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小野﨑太鼓店#3 三島由紀夫作品にうちの太鼓が出てくるという話その3

國學院大學の皆様のご協力のもと、【三島由紀夫の豊饒の海第二巻・奔馬に出てくるうちの太鼓は現存している】
という情報を頂戴し、この目で実際に拝もうと國學院大學さまの総務課にやってきた私ではありますが


遠目に見ても私が把握している小野﨑太鼓店の塗装とはだいぶ違っており、途端に不安になる私。


え、あれうちの長胴太鼓なんですよね…?



『確かに傳馬町小野﨑弥八の焼印が入った長胴太鼓が現存しております』って言ってくださってましたもんね…?


いや曽祖父の代はもしかしてこの塗装だったのかもしれないし!

それを私が存じ上げないだけかもしれないし!!ねぇ!!!なぁあ!!!

いやいやそもそもあの太鼓は別の太鼓屋さんが作られたものでいつもあそこに飾られてて、小野﨑太鼓店が作った太鼓はまた別の場所にあるとか!!ねぇ!ねぇ…?

と二十五抹くらいの不安をよぎらせながら受付へ。
今日このお時間にご挨拶の機会をいただいていること、
栃木県宇都宮市の小野﨑太鼓店の小野﨑であることをお伝えすると

「ええ!?例の太鼓の!?お嬢様でいらっしゃいますか!?!?!?」

と、途端に忙しくなる受付デスクの方。
走り出し、「〇〇さーん!〇〇課長ー!!〇〇さんたちー!!!あの太鼓の!太鼓店の末裔のお嬢様がお見えになられましたーーー!!!」

お、お嬢様だなんて…、

言ったね、
2度も言った!
親父にも言われたことないのに!!!(当たり前だよ)

それにしてもわたくし生まれて初めてこんな【なんか凄い人】みたいな扱いをしていただきましたし、凄いのは私じゃなく立派な職人だった代々のご先祖さまやうちで働いてくださっていた歴代の職人の皆様なんですけどね…末裔の方って言われるのもむず痒いです。
場末の方、なら納得できるんだけど。

そしてお嬢様と呼ぶには世が世なら、いや世が世でなくてもワタクシいささかお婆様すぎるような。
三島由紀夫の豊饒の海でも、第1巻でハタチの子が『私みたいなこんなお婆さんを…』つってたし、じゃあ私は何だ、化石か?動いて喋るホルマリン漬けか?奇跡か?きんさんぎんさんか?



私とは一体…?

とあやうく(よく知りもしない)哲学に片足を突っ込みそうになっていたところへ大急ぎで何人もの職員の皆様が集まって出迎えてくださいました。

私はと言えば、長い時間をかけ太鼓を探し出してくださっただけでなく今日のこの瞬間のためにわざわざ普段保管している蔵から長胴太鼓を出してここへ飾ってくださり待っていてくださったこと、そのお手間とご厚意に大変感激し既に半泣きで、


職員の皆様はと言えば、太鼓屋の女が来ると聞いてきっとストリートファイターに出てきそうなゴリゴリマッチョの和風女を想像していたらヘラヘラマッチョな女が登場し肩透かしを喰らったことでしょう。なんかすみません。期待と違う方向からやってくるってよく言われます。でも握力52kgあるんです(だから何)

一通り皆様とご挨拶をさせていただき、改めて長胴太鼓を拝見します。



やっぱり十数メートル手前で発見してしまった長胴太鼓が弊社製造の、三島由紀夫が見たそれでした。

第二次世界大戦が始まった頃の、【大東亜戦争1周年記念】【威武震八紘】という大きな彫刻が施された国産本欅製のあまりに立派な長胴太鼓でした。
真珠湾攻撃からちょうど一年後の記念に当時の國學院大學と理事長佐佐木行忠氏にあてて奉納されたと思われる彫刻。
当時はまだまだ日本優勢と思われていたのでしょう、威風堂々とした文字が躍る長胴太鼓は敗戦後約80年が経過した今見ても、凄みを感じる厳かさでした。



さて、今回探し出すのに時間がかかったのには2つ大きな理由がありました。


ひとつは曽祖父が製作時に押した銘(焼き印)が他社様の塗装によりこのように黒く塗りつぶされて屋号の【大弥】と共にほとんど見えなくなっていたこと、↓↓↓

(実際の焼き印はこのようにしっかり刻印が残ります)




また、小野﨑太鼓店は古くから
『あんましうちのブランドをアピールし過ぎたくない、あくまで太鼓はお客様のものだから、目立ち過ぎないところに銘(焼き印とか現在なら銘板)を入れよう』
というなんとも商売下手というか控えめというかコミュ障な性格でやらせていただいておりまして(だから現在の銘板にも【小野﨑太鼓店】なんてどこにも書かれてなくて、創業者の父の弥八さんへのリスペクトを込めて【小野﨑弥八】って銘のままなんです…)
この長胴太鼓も例に漏れずひっそりとした場所に曽祖父の手で控えめに焼き印が押されていました。

