見出し画像

【ペライチ小説】_『娘帰る』_20枚目

「おい、真紀、なんか言えよ。お母さんはなんで、離婚だ、離婚だ、ギャーギャー騒いでいたんだと思う。なあ、なんでだ。なあ、真紀。なんでだと思う」

 油汚れみたいにねっとり絡みつく父親の視線が痒かった。皮膚が溶けていくようだった。高校時代、世界史の授業でベトナム戦争で使われたナパーム弾は火薬と油脂性の粘着剤が一体となっているため水で洗い落とすこともできず、被爆者を徹底的に燃やし尽くす残虐な兵器だったと習ったことが思い出されて、息苦しくなってきた。

「おい、真紀。泣いてんじゃねえよ。まったく、お前はどうしようもねえな。ここまで話した手前、途中でやめるなんて無理だからな。そんな都合のいい話、あり得るわけがねえからな。しっかり、最後まで聞きやがれ」

 そして、父親はあの話を嬉々として語りだした。

「いいか。お母さんはな、頭がおかしくなってたんだよ。一緒に暮らすことなんて不可能なぐらい狂ってたんだ。ちなみにそれはいつからだと思う。驚くなよ。一九八九年の八月八日午前十時三十二分。つまり、お前を産んだ瞬間なのさ。たぶん、あれだろ。産後鬱とかってやつだよ。お前のことを見ていると不安で不安でしょうがなくなるらしく、手首切ったり、睡眠薬をジャブジャブ飲んだり、それはもう酷かった。夜中も暴れて、隣で寝れやしないから、俺は家に帰るのをやめたんだ。いや、それだけじゃない。お前に対してもいろいろやらかしてたんだぞ。たとえば、首を絞められたこと、忘れちまったか」

 父親の記憶はここで断絶していた。

 その後、どんな会話をしたのか、どうやってサヨナラをしたのか、なにひとつ思い出せなかった。唯一、覚えているのは「産後鬱」という激烈な単語だけだった。

 産後鬱。

 父親はそれの意味するところを本当に理解していたわけではないと思う。ネットで調べたら、出産をきっかけに情緒が不安定になり、子育てはおろか、自分の世話もできなくなってしまう症状を指しているんだとか。ウィキペディアによれば、通常の発生時期は出産後一、二週間から数ヶ月以内で、長くても一年以内には症状が収まる傾向にあるらしい。父親と母親が離婚したのはそれよりもずっと後、というか、わたしが高校生の頃だった。普通に考えて、そのことに産後鬱を持ち出すなんて、あまりにも矛盾しまくっていた。たぶん、こちら同様、わたしを傷つけるためにこそ、父親は拙い知識の中からしんどいワードをひねり出してきたのだろう。

 ただ、その背景がなんであれ、この言葉を知ってからというもの、わたしと母親の間に決定的な溝ができてしまった。これまでだって、わたしは人並み程度に母親と対立を重ねてきた。だけど、それは「思春期だから仕方ないよ」とまとめられてしまう程度の困難でしかなかった。つまり、ぶつかり合ってしまう原因はわたしの第二次性徴の中にあり、しょせん、麻疹やおたふく風邪のようなもの、時の流れで解決できる平凡な揉めごとに過ぎなかった。なのに、産後鬱という病名によって解釈は大きく塗り替えられて、いまや、原因は別にあるとわかってしまった。

 わたし個人に帰着するはずだった問題は、その実、母親にも強く関わっていた。母親に対してのモヤモヤは時々刻々、解像度を増していき、すっかり手に負えないものとなってしまった。堂々巡りのくだらぬ問いが、自然、頭に浮かんできた。わたしが苦手な母親はわたしのことを苦手な母親であり、すると、わたしが生まれてこなければ母親はわたしの苦手な母親になることもなかったわけで、とどのつまり、わたしの苦手の原因はわたし自身にあるのだけれど、ならば、どうして、わたしという人間はこの世に生まれてきたのだろう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?