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【創作】ボールフォア

野球の硬式ボールは、縫い目がいくつあるんか、知ってるか?監督が、いつか、そんな質問を、俺に、したなあ。

秀雄は、マウンド上で大きな息を吸い、吐き出した。



9回裏。スコアは0対0。ツーアウト満塁。フルカウント。あと一球で打者を討ち取れば、延長戦に入る。あと一球で、この場を凌げば。

キャッチャーの慎太郎が、ストレートのサインを出した。そして、両手を大きく広げた。

コースは、もう、どこでもええ。ボール球だけは、やめようや。ストライクゾーンに、渾身の速球を、思い切って投げてこい。そうそう打たれへんて。打たれたら、打たれたときのことや。

秀雄には、慎太郎の祈るような気持ちが、伝わってきた。



秀雄の学校は、甲子園には縁遠い、でも距離だけは甲子園にほど近い、兵庫県の県立高校である。万年1回戦負け。青春は、たった一日で潰え、みんなその日は泣き尽くすが、翌日には予備校の夏期講習探しが始まる。毎年の三年生の最後の、野球を忘れるための儀式の日が、夏の予選の日なのである。

昔は、地区予選を甲子園でやっていた時代もあり、そこで甲子園の土を踏んだ代もあると聞く。

なぜ俺達には、そのチャンスは無くなったんやろ。いや、それは、全国の球児からしたら不公平や。球友と、そんな駄弁をたたかわせたこともある。


秀雄は、アンダースローだった。しかも、左投げだ。左の、完璧なアンダースローから投じる球は、全国のどこを探しても、そうそう、お目にかかるものではなかった。

秀雄は、阪急ファンだった。投手の山田久志が大好きだった。だから、アンダースローで投げ始めた。野球ではアンダースローのことを、サブマリンという。潜水艦のように一度潜って、そこから浮上しながら球を投げ出すからだろう。

中学までの野球では、投手は、速い球を投げられる選手が、なる。あるいは、突出してコントロールの良い選手か。球速がそれほど出せない、でも、コントロールはいい投手のひとつの逃げ道が、アンダースローだった。

だが、左利きの投手は、サイドスローはいても、深く沈むアンダースローは、ほぼ、いない。秀雄は左利き。しかも、完璧なアンダースロー。球も、速い。少年野球チームに入団した時、コーチが、うなった。

なんちゅうやっちゃ。こんなん、見たことないわ。

秀雄が頭角を現すまでに、そう、時間は、かからなかった。


アンダースローというのは、世の中に、そうは、いない。しかも左利きとなると、天然記念物のようなものである。しかも、秀雄は、球速が、ほどほど以上に速かった。

対戦相手の各バッターは、打ちあぐね、面白いように三振の数を伸ばし、凡打を積み上げる。神戸市という狭い地域の中ではあるが、左の速球変則投手の名は、中学時代は、かなり有名だった。事実、何校か、野球で有名な高校から、学費免除で推薦の誘いもあった。


そんな秀雄だったが、ひとつ、大きな悩みというか、恐れがあった。

というのは、左のアンダースローというタイプの投手が世の中にいないために、球審が、なかなか、ストライクをとってくれないのである。つまり、秀雄の球筋を読みあぐねて、ど真ん中近くでないとボールと判定する球審が、ほとんどだった。特に、際どい球は、いくら秀雄と慎太郎が、ベストショットだと思っていても、無常にも「ボール」と、判定されてしまう。

秀雄のベストショット、いや、ウイニングショットは、外側からベースの左端に食い込んでくる、大きなスライダーだった。今まで小学校から中学、高校まで、公式戦でこの球を投げ込んで、ストライクと判定されたのは、残念ながら、10%にも満たなかった。


慎太郎とは、少年野球チームの頃から、ずっと、バッテリーを組んでいる。だから、秀雄の何もかも、全てを知り尽くしている。切っても切れない縁の、真の相棒である。


秀雄は、慎太郎のサインに首を横に振り、プレートを外した。するとすかさず、慎太郎はタイムを球審に告げ、内野手を手で制して、ひとりでマウンドに近寄った。

マスクをとり、秀雄に目を合わせ、ミットで口を隠して秀雄に声をかけた。

おまえ、ウイニングショット、投げたいんか。

秀雄は言った。

そや。

でも、ここであれは、危険やろ。球審、とれへん可能性が大やで。

見逃されたら、可能性が、めっちゃ低いぞ。

それでも、いくんか。

秀雄もグラブで口を隠していたが、ゆっくりと頷いた。

しばらく静寂があったように思えたが、それは、一瞬だったに違いない。

慎太郎は、言った。

わかった。青春の最後をかけて、心中やな。お前と。

そして、マスクを付け直し、ミットで秀雄の左肩を、ポンと叩いて、ポジションに戻り、球審に一礼して、しゃがんだ。


球審が、右手のひらをあげて、コールした。

プレイ!