で、探し出すのに時間を要したもう一つの理由…
なぜか、その長胴太鼓(おんなじひとつの太鼓ですよ)のめちゃくちゃ目立つ場所に、別の太鼓店様の立派な銘板が貼り付けられていたからです。

例えるなら、車検に出して帰ってきた車を見たら、元々のエンブレムの上に別ブランドのエンブレムを突っ込まれているような感じ…

しかも、太鼓本体にも、太鼓を支える台にも。
敢えてどこの太鼓店様かは言わずにいますが、別に私がここで『この太鼓屋さんがねー!!!』と騒がずとも、
國學院大學様に伺ってこの長胴太鼓を見せていただければ『ああ…ここか…』となるでしょうし。

これなら確かに『探しても探してもなかなか見つからず、何度目かに探した時にやっと見つけたんです。そのためにご連絡が遅くなってしまいました』と話して聴かせてくださった職員の皆様のご苦労が容易に想像できます。

ただでさえお忙しい中で私のヘンテコなメールをスルーせず、何度も広大な学内を捜索してくださり、そしてここに再会の場を与えてくださって、本当に本当にありがたかったです。

曽祖父やその父(小野﨑弥八商店)、更にそれよりももっともっと昔の代から存在した小野﨑幸造商店で製作された和太鼓との再会ということ自体は過去にも何度もありました。

十年〜場合によっては数十年に一度革の張り替えや塗り直しといった修繕をすることで何百年と生き続けることができる和太鼓にとっては久々の里帰りであり、我々にとってはご先祖様の仕事を現物から直接学べる貴重な機会でもあります。

ただ今回のような再会は、しかも三島由紀夫作品にある意味で出演した太鼓との再会は、再会というより邂逅に近かったかもしれません。

そしてとても嬉しいことを教えていただきました。
三島由紀夫作品の中では場面の切り替わり、主人公の通う國學院大學で【授業開始を知らせる太鼓(キンコンカンコンのベル代わり)】として登場していたこの長胴太鼓ですが、現在でも毎月の大學内例大祭で主役として使用される現役の太鼓だったのです!!えええ!!!
現役!!!!
感激!!!!
オノザキー!!!!!(何)

今回恨むべきは自分の勇気のなさです。
『なぜこのように小野﨑太鼓店さんの和太鼓に別の太鼓店さんのプレートが貼られているのでしょうか?』
『複数の太鼓店のこういったプレートが一つの太鼓に貼り付けてあることはよくあることなんですか…?神社の柱に貼り付ける千社札のような…?』

と訊ねられた際に私は、

黒い塗装でうちの焼き印を塗り隠そうとしたのも、
より目立つ場所に大きな銘板を貼り付けたのも、
恐らく故意です
その会社の手柄としたかったんでしょうね

…とは言えず、


由緒ある國學院大學様所有の長胴太鼓の修復に関われるのは大変名誉なことなので、こちらの太鼓店様も功績を残したかったんでしょうか…ねぇ…?いやでも普通は一つの太鼓に二つ以上の銘が入ることはなくてゴニョゴニョ…

としか言えませんでした。


この話をその日のうちに別件でお会いした某先生に、例えを(よりわかりやすくというか…より身近に感じていただけるかなと思い)『集英社の週刊少年ジャンプのBLEACHなのに、その表紙の上に別の出版社の別作品の表紙を貼られた感じ…』と伝えたところ見たことないくらい激昂して


『それちゃんと相手に言った!?國學院大學に言った!?言わないとダメだよ絶対!!!他人の手柄の横取りじゃん!!何なら背乗りじゃん!!権利問題!!大犯罪だから!!!!』

『今すぐ言った方がいい!今日中に言いな!!』とまで言ってくださいました。

でも、すみません、まだ言えてないんです。

この記事を記事としてずっとアップできなかったのは、何が正解なのかもう訳わかんなくなってしまったからです。

それでもこうしている数ヶ月の間どう伝えればいいのかこっそりとひっそりと考え続けていて…

こちらは今までもこれからも真っ当な仕事をして、ただ事実は事実として伝えた方がいいのではという私の想いと、

先生の、同じことの繰り返しにならないように何なら訴訟で嘘つきの相手をツブそうという想いと、

父の『言わなくてもイイんじゃ…』(そもそも平和主義とは言えうちの社長が何でそんな弱気なんだ)という想いと…

それらが錯綜して、こんがらがって、今やっと文字にできました。読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。
だいぶお疲れですよね。すみません。

正直今までもうちの太鼓の銘板の真上に別の太鼓店の銘板が貼り付けられているのを見たことは何度かありました。
抜群の知名度を誇る太鼓店さんや、知らない名前の太鼓屋さんとか、規模の大小関係なく。

