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最後に近づいている次男坊のサッカーの記録を纏めます。強い主観で書きますのでお読みになっ…

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最後に近づいている次男坊のサッカーの記録を纏めます。強い主観で書きますのでお読みになった方がお気を悪くされませんように…。

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終わりは始まり

3月16日の卒団式が終わり、次男(長尾優斗 下段右から2番目)のガンバ大阪ユースでの3年間(中学3年生の1月〜)が終わりました。 ↑2019年プレミアWEST最終節後の写真です。ここにガンバ大阪U-23チームで闘っていた2名が映っていないのがとても残念ですが仕方ないですね。 1年目は茨木市にあるドーミー茨木3(民間の寮運営会社 一般の方とも同じ建物でした)、2年目からの1年半は、青翔寮(新設されたガンバ大阪ユース寮)でプロサッカー選手を目指して寝食を共にしてきた15名のチ

    • 移籍したときの話

      お世話になった上級生の卒団前記したように、4年生の時から飛び級を経験させてもらっていた優斗。 飛び級でお世話になった1つ上の歳の選手たちには、とても良い経験をさせてもらう事が出来ました。 指導者として関わっていた私も、飛び級でお世話になった優斗も、彼らとの時間がずっと続けばよいのにと思っていましたが・・・ 彼らは、1つ上のお兄さんとお姉さんなので中学生になっていってしまいます・・・・。 そうです。 遂に彼らが摂津FCを卒団する日がやってきてしまいました。 その日、優斗は

      • 地区トレセン U-11 U-12

        初の選考会5年生になり、チームからの推薦で地区トレセンの選考会に参加をさせてもらう事が出来ました。 所属しているチームは強いチームではありませんでしたが、指導者目線でみても優斗個人は強豪チームの選手とそん色のないプレーが出来るようになっていたと思います。 今でもそうですが地区トレセンの選考会は、選考上位数名(3~5名程度)が府トレ選考会に送る推薦選手を決める会でした。 もちろん優斗の目標はそこに食い込むことでしたが・・・・ 残念ながら結果は、10番目くらいだったと思い

        • 飛び級

          個人の基準を上げる為には、とても効果のあることです。 サッカーが大好きで平日も沢山練習して、どんどん上達している選手を上の学年に飛び級させる。 優斗も小学4年生の時から飛び級を経験させてもらう事ができました。 TOP画像の選手たちは、飛び級させてもらっていた頃のチームメイトなので優斗にとっては1学年上の先輩です。 このチームは、とても良く頑張り、とても仲が良く、 優斗にとっても私にとっても、思い出に残るチームでした。 この写真を見る度にあの頃がフラッシュバックしてきて懐か

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        終わりは始まり

          連帯貢献金

          今回は、少し優斗から離れて私が摂津FCのコーチをしていた時の余談をお届けしたいと思います。 本田圭佑選手の移籍時にVVVフェンローからCSKAモスクワに移籍した時に移籍金が発生しました。 2011年7月の話です。 FIFAの規定には、海外のクラブに移籍した時に適応される連帯貢献金の分配規定というものがあります。 12歳の誕生日から在籍しているクラブに在籍期間によって移籍金の数%が分配されるという仕組みです。 CSKAモスクワからの連絡確か、CSKAモスクワに移籍してか

          連帯貢献金

          上達する為に

          平日のスクール選び優斗が3年生になると、平日のサッカースクールに通わせる事にしました。 今ほどではありませんが、その当時でも色々な平日のスクールがあり、 ほとんどの親御さんは、子供が楽しみながら上達する可能性のあるようなスクールを選んでいました。 ですが、ある意味【キャッチー】なスクールの楽しさの基準の低さや場面を抜き出すだけで実践的でない指導、無駄に褒める指導など、それらに違和感を感じていた私は、優斗にそのようなスクールを選ばせませんでした。 選択したスクール結論から

