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地区トレセン U-11 U-12

初の選考会

5年生になり、チームからの推薦で地区トレセンの選考会に参加をさせてもらう事が出来ました。

所属しているチームは強いチームではありませんでしたが、指導者目線でみても優斗個人は強豪チームの選手とそん色のないプレーが出来るようになっていたと思います。

今でもそうですが地区トレセンの選考会は、選考上位数名(3~5名程度)が府トレ選考会に送る推薦選手を決める会でした。

もちろん優斗の目標はそこに食い込むことでしたが・・・・

残念ながら結果は、10番目くらいだったと思います。
(何故【10番目ってわかるの?】かというと、その当時のチームに送られてくる選考結果は評価の高い順だったんです。)

因みに、現在はチームに送られてくる選考結果のリストは評価順ではありません。

トレセンを基準にする事が自分の立ち位置を知る手っ取り早い方法でしたので、最終的な目標に近づくための基準はここから


その後のトレセン活動

ジュニア年代では、5年生・6年生と地区トレセン活動をさせていただきました。

6年生になり、地区トレセンと府トレセンの間にモデル地区トレセンなるものが発生しました。
JFAの試みで全国数か所の府県で実施され、大阪府ではB級以上の指導者とJ下部の指導者が関わるトレセン活動で指導のクオリティは、府トレと同等だったと記憶しています。

優斗は、年度初めからは参加する事が出来ませんでしたが、
第3クール(最終の4か月)に参加をさせて頂くことができました。

本人の出来る事が劇的に変わっているわけではないのに何故?
と疑問をもちましたが、その秋の大会でチームが大阪ベスト8(実は、摂津FCではなく別のチームでの活動結果なんです・・・)に入ったのが大きな要因だったのではないかというのが私感です。

それと同時に地区トレセンの指導者は、個人のサッカーでなく違う物をみてるんだなと残念に感じました・・・


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