本欅の木目を最大限活かせるようにと暗過ぎない透明感が自慢のうち特有の、うちでしかなし得ない塗装が塗りつぶされて何の木かわかんなくなっちゃってたこともあります。(今回もそうですけども。)
本欅はその木目の美しさが音色と並ぶ大きな特徴なのに、それをただ黒く塗りつぶす、というのは我々の美学に反することです。

うちの、敢えてちょっと明るめで透明度の高い塗装にはそういう意味もあるんですよ。国産本欅にしか見られない独特の木目の美しさをちゃんと見ていただきたいっていうね。

また太鼓胴の中は通常革を外さない限り見られることがないので、革の張り替えのタイミングでのみこの中を見ることができ、それはその太鼓のカルテのようでもあり軌跡のようでもある大変貴重な記録ですが、明らかに最近の墨色で明治〇〇年〇〇と経歴詐称?されているのを見たこともあります。
おい逆サバかよ!


そしてそれらはものすごく気分の悪いことです。歴代の、真摯に和太鼓作りに向き合ってこられた全国各地全ての職人とそれを愛してくださる全ての太鼓打の皆様に対する冒涜だと思っています。


私達小野﨑太鼓店の歴史としてはたった百年と少しですが、それよりずっとずっと以前の時代より、
小野﨑幸造商店があって、そこから弥八商店、弥八商店から小野﨑太鼓店…と小野﨑総本家の技術を本家と分家で何代にも渡って栃木県に根付かせてきた自負が私たちにはあるからです。

私と一緒に怒ってくれた先生も世界的に名前の知れた方で、その方の作品を愛しているファンが世界中にいるからこそ、
そういった紛い物の真似が許せないのでしょう。

ただ、私が言いたいのは『買った太鼓屋さん以外で修理しないでよ!!』ということではありません。それはそれでおかしいでしょう。
推しの太鼓屋さん、技術ある太鼓屋さんがあったら是非そこで!
物理的な距離がありすぎても輸送だけで大変ですしね。
もちろん、【ここの太鼓屋さんで買ってよかった!だから修理や張り替えも是非またここにお願いしたい】と思って頂けることがいちばんですし、我々は常にそこを目指しています。

ここまで書き連ねた後にこのクソクソクッソ長い投稿は結局何が言いたかったんだろう…とふと自問しました。


同業他社に向けた『ねえ、お互い誠実な仕事をしましょうよ』というメッセージかもしれません。

喧嘩を売っているわけではありません。

これから先きっと私たちの業界は規模の拡大、新規参入は見込めません。現状、真剣な仕事をすればするほど、儲からないから。
だからこそ今歴史と技術を持つ者が誤魔化さず嘘をつかずに未来のために向き合わなければならないのではないかと思うのです。
嘘をつくのも手を抜くのも誤魔化すのも、真摯に仕事と向き合うよりずっと簡単なのは当たり前です。

でも、私達はだからこそそこをちゃんとやるんです。
じゃないとこの文化と楽器を愛してくださるすべての方に失礼だと思いませんか。

國學院大學さまに伺って、あの長胴太鼓を見た後も私はメディアで何度も明らかに正史でない(何もしてないようで案外文献めちゃくちゃ漁ってるし胴内の銘文を研究される先生のところにお話伺ったりしてるんです、アホなりに)と思われる和太鼓の紹介を嬉々としてされる太鼓店さんを拝見してきました。

私達小野﨑太鼓店には、恥ずかしくて出来ないことです。
メディアに取り上げられること、認知度を上げることもとてもとても大切です。そりゃ生き残りをかけているんですから。ある意味商売は生き残ったもん勝ちです。生き残れば、歴史だって、後からどうとでも言えるんです。

けどさ、ならばさ、正々堂々とやればいいだけのこと。

そして、お客様の立場であるすべての太鼓打ちの方、和太鼓を好いていてくださる方には、もんんんんのすごく恥ずかしいことですが、
こういうことをする太鼓店が今も確かに存在する事実を知っておいていただきたいのです。

お客様も、私達職人も、みんなでレベルアップして、みんなで日本の伝統工芸品であり伝統的和楽器である和太鼓を守り伝えていきたいのです。

ああーくそ、なげえーーーーーーー
あつくるしいーーーーー
ほんとすみませんーーーーー
でもめちゃくちゃ言いたかったことやっと言えたーーーーーー

要約すると
『同業さまよ、ズルは把握してっぞ』
それから
『小野﨑太鼓店を愛してくださるすべての方へ、もっともっと愛を込めて!!!!!いつも本当にありがとうございます』です!

現在小野﨑太鼓店では國學院大學様のご協力のもと、この【三島由紀夫が見た焼き印復刻プロジェクト】に取り掛かっております。

この焼き印にお心当たりのある方、どうかお気軽にお声掛けくださいませ。

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