察することができる人・できない人
「察する」という行為は人によってストレスを感じます。
僕がその一人なんですが
理由はかんたんで
「察することができない」からです。
かなり意識していても「察することができない」ことがあり、会話でさえストレスを感じることもあります。
これができないということは
物事の大半は
「言ってくれないとわからない」んですよね。
あとでよーく考えて理解できることもあります。
第三者から言われて理解できることもあります。
でも未だに理解できないこともたくさんあります。
そう考えると
ほとんどの人は誰に対しても100%察する行為ができるわけではないと思うんです。
なのでもしかするとそういった経験ある方いらっしゃるかもしれないですよね。
そもそも「察することができない」のはなぜなのか。
育ちの問題?
脳の問題?
性格の問題?
とにかくわからなかったので調べてみました。
察することができない理由
さっそくGoogleで「察することができない」と検索してみました。
驚きました。
「察することができない」のは男性に多いようです。
これを読むと「なるほど」と理解できる部分もあります。
しかし腑に落ちない部分があります。
「察することができる」男性って結構いますよね?
これって男性目線で思ってるだけで
女性の立場だとそういうものなのでしょうか?
こちらの記事を読むと「育ち」が影響しているような表現をされていますね。
女性は、小さなころから察することを求められ、察することができるようにトレーニング(しつけ・教育)されています。自分が察することができるため、周囲も同じように察することができると考えます。
これが正解なら「できないこと」だと理解できます。
でも腑に落ちないんですよね。
察する・気を使う・空気を読む
腑に落ちないのはまさにこれで
・察する
・気を使う
・空気を読む
これらの違いがよくわからないからなのかもしれません。
・察する
(人の心中や物事の事情を)おしはかる。推測する。また、おもいやる。同情する。
・気を使う
配慮する。 心を配る。 一般的には「気を遣う」と表記する。 気遣い。
・空気を読む
その場の雰囲気から状況を推察する。特に、その場で自分が何をすべきか、すべきでないかや、相手のして欲しいこと、して欲しくないことを憶測して判断する。
「気を使う」と「空気を読む」はきわめて類義語のように感じます。
ただどちらも「察する」ことができないと気も使えないし、空気も読めないと思うんですよね。
僕の場合
・察することができない
・気を使えない
・空気が読めない
なのでパーフェクトヒューマンです。
これは男女とか関係なく
日常のいろんな場面で起こります。
仕事上では
・言葉数が少ない上司の指示が理解できない
・人に合わせた対応ができない
などですね。
20代の頃はかなり苦労しました。
今では
・言葉数が少ない上司の指示が理解できない
→日頃から上司の仕事の仕方を把握してない
→そもそも上司に興味がない
→自分が理解できるように質問できるようになった
・人に合わせた対応ができない
→人によっては対応できるようになった
など成長しました笑
要するに察するとは
色々調べて自分なりの結論を出すと
「察する」とは
「情報量」
なのかなと思いました。
・相手を知ること
・世間を知ること
主にこの2つでしょうか。
相手を知っていれば、そして世間を知っていれば行動の先読みや考えを把握できるので、
空気が読めるようになって、気が使えるようになって、察することもできますよね。
そう考えるとそもそも相手のことを知らないと察することすらできない。
世間といっても一般常識とは別に、
相手にとっての常識が僕にとっての常識と異なれば、察することはできない。
つまり
知らない相手がいきなり「察しろよ」って言ってくるのはお門違い。
そうなりますよね。
そして少なくとも冒頭に書いた通り、
「ほとんどの人は誰に対しても100%察する行為ができるわけではない」
のかなと思いました。
まとめ
いい大人がそんなことも知らないのかという題材でしたが、
圧倒的コミュニケーション不足な人にとっては
いくつになっても察することはできないのかもしれません。
もっと掘り下げて考えると「脳の問題」や「育ちの問題」もあるのかもしれませんが、
少なくとも相手を知れば多少は察する事ができるのではないかと。
そして過去振り返れば
自分は察する事ができない人間だと思いながらも
少しはそういった行為できていたのかなとも思い少し安心しました。
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