相手打者は、4番。だが、左打者だ。だから、秀雄の繰り出すアンダースローからの膝下のスライダーは、まともに打ちに行けば、ボテボテのセカンドゴロか、ファーストゴロ。それでチェンジだ。


慎太郎は、もう、サインを出さない。ゆっくりとミットを下に構え、打者ににじりより、膝下に構える。

秀雄は、無いサインに大きく頷き、胸のところで一度静止したセットポジションから、渾身の一球を、投げ込んだ。


相手打者は、自分に向かってきた球を避けるように仰け反りながら見送り、ボールは、慎太郎のミットにおさまった。

パーン!


絶妙の。いや、絶妙すぎる、生涯最高のウイニングショット。高さもコースも、文句のつけようがない。ボールは、ホームベースの左隅を、確実にかすりながら、延長戦突入の雄叫びをあげた。


球審の右手と頭は、かすかに、ピクリとした。

だが、ゆっくりと姿勢を戻し、ファーストベースを指さして、こう、コールした。


ボール、フォア!


バッターランナーは、バットを静かに置き、ファーストベースへと向かう。そして同時に、サードランナーが、ゆっくりと、歩いてホームベースを踏んだ。


それと同時に、秀雄たちの青春が終わった。




もう、あれから、何十年が経っただろうか。

毎年、夏、お盆休みに、野球部の同期の連中で集まるのである。そして、いつも飲み屋で、こんな話になる。


あの一球、あの一球やで。

どうせやったら、サヨナラ満塁ホームランで幕引きの方が良かったなあ。

いやいや、あれは、入っとったやろ。

球審が、見る目、なかったんやで。

でも、あそこで、内角低めのスライダーか?左対左で。

泣くに泣けんわ。一球に泣く、やな。

勝ったら勝ったで、かったるかったで。

秀ちゃん、ごめん、洒落やん。

いや、駄洒落や。

ヒデー!!

秀雄のヒデは、優秀の秀。

野茂英雄とは、違うのよ。

レフティサブマリンとトルネード。

ほんま、全然ちゃうな。

秀は、自責点、0なんちゃうん。

ランナー全部、守りのエラーやし。

でも、どうせ負けるんやったら、華々しく、散りたかったな。

まあ、負けは、負け。

打てへん俺らも、悪いんよ。

予備校に早く行けたから、拓ちゃん、京大にいけたんちゃうん。

タカヒロも、阪大やん。

ヨッシーは、神大やし。

でも、フォアボールやろ。

そりゃ、エラーもできひんな。


まあ、秀ちゃん、気にせんといて。


みんな、感謝してんねん。


ホンマは。


秀雄の生涯最高のウイニングショットは、毎年、酒の肴である。盛り上がれば盛り上がるほど。しかも、盛り上がり切った、もう帰ろうかという、9回裏の、2アウトからの、ダメ押しイジリ大会である。


秀雄と慎太郎は、それを、静かに、笑って、ただ、聞いている。ふたりとも、決して、おとなしい訳ではない。そこでの発言を、あえて、しないようにいているのだ。2人だけは、ベストショットだったという、最後の感触を、思い起こしている。



秀雄たち同期は、このご時世で、去年から、みんなで集まることを、しないでいる。



今年の夏、慎太郎から、メールがきた。

そこには、こう、記されていた。


あのときの球は、ちょうど108球目やったな。

それまで、ええ投球やった。
最後、みんなのエラーで満塁には、してしまったけど。

監督が、よく言っとったやろ。
ボールの、縫い目の数のこと。

あの一球を、みんな、きっと、永遠に忘れへんやろな。

いまは、みんな、それぞれ、いろいろ、抱えてる。
でも、あの時のことを忘れんで、なんとか乗り超えていってるんやと思う。

縫い目も、球数も、煩悩の数。
俺らは、毎日、毎日、自分の煩悩と、戦ってる。

あの球は、生涯最高の、ベスト・オブ・ザ・ベストショットやった。

ほんまに。

人類史上で、最高やった。

できたら、あの仲間で、本気で甲子園目指したかったな。

まあ、無理な話か。夢やな。それは。

時勢が落ち着いたら、また、みんなで会おか。
あのフォアボールを、酒の肴にして。

今でも、あのボールの感触、覚えてるで。

俺の、永遠の、心の支えや。



秀雄は、そのメールを、通勤帰りの、電車の中で、読んだ。

なんだか、ひとりでに涙があふれ出してきて、誤魔化すのに困った。



ひとしきり誤魔化して、落ち着いて、電車を降りて。

ゆっくりと歩きながら、祈った。

このご時世が落ち着きますように。

世界中から、ありとあらゆる闇が消滅し、安寧がやってきますように、と。


東京で見上げる星空は、星は、数えるほどしか輝いていなかったが、ミルキーウェイが見えたような気がした。


なんだか、しんみりした夜だった。


-完-


この創作は、タイタンさんの企画に出したこの記事の元になった、私の空想である。

野球をご存知ない方には、ちょっと理解し難い用語が出てきたかも知れない。脚注をつけようかと思ったが、まずは、脚注無しで投稿しよう。不都合があれば、また、注釈を随時追加しよう。そう、思った。

この作品、超短編と公言していたのだが、そこそこ、文字数が増えてしまった。もう少し、推敲すべきだろうが、とにかく私は、創作は、大の苦手なのである。

だから、これで、いいのだ。

野球で、振り逃げというのが、ある。

ここは、書き逃げで、お許し頂きたい。















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