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【読書コラム】イベリコ豚がなんなのか知りたくて読み始めたら、なぜか最後は起業ドラマに胸が熱くなっていた - 『イベリコ豚を買いに』野地秩嘉(著)

 飲み会に誘われた。会費は三千円で飲み放題とのことだった。いまどき、そんな店があるのかと驚いた。料理はイベリコ豚のしゃぶしゃぶが出ると書いてあった。

 結局、日程が合わず断ったのだが、どうにも腑に落ちなかった。だって、イベリコ豚って高いんじゃないの? どうして、それがそんな安い値段で食べられるの?

 我慢が頭をもたげていたからなのだろう。その日から街を歩いていると、やたら、イベリコ豚という文字を目にするようになった。スタ丼屋さんがイベリコ豚を使っていることを売りにしていた。デパ地下にイベリコ豚のメンチが並んでいた。スーパーでもイベリコ豚の切り落としが置いてあった。

 そこら中、イベリコ豚であふれかえっていた。そして、どれも別に高くはなかった。

 あれ? もしかして、イベリコ豚って高級品でもなんでもないのかしら? 外国っぽい響きでわたしが勝手にブランド豚だと勘違いしていただけ?

 なんだか収まりがつかなくなってしまって、一冊ぐらい、イベリコ豚に関する本を読んでおこうと思って、ネットで調べてみたところ、専門書はほとんどなくて、唯一、『イベリコ豚を買いに』というエッセイみたいな文庫本が見つかったので、とりあえず買ってみた。

 ところがどっこい。これが想像をはるかに超えて、めちゃくちゃイベリコ豚の専門書だったので驚いた。

 まず、やっぱり、イベリコ豚はブランド豚だと判明した。どんぐりを餌に育てられていることで有名だけど、それも含めて、日本における認識は諸々間違っているらしい。

 イベリコ豚に詳しい人の話として、以下のような説明が載っていた。

彼は「典型的な間違いの例」として次のようなふたつを挙げた。
 ひとつは……。

「イベリコ豚はスペインの黒豚です」

 黒豚はバークシャー種のこと。イベリコ豚は毛の色は黒いがバークシャー種ではない。
 もうひとつは……。
「イベリコ豚はいつもどんぐりを食べていますから肉に甘みがあります」

 間違い文の添削例のようになるが、先に述べたようにイベリコ豚はいつもどんぐりを食べてているわけではない。樫の木が実をつける11月から3月ぐらいまでの約4か月間だけである。しかも、どんぐりを食べているのはベジョータだけで、セボは食べていない。また、肉に甘みがあるのはどんぐりを食べているせいばかりではない。イベリコ豚は肉のなかに脂肪をたくんえる性質を持っており、脂肪のなかに甘みがある。脂肪分が他の豚よりも多く含まれているから甘みを感じるのである。

『イベリコ豚を買いに』104-105頁

 もともと、イベリコ豚という種類の豚がいるわけではなく、イベリア半島で育てられた豚のことを指すらしい。ただ、それだとなんでもありになってしまうので、現在はスペイン政府がしっかり基準を設けている。そのため、イベリア種100%純血の豚、および、イベリア種とデュロック種をかけあわせた二代目までの豚のみ、イベリコ豚を名乗ることができる。

 ただ、そんな基準が存在するなど、日本に暮らす我々は全然知らない。結果、めちゃくちゃなことになっているんだとか。

イベリコ豚にはベジョータ、セボと2種類があります。また純血種もいれば50パーセントの豚もいる。それなのに数年前のイベリコ豚ブームの時、さまざまな会社が純血種ではないイベリコ豚をたくさん輸入したんです。ところが、舌の肥えた日本人にとってみればグレードの低いイベリコ豚はナッツの香りもしないし、まったく期待外れの商品でした。そこで『イベリコ豚はおいしいと言われていたけれど、食べてみたら、日本の黒豚よりもまずいじゃないか』となってしまったのです。
 消費者のその声はまったく正しいんです。グレードの低いイベリコ豚は大しておいしくないんです。またイベリコ豚の人気が落ちた後、輸入した業者は倉庫代がもったいないから安値でぶん投げるようになった。そうして、グレードの低い、名前だけがイベリコ豚という商品がスーパーやコンビニや焼肉店にまでどんどん出てくるようになった。消費者は『イベリコ豚はおいしくないし、安物なんだ』と思っているところもあります。

