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「エウレカ!」⇒偶然のひらめきではない!

 私の大学生時代、漫画雑誌の『スピリッツ』で、連載し、人気を博していた相原コージ氏は、当時から、「ネタ切れ」で息絶え絶えに漫画を書いていると漫画上で、読者に頻繁に伝えていました。

 以後、体調を崩されたとの話を聞きますが、その正反対にあるのが、あの漫画界の巨匠、手塚治虫氏ですね。

 手塚治虫氏は、昭和の終わりとともに、亡くなりましたが、生涯に残した作品は、約700タイトル、約15万ページと言われています。恐るべし…。ただ、仕事しすぎです。

 亡くなる直前まで、次の作品の構想を練り続けていたと言いますから、ものすごい情熱です。

 手塚治虫氏は、医学博士でしたが、私の注目するのは、単なる医学博士という学歴ではなく、氏が、漫画を描き続ける中で、ずっとさまざまな読書などを通じて、「インプット」し続けていたという事実です。

 先の相原コージ氏は、もしかすると、このような「インプット」が絶対的に不足しており、「自分の体験」だけを題材に、作品にしていたのではないか、そんな感触を私は持っています(外れていたらゴメンナサイ。)。

 「要するに、“勉強”が不足していたんじゃないかと思うんだよね。」と、手塚治虫氏と比較して、相原コージ氏のことを、私が論評すると、周囲は、「いわゆる学歴」のことだと思ったようですが、私の感覚の中には、そういう認識はありませんでした。

 手塚治虫氏は、医学博士という学歴を手にした後も、社会人として、文字どおり、ずっーと、読書などを通じて「勉強」し、頭の中に、漫画の構想の下となる知識を「インプット」し続けていた…、そのことを私は言いたかったのです。

 おそらく、相原コージ氏も、手塚治虫氏に準じるくらい、漫画連載中に、「インプット」し続ければ、漫画のネタには困らなかったのではないか、そんな気がします(素人考えではありますが…。)。

 私も、このnoteに、掲載開始から2年余で、500本以上載せていますが、自分で言うのもなんですが、原稿内容はさまざまで、極端な偏りがありません。

 私は、大学時代は、出来が悪く、勉強をまともにやったという記憶がないのですが、社会人になってから、勉強に(再)覚醒し、以来、資格取得やら、読書通算4,000冊超(社会人以後)というように、勉強してきています。

 私の中では、大学時代に勉強したって話を聞くと、「それってマジ(本当)!?」と真実を疑ってしまう習性がありますが、一方で、社会人になって勉強していないって話を聞くと、「それで、この生き馬の目を抜く現代社会で、よく生き残っていけると思っているな!?」と、否定したくなる気持ちがあります。

 「エウレカ!」とは、ギリシャ語で「発見した!」という意味ですが、古代ギリシャの数学者アルキメデスが、お風呂に入っているときに、浮力に関する原理を発見したときに叫んだ言葉として有名です。

 アルキメデスは、その発見までに、いろいろと勉強し、研究し、インプットし、それを頭の中でこねくり回してたはずなんです。

 それが、お風呂に入って、リラックスした瞬間に、いろいろとこねくり回した考えが、潜在意識の中から、沸き上がってきたのでしょう。決して、何の努力もなし、何のインプットもなしにではなかったはずです。

 芸術家(漫画家も含みます。)や、研究者はもちろんですが、一般人だって、何かを生み出そうと志す人だったら、忙しい仕事の合間を縫って、「勉強」という名の「インプット」は欠かしてはならないと考えています。

 「インプットは、学生時代で終了してしまいました…。(^^;)」

 それは自分で、あの巨匠とは異なる「ネタ切れ」人生を選択しているって、自覚しないと、面白くない人生になっちゃうと思いますよ。

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