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ユートピア

「ユートピア」と聞くと、白を基調としたキッチンのモデルルームと、そこに着くまでに辿った螺旋のような長いハイウェイを思い出す。
コンクリートの影に生い茂る緑がキラキラと輝いている、うだるような真夏のある日だった。

モデルルームの中に入ると、ひんやりとした冷気に包まれる。
私は趣味で、わかる人にしかわからないプレイリストを作っているのだが、よくLinens 'n Things(アメリカに昔あった大型ホームテキスタイル・ライフスタイル雑貨店、現在はオンラインショップのみとなってしまった)やBed Bath & Beyond(同じく生活雑貨の大型店舗)でかかっている音楽、というプレイリストが合うメロディが聞こえてくる。

そこにあるのは、現実か非現実か境目の曖昧な、夢のアメリカンライフスタイルを再現した空間である。それは、どこか「豊かなアメリカ」が体現されていた50年代を引きずっているような感覚。
パーフェクトなブロンドと白い歯、トレンドのファッションに身を包んだパーフェクトな家族が優雅に朝食をとる、そんなポスターを目にしたことがある人にはわかるかもしれない。
しかし、そのどこか取り繕ったような「アメリカン・ドリーム」の裏側には、多くの陰が潜む。

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「ユートピア」という概念について考え始めたのはいつ頃だっただろう。
その実態が何なのかをはっきりとは知らずにいた幼少期ですら、頭の中にあったイメージと感覚はあながち間違ってはいなかった。

ユートピアは、イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作『ユートピア』に登場する架空の国家の名前。「理想郷」、「無何有郷」とも呼ばれる。現実には決して存在しない理想的な社会として描かれ、その意図は現実の社会と対峙させることによって、現実への批判をおこなうことであった。(Wikipediaより)

ユートピアというのは、決して完璧な世界ではない。
個人の自由が尊重されるが争いのある世界とは反対に、不気味なほど整然としているが絶対的な管理下に置かれた世界なのである。近未来を想像するとき、このような世界になってもなんらおかしくないと感じる。

様々なテクノロジーによって生活がより豊かになっているが、それと同時に大量の個人データを搾取されていることを忘れそうになる。
連絡先やカード情報に留まらず、個人の趣味・思考、運動の頻度、血圧や体温、心拍数まで。Netflixで人気の「ブラック・ミラー」に近い未来が待っているとしてもおかしくないだろう。

個人の生活がどこかで見張られていて、意図した行動をするように仕向けられているとしたら?などと妄想は膨らむばかりである。
私たちも気づかないうちに、過去に幻想として捉えていた「ユートピア」に一歩ずつ近づいているのかもしれない。

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それでも私たちは時を超えて「ユートピア」に惹かれる。
多くのアーティストにも多大なる影響を与え、作品に反映されている。

なぜ「ユートピア」に惹かれ、「ユートピア」を目指すのか
ユートピアを求めるアーティストたち(1)
- 森美術館 公式ブログ

理想と言う名の偶像とわかっていながら、一瞬目を背けられた場所が、私にとってはあのモデルルームであり、幼い頃の家族との思い出だったことに、後から気づく。今は決して戻れない過去も、誰かにとっての「ユートピア」になりうるのかもしれない。

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灰色の道を降るとそこはユートピア。涼しげな白と緑の世界に迷い込んだ、ある夏の午後のことを今でも思い出す。

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