          上達する為に

          誇れるOB

          優斗が1年生になったある日、こんなやりとりがありました。 監督さん:「週末の活動を摂津〇中でやるから保護者に連絡しといて。」 私:「どうしてですか?」 監督さん:「田中先生のところに圭佑が来てくれるらしいねん。」 ・・・ ケイスケ?圭佑??リトルホンダ?ケイスケホンダ??????(わーい) (と思ったというのは冗談で、その時の彼は名言ヒットメーカーになる少し前です。) そうです、日本人サッカー選手の世界的知名度1位(私見です)。 本田圭佑(選手)彼は、摂津FCが輩出した

          誇れるOB

          褒めない父親

          優斗が3年生の頃から褒める基準を変えたんです。 ですので、その頃からのチームメート達は、優斗が褒められているところを余り見たことが無いと思います。 どのように褒めますか?「ウチの子は、褒められて伸びるタイプなんです。」なんて事を耳にする事がありますが、褒められないと伸びないのなら、褒めてくれる人が居なくなった時に伸びることが出来ない子なんだなと思ってしまいます。 もちろん、3歳や4歳の子供になら些細な事でも沢山褒めてあげたほうが良いと思いますが、私はそれに近い褒め方を

          褒めない父親

          最初の仲間

          サッカーを習い始めた時の同じ年齢の仲間は2人の女の子と1人の男の子でした。その後、増減があり3年生の時点で優斗を含めて6名が同じ学年の仲間という事になり、彼(彼女)らが最初の仲間(チームメイト)となりました。 サッカーは一人では出来ないスポーツなので、低学年といえども仲間を意識しながら成長する事がとても大切です。 大切なのですが・・・ 優斗に関しては、その仲間たちとの成長過程でサッカーの歯車が少し噛み合わなくなってしまって別のチームに移籍する選択をさせる事に

          最初の仲間

          チーム選び

          ご多分にもれず、私達も優斗が保育所の年長になった頃に入団する少年サッカーチームを探し始めました。 私は大阪府摂津市を生活の拠点としています。 その摂津市内で活動している少年サッカーチームは4チーム。 摂津イレブンJSC(市内北側) 摂津FC(市内南側) 摂津ベアーズ(市内北側) 摂津スクール(市内南側) 更に日本サッカー協会に加盟して小学生年代の公式試合にエントリーしているチームは、その内の2チームだけです。 サッカーを習わせているのに公式戦に出場機会

          チーム選び

          きっかけ

          我が家の子供たちは、全員が保育所にお世話になっています。 長男は3歳から 優斗は1歳から 長女と次女は0歳からです。 稀に古い世代の方々が、『そんな小さな時分から預けて可哀そうだ』と言いますが、可哀そうだというのはその人の主観であって、本人たちにすれば保育所での生活も日常の一部であり、両親からだけではなく、保育士の方々からの愛情も受けて良い期間を過ごせたのではないのかなと思っています。 ただ、これも私の主観ですが・・・(苦笑)。 スポーツをしていると、何かのきっかけで飛躍的

          きっかけ

          素質

          優斗が3歳を過ぎると外で一緒にサッカーをする事が多くなりました。 毎回30分程度と短い時間だったのですが、私もサッカーをしていたので、かなり早い段階で彼の素質に気が付くことが出来たと思っています。 1.体の中心にボールを置いてボールを動かす事が出来ていた 一般的な3歳児は、体の中心でボールをとらえる事が出来ずボールが自分から逃げていってしまい、自分の近くからいなくなってしまうので足でボールを扱うのが面白くなくなると思っています。優斗は、教えてもいないのにそれが出来ていたので

          始まりの始まり

          生まれた時から家の中や外でボールを触らせることが当たり前だったので、本人にはサッカーを始めたという自覚は一切ありません。 2019年度にJユースカップの準決勝まで進んだ時、大会コンテンツ用のQ&Aを主宰者側から依頼された次男が、電話でサッカーを始めたきっかけを尋ねてきたんです。 優斗: 「なんか書かなあかんねんけど、俺のサッカー始めたきっかけは何?」 私 : 「そんなん無い(きっぱり)」 優斗: 「・・・なんか書かなあかんねんって!」 私 : 「ほな、生まれた時からサッカ

          始まりの始まり