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くそほどつまらなかった日々

人生で1番つまらなかったのは間違いなく高校時代だ。暗黒期と言ってもいい。

高校受験の時から、いやもっと手前の中学生だったか、、あんまり「学校が楽しい!」という感覚がなかった。

友達はいたし、彼氏もいた。
運動は得意な方だったし、勉強は特別頑張らなくとも普通にできた。部活は楽しかったけど途中でつまらなくなって辞めた。母親に音楽をやるように勧められたけど、心が踊ったりはしていなかった。残念ながら、言われるがままに、やっていた。

いつからだったのか、心が冷め切っていたように思う。

夢中になって青春してる友達が羨ましかった。
子供には「物事を純粋に楽しむ力」が備わっているはずなのに、私はいつからそれを無くしてしまったんだろう。
もしかしたら小学生の頃から無くなってたのかもしれない。

・・・遡ってみればみるほどに、なぜか私はずっと冷めていたし、とにかく生意気だった。

高校受験の頃にはすでに母子家庭で私立なんかには到底行けないことがわかっていたから滑り止めとしての私立受験をせずに、専願で公立高校へ「とりあえず高卒の資格の為」という気持ちのみで挑んだ。
無謀な考え方。
「落ちたら水商売でもして稼ぐしかないよな」と思っていたが、出来ればタイムマシンに乗って言ったやりたい。周りの大人達よ、この時本気で勉強と進路の大切さを教えるべきだよと。

学校の勉強とは選択肢の幅を拡げるツールに過ぎないけど、それこそが学生時代は重要であるということを、まじで教えてもらいたかった。

周りの大人達に教わって来なかったこともあるし、私自身が大人を見て絶望していたんだと思う。
純粋に将来の夢や希望を持つ力が、この頃にはもうほぼ失われていた。ただ、現実を淡々とこなすことしか、私の人生にはないのだと本気で思っていた。
ものすごく、哀しい灰色の日々だ。


両親の離婚と、母親との関係性、生活環境の変化、貧困が、本来もっと子供らしく生きて良かったはずの私の精神を無理矢理大人にさせてしまったんだと思う。

特に私が母親を支えてあげないと!と強く責任を感じてしまったことで、母にとっての1番の友達にもなろうとしたし、保護者にもなろうとしていた。
毎日本当にキツかった。母親の恋愛相談に乗っていた時間がこの世で1番の地獄だったけど、鳥肌を立てながら頑張って飲み込んでいた。

自分の軸を見失っていたから、本当に仲良くしたい人がどんな人なのかよくわからなかったし、一生懸命同級生にノリを合わせて毎日疲れていて、ずっと何かが削られてる感じがしていた。

ただ、単位を取るだけの為に学校へ行き、なんとなくイベントをこなし、なんとなく友達っぽい人とつるんで、土日はなんとなくバイトをして、なんとなく歌とピアノを習って、なんとなく恋愛をして、心の穴を埋めようとしていた。

不健全だけど、不良とまではいかずにやるべき事のポイントだけは抑えておくタイプなので周りの大人たちには「なんとなく出来る子」だと思われたまま高校を卒業してしまった。

そんなくそほどつまらない日々だったのに、ふとSNSで平成ギャルの文化についての投稿を見かけた時に、懐かしくなり無性にルーズソックスを履いてみたくなった。パカパカの携帯に重いストラップ、バッテリーの中に彼氏とのプリクラ、付き合ったらいちいちメルアド変えてイニシャルとか入れる、ローファーのかかと踏む、指定外のカーディガン着る、スクールバックにデカいヘアクリップとか付けてデコる。全部してたのに、灰色の思い出。


あれから何年もの時を経て、自由や純粋さを取り戻すことができた今の私のまま高校生に戻れたら、きっともっと楽しい日々を過ごせたに違いない。


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