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仏教を知るキーワード【02】四聖諦 ~仏教の根幹をなす4つの真理~
「生きることは苦」であるという真理を発見したブッダは、さとりへの道を示した
四聖諦(ししょうたい)は仏教の要諦を四項目で示した教説である。
1) 苦聖諦:「生きるとは何か?」と問い続けたブッダが辿り着いた最終的な答えは「生きるとは苦(ドゥッカ,苦しみ、不満足、思い通りにならないこと)」であった。苦とは、生まれること(生)、老いること(老)、病むこと(病)、死ぬこと(死)、愛着する人・ものと離
仏教を知るキーワード【03】中道 ~左右の中間ではなく、超越した道~
快楽によっても苦行によっても何も得られないと知ったブッダは、第三の道を説いた
中道とはブッダが菩提樹下で成道された後に、最初の説法(初転法輪)で説かれた教えである。
当時のインドには、盛大な動物供犠などを通して神々や祖霊の世界に働きかける現世利益のバラモン教、激しい苦行によって輪廻からの脱出を願う様々な沙門宗教、という2つの大きな宗教の流れがあった。
王家の身分を捨てて出家したブッダは、後
仏教を知るキーワード【04】八正道 ~中道の具体的な実践方法~
8つの項目を実践することによって心のポテンシャルは増大し、ついには解脱に達する
八正道(はっしょうどう)はパーリ語から直訳すると「聖なる八支の道」となる。中道の具体的な実践法である。
1)正見:見解を完成に導く。客観的に事実を見て因果関係を理解する。仏教で扱う因果関係とは、生命の「苦(ドゥッカ)」を知り尽くし、それを無くすための因果関係である。つまり四聖諦(苦集滅道)を理解することが正見となる
仏教を知るキーワード【05】因果法則と縁起 ~ブッダが発見した存在の方程式~
無明が生じると苦も生じる。無明が滅すると苦も滅する。
仏教の「因果法則」とはブッダが発見した「存在の方程式」である。
「これがある時はこれがある。これがない時はこれもない。」「これが生じるとこれも生じる。これが滅するとこれも滅する」というシンプルな式だ。
「これ」に記号を入れて説明してみよう。「AがあるときはBがある」は「AがないときはBもない」が証明されることで確定される。同じく「Aが生じ
仏教を知るキーワード【06】無常・苦・無我 ~自己観察によって発見される真理~
3つの真理を体得すれば、あらゆる現象への執着がなくなり、さとりの境地に達する
無常と苦と無我は、「三相」あるいは「三法印」と言われ、存在の「ありのまま」を三つの側面から説いた教えとして知られている。しかし、無常と苦と無我はあくまで自己観察によって発見される「真理」であることを忘れてはならないだろう。
ブッダは生命を身体(色)、感覚(受)、概念(想)、感情・衝動(行)、認識・こころ(識)の「五蘊
仏教を知るキーワード【08】修行 ~ブッダが示した具体的な仏道実践法~
さとりに至るための修行法は37項目に集約され、これを「三十七菩提分法」などと呼ぶ
仏教は「八万四千の法門」と呼ばれ、教えの範囲は膨大だが、具体的な実践法は37項目に集約される。総称して、三十七菩提分法、七科三十七道品などと呼ばれる。その項目とは以下のとおりである。※七科……1)~7),三十七道品……[01]~[37]
1)四念処:4つのチャンネルで、気づき(念)をもって「いま・ここ」の現象を観
仏教を知るキーワード【09】慈悲 ~生命への慈しみこそが仏道の真髄~
慈悲喜捨の四無量心を育てて、あらゆる生命と平等・対等な心理的関係を築く
智慧と慈悲(じひ)こそ仏教の真髄と言われる。智慧の教えは輪廻からの脱出を主眼とし、慈悲の教えは「輪廻のなかで私たちはどう生きるべきか」という生命との関係論に重点が置かれた。輪廻からの脱出を目指すか否かは別にしても、我々が「生きている」限り、慈悲を無視することはできない。
慈悲は生命と平等・対等な心理的関係を築く修行である。
仏教を知るキーワード【10】空 ~すべては因縁によって作られた幻~
初期仏教では「無我」の同義語として扱われ、大乗仏教思想ではとくに重要視された
空(くう)は般若心経の「色即是空」という熟語とともに親しまれている仏教語だ。無常・苦・無我の項でも述べたように、初期仏教では、自己観察を通して五蘊や六処などを無常ないしは苦、あるいは無我と発見すべきことが説かれる。般若心経の冒頭でも、「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空」と記されるように、五蘊は空であると発見
仏教を知るキーワード【11】業 ~善悪の結果をもたらす人間の行為~
未来に向けてどんな心の流れを作るかは、今の自分にかかっている
業(ごう)とは、「人間が身体・言語・こころでなした行為(身口意の三業)は、その行為の質により自らに善悪の結果をもたらす」という教えだ。ブッダは出家在家男女を問わず、世俗で幸福に生き、解脱に達する方法として、業を観察せよと勧めた。「私は業で作られ、私が相続しているものは業であり、私を生んだのは業であり、私の血縁・親類者といえば業であり、