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傷だらけの白球に願いを込めて


大学入学後、6月。私は野球部のマネージャーになった。
日陰をつくる屋根も風を遮るベンチもない、外野の向こうに草が生い茂るグラウンド。汗のニオイがこびりついた低い天井の部室には、扇風機はおろか扉さえない。暑いも寒いも、雨も雪も強風もすべてを真正面から受け止めるその場所で、15人の1年生と顔を合わせた。

よろしくお願いします、と恐る恐る首を下げた私への反応はバラエティーに富んでいた。うおお〜!と獣のような声をあげるデカい人。こちらを横目でジロジロ見ながらプロテインを飲む小柄な人。一切興味のなさそうな無表情の細い人。コの字に並べられた椅子の真んなか、どこを向けばいいかわからず背中が縮まった。


勝った日。
負けた日。
悔しさに震える背中に声をかけられなかった日。
優勝の瞬間に観客席でひとり涙を流した日。
それらの狭間にある、地味でありふれた鍛錬の日々。


泥に塗れてぎらぎらと輝く15人と過ごした日々。

心の奥にしまってある「野球部」の引き出しを、すこし大きく開いてみる。



真髄

なんでこの人が? という疑問は、どこの世界にも存在する。

何事もそつなくこなすピッチャーの川本は、グラウンドで自主練をしない。「今日彼女くるから帰るわ。」と平気で言って帰っていく。けれどたしかな実力を持つ次期エース候補。爽やかに、淡々と、自分のペースで無理なく練習し結果を出す。来る日も来る日も自主練をする控え選手を見ながら、正直、神様は不公平だなあと思っていた。

しかし、違った。それは徐々に明らかになった。川本のスパイクは、練習で泥だらけになっても、強い風で砂埃に晒されても、次の日には絶対ぴかぴかになって現れる。彼はグラブを両手で置く。たとえ片手でも壊れ物のように、そっと。気の利く会話上手とは言えなかったが、アイシング用の氷嚢を受け取るときは必ず目を見てお礼を言う人だった。

染みついたそれらの所作を目にするたび、彼が今の立ち位置にいる理由が何となくわかった気がした。そして彼がこのチームを引っ張るエースになるのだろうなと実感した。根拠はないが、自信があった。

道具を大切にする。伝わるように感謝を届ける。
誰もが知るそれらの常識は細やかなところに日頃の意識が現れ、それはやがて「信頼」になるのだと知った。小さなひとつひとつの積み重ねによって初めて生まれ、たしかな糧となるもの。もしかしたら、ガムシャラな練習よりも大切なもの。私は人として忘れてはならない心がけを、彼から身をもって教わった。


ひと声

それは32度を超える猛暑日だった。

当たり前だが、暑い。スクイズボトルもキーパーも、秒速で中身が減っていく。…あれ。私、水分を補充するために来てるんだっけ? いつもより多めに氷をぶち込みながら、ここ2時間での補充回数を思い返してうんざりする。あー。あっづい。

「やーばい、あつすぎ〜」

長い脚を生かすファーストのかっちゃんはあまり感情が表に出ない。温厚で優しく、しかし何を考えているかイマイチわからない人だ。のんびりと力無く笑いながらこちらへやってきて、5ミリくらいの目を2ミリくらいにしながらゴクゴクと水を飲む。音が聞こえてきそうな飲みっぷり。こんなときでもかっちゃんはかっちゃんだな、なんて思っていると、彼の2ミリの目が、ぱちっ、と開いた。

うまっ。

1センチ見開いてつぶやいた彼のひと声が、じんわりとこだまする。
誰かに向けた言葉ではない、何てことないその一言は、うだるように立ち尽くす体にとてつもないパワーをくれた。もしかして私は、ヘトヘトの部員が自分の用意したもので少しだけ活気づく、この一瞬のために野球部にいるのかもしれない。部員総出でサプライズのプレゼントをもらうより、仰々しくお礼を言われるより、マネージャーとしてのやりがいを一番感じた瞬間だった。

かっちゃんの心から漏れ出たあの日の「うまっ。」を、私はきっと忘れられない。



ナイスバッティング

グラブが体の一部になっている彼を目にするたび、思うことがある。

外野手の航太郎は息をするように白球を握り、追い、打つ。それは上達のためというより、日常であり当たり前。私は高3までソフトボールをしていたが、9年もやっておきながら、そんな感覚で練習をしたことがなかった。経験者ではあるけれどそれが役に立ったことがない。プロ野球ファンでもない。こんな私になにができると言うのだろう? マネージャーをする上で強みだと思っていたソフトの経験が、時折わけもなく自分の肩を重くする瞬間があった。

