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”差別”じゃなく”区別”を|『フルートベール駅で』

平等な社会といえば、ぱっと思い浮かぶだけで男女平等、民族平等が挙げられますが、そういった言葉を聞くたびに「平等な社会なんて実現できるわけがない」と思ってしまいます。

前もって断ると、平等な社会の実現を進めようとしている社会に対して反発したいわけではありません。単純に、そういった社会を100%完全に実現することは難しいだろうし、実現させなくても良いのではと感じているだけです。

そして垂直に考える”差別”ではなく、面で捉えてグループ化して分けて考える”区別”の世の中になれば良いのになと思っています。

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たとえば男女平等を例に挙げると、ジェンダー間のギャップを埋めるために様々な取り組みが行われています。取り組み自体は良いと思うのですが、それに甘んじてはいけないし、ギャップを利用するメリットもあるよなぁとも思います。

男女平等の取り組み全てをまとめると、表現が難しいですが、立場が弱いと言われる女性の力を高めるためだと感じています。

とはいえ女性であることで悪い思いばかりしているかというとそうではないし、むしろ良い思いをすることも多いです。

以下若干主観が入ってしまいますが、優しくしてもらえるのは1番のメリットかと。そして男性側も嫌々優しくしているのではなくて、ポジティブな感情のもとしてくれていると感じています。違っていたらごめんなさい。

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何を言いたいかというと、異なるものごとを垂直で捉えて優劣をつけるから”差別”の認識が生まれて、「良い悪いと判断するのは間違いだ」という流れに繋がっているに思います。

けれど悪いことばかりではないし、むしろ張本人からすると良いと捉えることもあるのでは。詳しく書きたいけれど、批判が怖いのでやめておきます。

逆に、面で捉えて、分ける必要がある場合はグループ化して”区別”することで優劣が見えなくなるのでは。互いを尊重する気持ちも容易に生まれると思います。

今回はちょっと固めのお話でした。けれどずっと考えつづけていたから書きたかった。”差別”じゃなくて”区別”を、と強く意識したきっかけになった映画を置いて締めます。


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