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フィンランド旅行記録No.3

歩を進め 見渡す街に 唸る丸

カフェを後にし、とりあえず荷物を預けようとホテルに向かう。
中央街から歩いて25分くらいなので、土地勘を慣らすことも兼ねてまずは一度歩いていくことにした。

そこかしこにロマンの塊みたいな場所があってついつい足を止めてしまう
開店前の商業施設 天窓から取り込む朝の光がよきでした

歩いているとわかるのが、建物の低さとグリッド上に整然と並んだ窓の美しさ。
これらの多くが、おそらく1900年代前半から今に至るまで100年近くにわたって外観を損なうことなく遺っていることこそが財産に思える。
この町の人はこうした美しい建築物を当たり前に享受できる環境で育つのかと思うと、遺伝子レベルでの感覚の違いが生まれることももはや仕方がないことなのかもしれないとすら思った。

気を抜いたらすぐアアルト建築に出くわす どんな環境?

街並みとして成り立つまでに時間はかかったのだろうが、その時間こそが歴史となり、文化になっている。
少しでもそういったエッセンスを汲み取りきれるような旅にしたいと改めて感じた道中だった。

あと石畳の道でキャリーケースは重いしうるさいしで大変なので、ホテルまでは絶対乗り物で行くべき。これは今回の教訓。
ガラガラとデカい荷物を転がして、あちらこちらを眺めてはハエーとかウアーとか言うてる丸顔の姿は想像するに耐えない。
この美しく整った街並みに最もそぐわないのは私自身だったのだと気づいて悲しくなった。

澄む心 出くわす宿から 蓄えて

寄り道もそこそこにヘルシンキ中心街から東に歩くこと数十分。9時すぎに辿り着いたカタヤノッカの街並みに佇む此度のホーム、ユーロホステル
朝も早いのでとりあえず荷物だけ預けさせてもらえないかと尋ねると、「もう準備終わってるさかいチェックインできるやで!」とのこと。

ポップなグリーンの看板がお出迎え

これは思わぬ幸運。
さらにさらに、「ちょうど空いてたし、部屋もシングルからベッド二つの部屋にしといたわ!」という嬉しい知らせ。
勝手にアップグレードされてないか心配になったが、もうすでに支払いは済ませているので大丈夫だそう。

純粋な善意というか、器が大きいというか、こういったホスピタリティ溢れる体験に感動しかない。
疑うとか騙すとかそういうことよりも、皆にとっていいならその方が良くない?という雰囲気がかっこよかったし、自分もそう言える大人になりたい。

ついでに言うと、このホテルにはサウナが着いていて、夜は有料になるものの朝は無料で誰でも入り放題。サウナ好きには堪らない。
食事はついていないが各階に共用のキッチンとシャワールームもあって、暮らすように気軽に滞在できるのも特徴のひとつ。
それで4泊5日素泊まりで170ユーロ(28000円くらい)。破格すぎる…
ヘルシンキのユーロホステル、最高でした。トラムからも近いので旅行の際にはぜひ。

ユーロホステルのサウナ室。ちょうどいい温度と湿度でたまらない
(※誰も居ないタイミングでスタッフさんに許可もらったうえで撮影してます)
(本当です)

部屋に着くととりあえず荷物整理と充電…充電が全てを制すのである(?)ということで小一時間部屋でのんびり過ごしてみる。
ワンルームながら落ち着きもあって過ごしやすそうな気がした。ホステルとはいうもののここまで充実度が高いとは思っていなかったので、嬉しい誤算だった。
い。

ベッドにドーン!した後に後悔しながら撮った1枚

青と白 文化に彷徨い 夢うつつ

宿についた瞬間自分の部屋になったような安心感のせいか、緊張感から解き放たれたようにいつもより眺めにインスタを眺めてしまうのは旅行先あるあるではないだろうか(私だけ?)

