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コトバ|受け取る側に委ねるしかないのか

先日、親戚の家の近くで火災があった。

私の家からも近い伯母の家の方角に、
もくもくと煙が上がっているのが見えた。

「まさか」

すぐに伯母のスマホに電話をかけると、
「もしもし、なっちゃん?どうした?」
と優しい伯母の声が耳に飛び込んでくる。

彼女は30過ぎの姪っ子に対して、
まるで子供に話しかけるような口調を向ける。

「どうした?」

何度、この言葉を聞いただろうか。

「火事の煙が見えたから、大丈夫ですか?」

きっと、大丈夫なのだ。

大丈夫じゃなかったら、電話になど出ない。

「うちからも煙がみえるの。
どこかわからないけど、
おばちゃん達は大丈夫だからね、ありがとう」

ホッとした。

実際に火災に見舞われた、
大丈夫ではない家がある。

だから「あー、良かった」とは言えない。

喉元まで出てきていた
「良かった」を飲み込んで、
「びっくりして電話しちゃって」と
話題を変えた。

「また遊びに来てね」
「旅行に行くからお土産買ってきますね」

そんな、何気ないやり取りをして電話を切る。

何気ないやり取りができる、幸せなことだ。


ふとした時に、
自分の口から飛び出す言葉が怖くなる。

「あー、良かった」

間違ってはいない、
何かあったかもしれない不安から解放され、
つい口から出てきてしまう。

でも、
実際にどこかの誰かの家か何かが燃えていた。

良くは、ないのだ。

では、なんと言えばいいのだ。


会社に勤めていたころ、
仕事中に倒れて病院に運ばれた人がいた。

翌日には回復し、倒れた原因も分かり、
数日休んで職場に復帰してきた。

「〇〇さん、復帰できたみたいね」

横にいたオバサンに話しかけられたから、
「良かったですよね、無理してないといいけど」
と返した。

その後、
「良かったって言ったのよ?」と
オバサン連中の餌食となった。

では、なんと言えばよかったのか。

「回復したのか、良かった」は
不正解だったのか。

「倒れて良かった」なんて言ってない、
「仕事に穴があかなくて良かった」とも。

「元気になってくれて良かった」

それだけだ。

私の言葉が悪いのか、
受け取る側がひねくれているのか。

答えなどないのか。

普通はわかることなのだろうか。

私が、わかっていないだけなのだろうか。

言葉は口から飛び出した瞬間、
受け取る側に全てを委ねることになる。

相手が善し悪しを決めるのだ。

なんて、恐ろしい。

こんな恐ろしいものはない、
だから私は口で話すのが苦手なんだ。

どれだけ配慮しようとしても、
どれだけ言葉を選んでも、
相手の受け取り方までは決められない。


ずっと心の底にあった、やりきれない思い。

それが
「良かった」を飲み込んだ瞬間爆発した。

嫌なことを思い出してしまった、寝よう。

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