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ひとり旅列車

先日、久しぶりに一人旅に出た。
ぶらり旅といった風情はないが、それでも5,6年ぶりに完全に自由な時間を過ごすことのできた、褒美のような数日間だった。

その道中の出来事である。

新潟の上越を訪ねたのち、長野で善光寺を参拝した私は、次の目的地・名古屋に向かうため、特急列車に乗りこんだ。電車は岐阜の山間を縫って走る。途中、とっぷりと日も暮れてきて、なにやら天気も崩れてきた様子だ。

この侘しさが、たいそう懐かしい。車内は静まり返っていて、誰一人話し声はない。車窓から見えるは暗闇のみ、車内灯が窓ガラスに反射している。ガタンガタンとレールを走る音だけが響く。雨も激しくなってきた。われわれはどこへ向かっているのか。暗がりの中を列車の軋む音だけがこだまして、無言の乗客たちの目的地へとひた進む。染みこんだ哀愁が旅情を誘う。

木曽の山奥にて、車内放送が流れた。
「この先の中津川付近で大雨のため、ただいま先行列車が運転を見合わせております。その為この列車も、発車時刻に遅れが生じる場合がございます」

客室に一抹の不安が走った。

その不安は徐々に現実へと姿を変え、アナウンスは刻々と自体の悪化を報せてくる。終いに「この先の運転を見合わせます」の放送が流れると、乗客の間には声にならないため息が広がった。

そのまま、どれぐらい待ったろうか。

車掌が前列から順に、乗客の目的地を訊いて歩いている。ここで夜も更け、名古屋から先まだ旅程のある客は、最終便に乗り継げそうもない。隣席のリクルートスーツを着た女性は落ち着かない様子を見せる。各位携帯電話で先人と連絡を取り合ったりしている。うらびれて寂しい車窓を眺めていると、車掌は謝罪しながら車両間を行き来している。

鞄から取り出した本を読んだりこの旅情に浸っていると、さきほど善光寺の門前で食した蕎麦が思い出された。閑古鳥の鳴いている門前町。感染症の被害を目の当たりにした。蕎麦屋で求めた“あげそば”の小袋があった。いざとなったらこのつまみが貴重な食料となる。

結局、先行列車に全員が乗り移るかたちで、乗客の席の移動が完了するのを待ち、雨が弱まるのを待って、約1時間遅れで列車は再出発となった。

最終的に、名古屋到着も1時間ほど遅れ、23時を回っていた。長野、岐阜を抜けて濃尾平野に出ると、ここは大都会だ。中部地方随一の繁華街であるから、その華々しさ、まばゆさを目にすると、わびしい旅情なんてものは一気に吹き飛んでしまう。山の民と都会の民の人生観には、天と地ほどの境がありそうである。

みどりの窓口を訪ねると、特急券代金が返金された。平に頭を下げられたが、なにも鉄道会社の過失ではない(少なくとも直接的には)。JRの沽券に関わるのだろうか、その姿勢には恐れ入りながら、利用者からすればラッキーだった。


<了>



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