日本とは7時間の時差なので、ストーリーズに流れるのは夕暮れの故郷の景色。
まだ到着して数時間なのに、夢を追いかけて走り続け、数年前に見たふるさとを思う青年のような顔で目を細める。控えめに言って痛すぎる…

ここで突然のふるさとの景色。
遠い国のベッドで思いを馳せてみた

旅先で無情に溶けゆく安寧の時間ほど無駄なものは無い。
動かねばと息巻いてトラムに乗り込むこと数分。先ほどちょっと歩いてきたので、得意げな顔をしつつヘルシンキ大聖堂へと足を運ぶ。(どこで降りるか分からず二駅くらい前で降りてしまったのは内緒の話)

とろとろと建物の林を抜けていくと、急に視界が広くなり
「待ってたやで」と言わんばかり(?)にそびえ立つ大聖堂がそこにはあった。

 完全にそびえ立ってるヘルシンキ大聖堂
石階段には座る人もいれば、広場でぼうっとする人もいて自由な空間

こんなに急に出てくるのか、と思うほど街との境界の無さに驚く。(教会だけに)
どこにいても、なんとなく存在を感じられるのが市民にとって溶け込んでいるのだと思う。

どんよりとしていた空も気づけば晴れ渡り、聖堂の頂点を眺めると目に入るのは、
同じ色をしているようでちょっと違う、青々と透き通った空の色。
柔らかい海風にぽわぽわとたなびく雲のかたち。
そして泳ぐように飛び交うかもめ。

綺麗で澄んだ青空と、光に照らされて輝く白い聖堂のコントラストが美しく、
まるでフィンランドの国旗そのものを表しているような気がした。

細やかに装飾された柱と空気が読めるかもめ。
マイフェイバリットフォトにつき、待ち受けにしてます

中に入れば、シンプルな内観と慎ましやかなシャンデリア、十字状に広がる座席が眼前に飛び込む。
二階には使われるときを心待ちにしているかのようなパイプオルガンが荘厳な輝きをたたえている。

石灰漆喰で仕上げられた壁や天井、整然と並ぶ椅子と鋳鉄で作られた装飾も美しい
円状の天井と光を取り込む天窓とパイプのオルガナイズ

天井にはいくつかの窓が設けられ、聖堂内を柔らかに照らしていた。
THE日本人の宗教感を持つ私にとって教会は非日常そのもの。にもかかわらず眼の前に広がる神聖な光景には思わず両手を重ね、祈りを捧げるような格好になってしまった。
そう教えられたことはないはずなのに、不思議とそうしてしまった。

椅子からの眺めがまたたまらんのです

しばし座ってゆっくりと眺めているだけで、どこか心が落ち着く。
社寺仏閣にいるときと似たような感覚。
初めてなのに懐かしさを感じながら聖堂を出ると、
広場や階段すらも人々の居場所になっていて、観光客でも地元客でも変わらず楽しめる様子だった。

10時台の広場は騒がしくはないが静かではない 市民の憩いの場

僕らふざけた生き物 脆く ひしゃげた文明の
制約の屋内で 気をずらして外側

『創造』星野源

こうして五感を震わせる街も、場所も、全て人がつくったもの。
その事実だけがまた人を虜にしていくのかもしれない。
これまで一生懸命に作り上げてきた自分の世界は、自分の枠を超えない、というか超えられない壁を勝手に作り上げてしまっている。

ときには感覚の外側から受ける強い衝撃に目を覚ましてみないと、新たな世界は開けないのだなと感じた瞬間だった。
※ちなみに滞在期間中毎日のようにヘルシンキ大聖堂に足を運んではニンマリすることになるほどにはドハマリする場所なので、心の底から名所でした。

やっと観光地の話ができてハッピーな気持ちと、継続する難しさをひしひしと痛感する今日この頃。次回は本場のサウナに飛び込んだ話をしていきます。それはそれは想像のさらにその先の快感でしたので乞うご期待。

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