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DOTAMA×HUNGER+梅本佑利だけが未知の領域に―交響ラップ:クラシックとラップが挑む未知の領域【コンサートミニレポ#14】

交響ラップ
クラシックとラップが挑む未知の領域
Orchestra Remix: Classic Meets Hip-Hop
日時
2024年7月17日(水)
19:00開演(18:15開場)
会場
サントリーホール

プログラム
ヴェルディ/歌劇「運命の力」序曲
N/K a.k.a.菊地成孔 林光/映画『秋津温泉』より「ラストシーン・新子の死」
呂布カルマ サティ/3つのジムノペディ より 第1番「ゆっくりと悩める如く」、第3番「ゆっくり、厳かに」 (ドビュッシーによる管弦楽編)
NENE(ゆるふわギャング) 坂本龍一/Anger – from untitled 01
DOTAMA × HUNGER(GAGLE) 梅本佑利/委嘱作品「MCバトルのための、スーパー・サンプリング クラシック・ボム」(SUPER SAMPLING CLASSIC BOMB FOR MC BATTLE)
HIDENKA ホルスト/組曲『惑星』 作品32 より 第1曲「火星 戦争の神」
志人 ベートーヴェン/交響曲第7番 イ長調 作品92 より 第2楽章

出演
ラッパー:N/K a.k.a.菊地成孔
語部:志人
ラッパー:呂布カルマ
ラッパー: NENE(ゆるふわギャング)
ラッパー: HIDENKA
ラッパー:DOTAMA
ラッパー:HUNGER(GAGLE)
作曲:梅本佑利
指揮:原田 慶太楼
管弦楽:パシフィックフィルハーモニア東京 
MC:湯山玲子


既存曲にラップを嵌め込む5つのパフォーマンスと、梅本佑利の委嘱新作によるDOTAMA とHUNGER(GAGLE)のラップバトルで構成されたプログラム。結果から言えば、既存曲とラップのコラボレーションにはほとんど成果なく、梅本の新作によるラップバトルだけが本コンサートの意義を確保しようとしていたように思える。

「意義」といっても本レポートで問題にしているのはあくまで「音楽的」意義(新規性)であり、クラシック音楽の裾野を広げるというような普及の意義は取り扱わない。そのような一面的な批評はアンフェアだという意見があるかもしれないが、このコンサートが「クラシックとラップの融合による未知の領域」と銘打っている以上、このような態度がむしろ要求されるべきである。というか、普及の意義は論ずるまでもなく客層を見れば明らかだった。ふだんの老人だらけのお先真っ暗な客層と比べれば大違いだ(さっそくヒップホップの影響を受けて口悪くなってる笑)。企画の質を問わず若者やクラシックファン層以外にアプローチすることは、とにかく稼げないオーケストラという団体にとって重要なことだ。私はお堅いクラシックファンではないので(一般的なクラシカル・ミュージック・プロパーですらないので)そんな風に思っている。それにしても、この企画ですらサントリーホールを埋められないというのは何なのだろう。ヒップホップが大したことないのか、それともクラシック音楽が弱すぎるのか……。たぶん後者っぽい。

既存曲でラップを披露した人たちは大きく2つに分けることができる。オーケストラとはほとんど関係なく好き勝手にラップをやる人たちと、オーケストラの音楽に寄り添ってラップを作っていく人たち。その正反対の態度は、しかし結果的には「未知の領域」に到達できなかったという点で同じ穴の狢であるように思われた。

ヴェルディ/歌劇「運命の力」序曲

冒頭に(なぜか)ヴェルディが演奏された。オーケストラと観客のアイドリングのため?ラップのために設置されたと思しきスピーカーからノイズが発生していてまずかった。でもヴェルディが五月蝿いので近くの人でなければおそらく気になってはいないだろう。

N/K a.k.a.菊地成孔 林光/映画『秋津温泉』より「ラストシーン・新子の死」

演奏が始まる前に、菊地が出てきて喋る。放送禁止用語(とされた)言葉を言ったり、サントリーホールは自分が代わりに出禁になるとか言って客を立ち上がらせたりとアジるあたりは流石。でも長く喋りすぎとも思う。オーケストラとラップはそれぞれが勝手に動いているという感じで、菊地の強い個性に対して音楽は後景化してしまう。しかし、よく考えてみれば、この音楽はもともと映画音楽なのである。つまり、この音楽の選択の時点で、音楽の後景化が計算されているように思われる。これが菊地の巧みなところである。まあ、個人的にはこの音楽が単体で上演される機会はほとんどないので、音楽の方を聴いていたかったという気持ちはある。

呂布カルマ サティ/3つのジムノペディ より 第1番「ゆっくりと悩める如く」、第3番「ゆっくり、厳かに」 (ドビュッシーによる管弦楽編)

