移籍したときの話
お世話になった上級生の卒団
前記したように、4年生の時から飛び級を経験させてもらっていた優斗。
飛び級でお世話になった1つ上の歳の選手たちには、とても良い経験をさせてもらう事が出来ました。
指導者として関わっていた私も、飛び級でお世話になった優斗も、彼らとの時間がずっと続けばよいのにと思っていましたが・・・
彼らは、1つ上のお兄さんとお姉さんなので中学生になっていってしまいます・・・・。
そうです。
遂に彼らが摂津FCを卒団する日がやってきてしまいました。
その日、優斗は次期キャプテンとして卒団生へ送辞を贈らせてもらい、卒団生からは、色紙を頂きました。
色紙のメッセージを読むと優斗自身も彼らと共に良く頑張ったんだという事がわかります。
いよいよ自学年のTOPチームに
年度が明け、本格的に自分の年代でのTOPチーム活動が始まりました。
幼稚園の頃から所属していたチームで学年8名しか居ませんでしたので仲の良い学年でしたね。
この時点で優斗は、この仲間と共に摂津FCを卒団するイメージしかなかったと思います。
下の画像は、春の全日予選の集合写真です。
良い子が多かったのですが、試合中に協調出来ない事が多々ありました。
何かの力で特攻ドリブルを多く選択してしまったり・・・
パスを出さなければならないところで出さない選択を多くしてしまったり・・・
そういう事が積み重なってきて年度明けから2か月後には、
優斗自身のメンタルにも変化が表れてイライラがプレーに出だしたんです。
決断をさせた
それは、6月中旬のホーム開催の4種リーグ(今は全日リーグと名前が変わっています)が終わった時のことでした。
チームの監督と雑談をしていたんです。
その話の中で『優斗は、違うチームでやったほうがええねんけどな』という言葉を頂きました。
良かれと思って言ってくれたのは良くわかってますが、その言葉で『ここは終わったな』と・・・・
チームが弱くたってなんだって構わないし、メンタル面はこちらでサポートすればどうにでもなる。
しかし、一番大切な指導者気持ちがそれじゃぁ次につながらない。
その晩には、その後に移籍をすることになったチームの監督さんに相談の電話を入れていました。
そして、それから数日間で本人から移籍をする決断の言葉が出るように私がコントロール(小学生の移籍なんて親が決めることが大半じゃないでしょうか)して、6月いっぱいで6年間お世話になった大好きな摂津FCを退団する事になりました。
退団するにあたり
退団するにあたり、同学年の保護者のからは色々お言葉をもらいました。
・なんでなん・・・(涙)
・優斗は、勝ちたいねんからしゃあないな(良顔)
・優斗が移籍してどうにかなったらええけど、そうやなかったら残されたやつらどうやねん・・・(怒)。
・残念です・・・。
いろいろな言葉を胸に、優斗は勘違いをせずに頑張り続ける事が出来ています。。。。
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