見出し画像

【ペライチ小説】_『娘帰る』_19枚目

「ラストオーダーになります」

 茶髪の女性店員が声をかけてきた。わたしが首を横にふると、父親は女性店員に指でバッテンを作った。

「とりあえず、帰るか。今日は本当にありがとうな。おじいちゃんのためにわざわざ時間を作ってくれて」

 父親は急に今日という一日をまとめだした。時計を見たら、なるほど、そろそろ潮時だった。わたしとしても解散に異論はなかった。ただ、下手に踏み込み過ぎたせいで、もはや父と娘の関係のまま、この人に会うことはないだろうと思われたので、最後ぐらい、それっぽい別れの言葉で締めておきたかった。「またね、お父さん」とか、「元気でね、お父さん」とか。なのに、実際、わたしの口から飛び出したのは、

「ねえ、お母さんのなにが嫌だったわけ」

 と、自分でも意外な問いかけだった。父親はキョトンとしていた。一瞬、なにを聞かれているのか理解できていない様子だった。ゴクッと音が聞こえるぐらい固くなった唾を飲み込み、黒目をキョロキョロ動かし始めた。露骨な反応に己の衝動を悔やんだ。そのくせ、

「やっぱり、お金の問題」

 と、具体的な質問を重ねることを止められなかった。たちまち、父親はそういうことなら話してやろうと肝の据わった目付きになって、浪花節を再開させた。

「おうおう。聞きてえなら教えてやるよ。さっきはああ言ったけど、金なんて、別に大した問題じゃねえんだ。そりゃ、まあ、たしかに、遊びたいは遊びたかったさ。でもな、親として、男として、自分が家族を養わなきゃいけない立場にあるのはわかっていたし、そうそう勝手もできないからな。だから、まあ、借金だって、万が一、返せなくてもお前らに迷惑がかからないようには調整していた。ぶっちゃけ、百五十万だぞ、百五十万。百五十万ぽっきり。そんなはした金で離婚だなんだと騒いでたんだよ、あのときのお母さんは。なあ、真紀。百五十万って、どう思う。大金か。ギャアギャア騒ぐほどの金額か」

 わたしはなんにも答えなかった。正確にはなんにも答えられなかった。

「百五十万なんて大した金額じゃないよな。そうだろ、真紀。そう思うだろ。お母さんだって、そんなことわかってたはずなんだよ。あのとき、あいつは三百万ぐらい隠し持っていたんだから。ふざけてるよな。ああ、ふざけてるよ。そもそも、取られた金を補填するため、俺は借金をしていたんだ。借りる金額がへそくりより多くなるなんて、百パーセントあり得ないんだよ。にもかかわらず、お母さんは烈火の如くブチギレた。なあ、真紀。おかしいと思うだろ。ブチギレる必要のないことでブチギレるなんて、どう考えてもおかしいよなぁ。めちゃくちゃだよな。おい、真紀、お前、それについてどう思う」

 父親に名前を呼ばれるたび、心臓がギュッギュッと締めつけられるようだった。パンドラの箱を開けたのは自分なんだとわかってはいたが、これ以上、名指しで問いかけるのはやめてほしかった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?