ちゃんなぎ

ちゃんなぎ

最近の記事

春夏秋冬共にして、隣の人の理解を深めた。 感じ方や捉え方は異なり、それぞれの人生の一部でしかないけれど、共有してきた時間によってますます愛情も深まった。今は同じ目標に向かってる。

    • 変わらないわけがないのに

      ここ数年で、一気に知り合いが結婚したり出産したりしているのに私は変わらず独身でいることを、虚しく思うことが正直たまに、ある。 私は何も変わらないじゃないか。 周りは次々に新しい命を生み出したりしてるのに、私は何年たっても自分事の生活に明け暮れている。 なんて、成長がないんだろうか。どうして私はそこに進めないんだろう。と落ち込む。 周りはトントン拍子に順調に人生のステージを駆け上がっていくのになんで私だけは流れに乗れずに、1人の時間を持て余しているんだろうか。 、、、なん

      • 大掃除の休憩中..

        今日は大掃除の日。 寝室とお風呂場が完了して、クローゼットと戸棚の整理の途中でただいま休憩中.…!!! 頂き物のりんごを食べながら一息。 やりたかった掃除が出来ると気持ちはスッキリするけど、腰への負担が半端なく、もうヘトヘト。 お風呂の掃除って無理な体勢でしかできないよね。ギックリ腰になるんじゃないかと心配なレベルなのでピカピカになったお風呂で今夜は湯船に浸かろう。 今日は第一弾として、明日と来週の土曜日にもやる必要がありそうだ。 今年は年末年始の帰省をせず、来月にズラ

        • 再生

          帰省したくなるメロディ

          マニアックになりますが、ほんの少し駅メロ好きでして、YouTubeで関東関西の駅メロ動画を観ていたら出てきました我が故郷の京都市営地下鉄。JRも上がるのですが、地下鉄のあのメロディがたまりません。 最後の扉が閉まる音と走り出した音を脳内再生するまでが完パケ。 たまに帰省してはいるけれど、その場に行くと地元の空気とメロディが自然に溶け込んでいるのであまり意識しなくなります。 それがこうしてYouTubeで聴くと「うああああ帰りたい!!」となる不思議。 ああ、地下鉄自体は空気も薄い気がするし景色は見えないし好きになれないけど、場所×音楽はズルイです。恋しくなってしまいます。

        春夏秋冬共にして、隣の人の理解を深めた。 感じ方や捉え方は異なり、それぞれの人生の一部でしかないけれど、共有してきた時間によってますます愛情も深まった。今は同じ目標に向かってる。

          無理なもんを無理って言った時に後味の悪さを感じるのは私の言い方が下手くそやからなのと、主張を通した時に相手に我慢を押し付けているような気がするからなのだと思う。 でも、自分さえ我慢すればの精神では誰も幸せになれないこともわかっているから結局無理なもんは無理なのだけれど、、、。

          無理なもんを無理って言った時に後味の悪さを感じるのは私の言い方が下手くそやからなのと、主張を通した時に相手に我慢を押し付けているような気がするからなのだと思う。 でも、自分さえ我慢すればの精神では誰も幸せになれないこともわかっているから結局無理なもんは無理なのだけれど、、、。

          いい意味での対抗心

          最近聴いたラジオで、過去の恋人をインターネットで調べたら結構大物になっていてモヤッたというエピソードがあった。 そういやあいつはどうしてるか。 私も、自分でちょっと気持ち悪いなと思いながらも検索をしてみた。 すると、まぁ、それはそれは幸せそうにされており、嫉妬心やモヤっと心はなく素直に「そうかいそうかい、、幸せそうで何よりじゃ、、」とそっとページを閉じたのだが、その後からムクムクと何やら懐かしい感情が。。 気がつくとサクサクと全体公開中のSNSを更新していた。 私もいい

          いい意味での対抗心

          一緒にいられる時間

          今年はパートナーと過ごす時間をたっぷり持てた。 季節ごとのイベントや、2人にとって大切な日、何気ないお出掛けや、家でただゴロゴロの日など、週末のほとんどは一緒にいられた。 それが、本当に嬉しくて、貴重な日々なんだと噛み締めながら過ごしてきた。 一緒にいられる時間は、間違いなく有限であり、尚且つタイミングが合う状態というのは意外と継続しづらいものだと経験から学んでいる。 タイミングは、意識的に合わせようとしても合わせられるものではない不思議な引力のような、バイオリズムのよ