『イベリコ豚を買いに』152頁

 これらの情報を知ることができただけでも、わたしは大いに満足だった。なるほど、だから、巷にはイベリコ豚があふれかえり、ひたすら安く売られているのだと。

 ただ、『イベリコ豚を買いに』という本はここから、嘆かわしい日本のイベリコ豚事情がどうでもよくなってしまうほど、エキセントリックかつエキサイティングな展開を迎えていく。

 当初、作者はわたしと同じように、どこもかしこもイベリコ豚を提供している状況に違和感を覚え、イベリコ豚の取材をしようと決意する。で、実際に、スペインの養豚場に取材を申し込むのだが、運悪く、不測の事態が発生する。

 2010年、宮崎県で発生した口蹄疫の流行である。当時、東国原宮崎県知事が「どげんかせんといかん」とたびたび口にしていたけれど、その感染力の強さから、養豚場から日本人の一律来場拒否を食らってしまう。

 それから、数年が経っても、取材目的で日本人が訪ねることは歓迎されず、作者は悶々とした日々を過ごすことになる。

 どうにか養豚場に行かないだろうか。とにかく、一度、本物のイベリコ豚を見ないことには。なにかいい手はないだろうか?

 考えに考え抜いた挙句、ひとつの方策に思い至る。記者としてではなく、客になれば、養豚場も対応せざるを得ないはず。

 よし、イベリコ豚を買うことにしよう。
 (なんで?笑)

 結果、作者はイベリコ豚を二頭購入するのだが、もちろん一人では食べきれない。周りに配っても限界がある。しかも本の取材費としては計上できない。どうしたものか。

 さらに考え考え抜いた挙句、再び、ひとつの方策に思い至る。

 よし、イベリコ豚で商品を作って販売しよう!
 (やっぱり、なんで?笑)

 そして、この本は突然、イベリコ豚解説書から起業ドキュメントへと姿を変える。

 後半はほぼほぼ飲食業界で成功することの難しさを伝える内容で、読者としてタイトルから期待していたものでは全然ないのだけれど、これがすこぶる面白い。

 特に、本場スペインでさえ、生ハムで食べられることが当たり前なイベリコ豚をどのように加工するかを検討するシーンは堪らない。なにせ、イベリコ豚の魅力は香りにあり、加熱し過ぎたり、調味料を入れたりすると台無しになってしまう難しさがある。

(ってことは、イベリコ豚をしゃぶしゃぶやスタ丼、メンチで食べるのは適していないということになり、未だ、日本ではイベリコ豚がブランドっぽいという理由で重宝されていることがよくわかる)

 意外にも試作した餃子は美味しかったようだけど、今度はコストの問題が重くのしかかる。原価が高いせいで、販売価格が通常版の数倍になってしまう。誰が餃子に一人前に千円も払うのか。

 じゃあ、素直に生ハムにすればいいじゃん。いやいや、日本で生ハムを作るのは難しい。湿度の高い地域では簡単に腐ってしまう。実際、スーパーで売っている国産の生ハムは液燻と呼ばれる調味液に漬ける作り方がほとんど。これではイベリコ豚のよさが消えてしまうし、安全に製造するには大規模な工場が必要で、個人でやれる商売じゃない。

 さてさて。そんなわけで、イベリコ豚の新商品開発は不可能なように思われのだが、最後の最後で作者は一発逆転のアイディアをひらめく。気になるかたはぜひぜひ、『イベリコ豚を買いに』をお読み頂きたい。わたしは「なるほど、その手があったか」と感動した。

 そんなわけで、イベリコ豚がなんなのか知りたくて本を読み始めたら、なぜか最後は起業ドラマに胸が熱くなっていた。入口と出口が全然違っていたものの、だからこそ、素晴らしい読書体験だった。




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