ラッパーが最近炎上した。それはまあいいや。しかし、そういうイメージからもう少し尖っているのを期待していたが、なんとサティに全乗っかりである。勝手にラップを走らせる菊地とは逆に、音楽に馴染ませていく。こうなってしまうと、もはやよくある朗読音楽と大して変わらないものとなる。「家具の音楽」という概念がそもそも後景音楽を志向しているということを考慮するとき、この上演の成否が問われることになるだろう。

NENE(ゆるふわギャング) 坂本龍一/Anger – from untitled 01

坂本の《Anger》に乗る形で怒りをぶつけていくラップである。ところどころバーベリアンっぽさもあり、選曲もアプローチも相対的には良かったと思う。

DOTAMA × HUNGER(GAGLE) 梅本佑利/委嘱作品「MCバトルのための、スーパー・サンプリング クラシック・ボム」(SUPER SAMPLING CLASSIC BOMB FOR MC BATTLE)

この企画に梅本を委嘱した、その一点だけでもクリエイティブ・ディレクターの湯山玲子は賞賛に値する。日本で(世界で、かもしれない)これ以上に期待に応える作品を提出できる者はないだろう。生演奏でもネット上でも、少なくない数の梅本作品を見てきた私だが、これがベストかもしれない。クラシック音楽の文脈、ヒップホップの文脈、資本主義社会、日本という国、サントリーホールという場所、そして2024年の現在、あらゆる文脈を拾い上げながら、ラップバトルのエンターテインメント性を引き継いでおり、さらにそれでいてバッハを借用するなど近年の梅本らしさも全開である。そして、梅本の器楽曲で要求されるヴィルトゥオージティが、この作品では、何とラッパーに課せられるのである。DOTAMAとHUNGERがそれに、完全に応答することができたことが、この作品の成功を決定づけた。通常のラップバトルではあり得ない複雑なリズムに言葉を乗せていくことができたのは、二人の技量ゆえと言える。HUNGERがド派手なMC湯山玲子の衣装をしっかり弄っていくあたりもさすがだった。もう一人、ヴィルトゥオージティを要求された、ウクライナ出身のビルコーヴァ・イリーナも見事な演奏を披露した。プロオケとしては安定感が課題のPPTにとって、この打楽器奏者は大きな強みになる。

HIDENKA ホルスト/組曲『惑星』 作品32 より 第1曲「火星 戦争の神」

5拍子と言えばこの曲というほどよく知られた「火星」を選択したことがどうだったか。HIDENKAは拍子を理解しているようには思われなかった。必ずしも音楽の拍子にラップを沿わせる必要はないかもしれない。しかし、5拍子の音楽に対して4拍子の身体感覚で挑んでしまうのは致命的と言わざるを得ない。逆ならまだ良い。4拍子というそれこそクラシック音楽(ここでの「クラシック」には現代のポップ・ミュージックさえ含まれる)の権化のような身体感覚を晒してしまう無自覚さが、「交響ラップ」の孕むもろもろの問題への無自覚さに通じているように(直前のMCバトルが上述したような出来だっただけに)感じられた。

志人 ベートーヴェン/交響曲第7番 イ長調 作品92 より 第2楽章

ラップというより、ほとんどベートーヴェンの交響曲のオペラ化ないしミュージカル化である。HIDENKAとは正反対に志人はクラシック音楽のことをよく理解しているのだが、少し知りすぎてしまったかもしれない。このような方向性はありなのだが、「交響ラップ」の枠組みとしては、既存のメディア(オペラやミュージカルといった)に寄り掛かりすぎるこの上演はふさわしくないように思われた。この人はこういうことをやりたいのだろうなというのはひしひしと伝わってくるので、だれかオペラか何かを委嘱してあげると良いのではないだろうか。

次回がもしあるとすれば……

梅本作品はラップと音楽の双方の可能性を拡張するもので、傑作である。これがDOTAMA×HUNGERだからできたのか、他の人たちもやろうと思えばできるのか、少し気になる。この音楽限定のラップバトルがあれば見てみたい。ラッパーたちの本当の(音楽的な)実力が暴かれることになるだろう。
全体としてもコンサートとして決して悪いものではなかった。しかし、「未知の領域」に到達したかといえば、音楽とラップが別々に進行することにより相互作用が全く効いていなかったり、言葉と音楽が交差する既存のメディア(朗読音楽、声楽、オペラ、ミュージカル……)と本質的に差異が見出せなかったりと、不十分な点が多かったと思われる。

クラシックとヒップホップのコラボレーションに意義があると言うなら、それはそれでかまわない。かまわないが、既にある音楽の一つのヴァリアンテにしか過ぎないという自覚くらいは持っておくべきだろう。

企画自体は野心的で爆発する可能性を秘めている(ことは梅本作品で証明された)。音楽界もヒップホップ界もこのコラボレーションに熱意をもって臨むことができるなら次回以降も開催の意義があるだろうし、「まあ別にどうでもいいや」と業界人たちが思っているのならこれ以上の発展は期待しない方がよいだろう。

(文責:西垣龍一)

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