          一緒にいられる時間

          人生で最高の1年になったかも

          「今が一番幸せ」というのを更新し続けてきた。 思えば10代から「自分にとっての幸せとは何か」が人生のテーマでいつもそれを考え、その為に生きていたような気がする。 家庭環境と自分の元々の性格の掛け算によって、「親や他人は自分のことで精一杯だ。私は自分の力で幸せを掴み取るしかない」とマインドセットされていた。 その時から20年近くが経過する中で「幸せ」の定義は変化し続けていった。 今の私にとっての「幸せ」とは、 大前提として生きてることそのものであり、 健康であり、長く続け

          人生で最高の1年になったかも

          この疲れは何だろうかと考えてみると、私はここのところ「心配」ばかりしているなと気が付いた。エネルギーが不足している感じがする。

          この疲れは何だろうかと考えてみると、私はここのところ「心配」ばかりしているなと気が付いた。エネルギーが不足している感じがする。

          死に執着がなかった私が、死ぬのが怖いと思うようになった。受け取り切れないほどに愛情を注いでくれて、体験したことがないくらいの幸せを共有できる大切な人と出逢えたから。ちゃんと力強く生きなきゃと思うようになった。本当にありがとう。

          死に執着がなかった私が、死ぬのが怖いと思うようになった。受け取り切れないほどに愛情を注いでくれて、体験したことがないくらいの幸せを共有できる大切な人と出逢えたから。ちゃんと力強く生きなきゃと思うようになった。本当にありがとう。

          「他人」ていう感じがしなくなってることに気がついた。貴重な日だから、記録しておこう。

          「他人」ていう感じがしなくなってることに気がついた。貴重な日だから、記録しておこう。

          ちゃんと書きたいと思うとつい時間をかけたくなって、でもそんなに余裕なくて、結局書きたいことが溜まっていく悪循環。 抜け出したいなら少しずつ不満足でも書くしかないよなぁ。もう!

          ちゃんと書きたいと思うとつい時間をかけたくなって、でもそんなに余裕なくて、結局書きたいことが溜まっていく悪循環。 抜け出したいなら少しずつ不満足でも書くしかないよなぁ。もう!

          ネガティブが発動するのは失敗した時の心の保険。しょうもない妄想で泣いてるなってわかってる。安心し切っていたいなぁ。

          ネガティブが発動するのは失敗した時の心の保険。しょうもない妄想で泣いてるなってわかってる。安心し切っていたいなぁ。

          嫌なものは嫌でいいよもう。長年の鍛錬によって、ぐっと飲み込んでネガからポジに変換する力がついてるけど、一生切れない縁ならせめて、嫌悪感は誤魔化さないでおきたい。無理なものは無理。合わないものは合わないでいいよ。トラブらない距離感でいよう。心から素直でいればいい。

          嫌なものは嫌でいいよもう。長年の鍛錬によって、ぐっと飲み込んでネガからポジに変換する力がついてるけど、一生切れない縁ならせめて、嫌悪感は誤魔化さないでおきたい。無理なものは無理。合わないものは合わないでいいよ。トラブらない距離感でいよう。心から素直でいればいい。

          過去を捨てて、すべて忘れて真っさらな気持ちになんかなれない。今があるのは馬鹿みたいに頑張ってきた証だから。苦いのもしょっぱいのも知った上で敢えて今、この甘さがちょうどいいと言えるのよ。

          過去を捨てて、すべて忘れて真っさらな気持ちになんかなれない。今があるのは馬鹿みたいに頑張ってきた証だから。苦いのもしょっぱいのも知った上で敢えて今、この甘さがちょうどいいと言えるのよ。

          幸せは与えられるものじゃなく自分自身で掴み取るものだというマインドから、与えられないと得られないものもあるというマインドに変わった。人と生きるってそういうことなのかもしれないなぁ。

          幸せは与えられるものじゃなく自分自身で掴み取るものだというマインドから、与えられないと得られないものもあるというマインドに変わった。人と生きるってそういうことなのかもしれないなぁ。