのか把握しておらず(やっぱり畏れ多くてちゃんと読んでない)、このことはさる某高校の校長先生から知り得た情報らしいのだけれど誰も確かめてないということでした。ええええそこまでライトに言っといて不確かかよ…!


ホントだったらそりゃもう凄いけど気のせいかもしんないし、『載ってるらしい』っていう自慢はなんかフワッとしすぎて中途半端だし、もしかしたら同じく太鼓屋を生業としてる同じ県内の本家の太鼓かもしんないし、
どうせ自慢するならガッツリ自慢したいじゃないですか。少なくともわたしゃーそういうタイプですよ。

なので、ガッツリ自慢できるのかどうか検証すべく仕事の合間に【豊饒の海】を読み始めました。

三島由紀夫の遺作であり三島由紀夫の全てを注ぎ込んだ作品とも言われていて、ザファーストユキオミシマ、三島由紀夫デビューな私には些かヘビー過ぎる気がするものの、読み始めると止まらずに、電車に揺られてようが人んちにいようがエニタイムエニウェア没入しています。


で、


ようやく見つけました。



【豊饒の海】第二巻【奔馬】の十、主人公が通う大学について語られる場面で登場しています。



はじめその段を読んだ時、そもそも豊饒の海を読み始めたきっかけが小野﨑太鼓店の太鼓登場シーン探しのためであったのに、そのことをすっかり忘れて読み入ってしまっていたので

『え〜小野崎なんて名字、あんまり見かけないから嬉しい〜オソロオソロ〜』

と、最適解でない感想を脳内に響かせながら3行ほど読み進めたところで

『…え待って!載ってる!載ってた!これうちの太鼓だ!!』

となった次第です。

ですので、ホントでした。
堂々と自慢させてください。
小野﨑太鼓店の太鼓、三島由紀夫の【豊饒の海】第二巻【奔馬】に登場していますよーー!!!


『伝馬町御太鼓師 小野﨑弥八の銘が入った由緒ありげな大太鼓で、かくかくしかじか〜』

伝馬町は現存する宇都宮市の地名で小野﨑太鼓店創業地であり、小野﨑太鼓店は現在まで創業者の更に父(うちは曽祖父が興した分家なのでね、創業者は御父上大好きだったんでしょうね)の本家を興した小野﨑弥八を冠した銘板を使用しています。
この時代の太鼓だと銘板ではなく焼き印で銘を入れていたと思われます。

で分家とか本家とか言い出すと更に総本家があって、その総本家も昔々から小野崎幸造商店ていう太鼓屋さんを守ってきたお家で、んもぉ〜みんなして太鼓大好きなんだから!

この辺りに関してはいつか機会があればまた別で筆をとろうと、いえキーボードを打とうと思います。



ていうか御太鼓師って、なんかカッコつけてますよね。自分らのことなのに、御つけるか普通??自己肯定感高すぎないですかご先祖様???
グレートティーチャー鬼塚みたいな?GTO??
…グレート太鼓職人小野﨑でGTOやんけ…
などと曽孫は思いつつ…。

世界中で愛される偉大な先生の偉大な作品の中に、うちの太鼓が思っていた以上にしっかりと描写され(三島由紀夫氏は執筆に際し綿密な取材をすること、また緻密な情景描写で知られています)、それもありがたいことに好意的なミシマ節炸裂した表現で、
感動や嬉しさももちろんでしたが、それ以上に冷静な責任感みたいなものを感じました。

特定の宗教に傾倒するだとか、有名人の言葉だからといって無条件に信じたりだとかしない私は三島由紀夫氏から見れば大和魂を忘れてしまったがらんどうの肉の塊かもしれないけれど、肉の塊は肉の塊なりに引き続き面白く拝読しております。

嘘を堂々とつく人に辟易したり、
本人にとってはきっと何の思い入れもない紙箱だったのに、約束の言葉を私だけが宝箱のように大切に抱きしめていたと気づいたり、
ディスカッションをマウンティングと勘違いされまともに話し合えなかったり、
心を鉋がけしたみたいな磨減を感じることが最近ちらほらありました。
それはきっと身から出た錆なのでしょう。ただ、今

(したことないけど)
(いや、したことないんかい!)
水垢離をした後のように冴えた頭で、
大切にしたい人やものごとをちゃんと大切にして、大切にしてくれる人をちゃんと大切にしようという思いでいます。

私、仰々しくめっちゃ普通のこと言ってる。

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