航太郎のトスバッティングの相手をしながら、次々トスを出す流れ作業に任せて、ついボールと一緒に心の内を投げかけてしまった。航太郎見とるとさ、私がソフトしてた意味ってどこにあるんかな〜って、たまに思うわ。

あ、しまった。すでにその言葉は宙に浮いていた。言うつもりなどなかった心のわだかまりを、航太郎はカン、と気持ちのいい音を立て、フルスイングで呆気なくネットに放り込んだ。彼は話し出した。話は、1年前の秋大会まで遡る。

航太郎は1年生で唯一のスタメンで、ヒットを打ち勝利に貢献した。それは私にも記憶がある。問題はそのあとだ。彼は話し続ける。試合後、バカみたいに喜ぶ私は、初めて見るテンションの高さで「よかった…!よかったね…!!」と彼に声をかけた、らしい。原文まま。まだそんなに仲良くなかったのにびっくりした、と。

「ずっと覚えとる。打った俺より喜んでくれるんやなって、めっちゃ嬉しかったよ。実際にソフトしとったからこそ、そこまで喜べるんやろうなって思ったけど?」

経験者であることはつまり、わかりすぎることだった。練習を重ねたのに同じミスをする歯痒さ。修正できない自分のフォーム。一歩目の判断の難しさ。どれも身に覚えがあり、だからこそ、安易な励ましすら言えなかった。その「言えない」が、マネージャーとしての不安に繋がっていた。試合に感情移入しすぎるのもあまりよくないと思っていた。一番思っているのは選手なのだから。しかし航太郎はそれを当然だと肯定してくれた。そして、最後にこう言った。

「あんま考えすぎんなって!」

思わず笑ってしまう。うん、その通りだ。なにを自分に期待していたのだろう。コーチでもないのだからアドバイスなんてできなくていいし、しなくていいのだ。そりゃそうだ。経験者である過去を勝手に背負い、勝手に不安を感じていた自分がバカらしくなった。私になにができる? 今こうして寒空の中でトスを出している。答えはこれでいいじゃないか。

ありがとうと改めて言うのも照れくさかったから、自主練後に気まぐれを装って自販機のジュースを奢った。冬の暮れに飲むほっとレモンは心の中まであたたかさが沁み渡る。ウェ〜イ奢ってもらった〜!!と大声で自慢した航太郎のせいで5人分自販機に費やすことになったのは、そのすぐあとの話。

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挑戦している君へ

2年生の終わり。私は野球部を辞めた。
みんなには関係のない理由。いや、少しはあるけれど、私の問題だ。大学生活を捧げた丸2年、ここまで書いたような素敵な思い出ばかりであるはずもない。嫌な思いもした。苦手な人もいた。

でも、それでも。

#挑戦している君へ

その文字を見て真っ先に浮かんだのは、15人の顔だった。うるさくて、調子のいい、私のことを母親だと思って何でもかんでも頼むくせに、堅そうでとっつきにくいと少し思っている内心が隠しきれていない、野球が出逢わせてくれた15人。彼らのことを忘れるなんて、できるはずがなかったみたいだ。

引退試合は観ていない。行けなかったと行かなかったが、半分ずつ。退部について後悔したことはほとんどないけれど、みんなの引退試合を観てもそう思えるかは自信がなかった。自分勝手な理由。

もうきっと会うことはないだろう。だから私は、ここで静かに願う。

目標に向かってもがきながらも努力を重ねたみんなが、社会に出ていくこれからもそうやって、明るく前を向いて頑張れますように。
夢に突き進む背中が、今もどこかで輝いていますように。




みんなへ

4年間の野球部生活はどうでしたか。最後の勝敗結果くらいは知ってるけど、みんなはそれをどう思ってるんやろう。どんな進路に進む?野球を続ける人はいる?

あのね、
みんながバットを構える背中は、めいっぱい身体を伸ばして飛び込む表情は、ボロボロのユニフォームは、歯を食いしばってダイヤモンドを走り抜く姿は、

悔しいぐらい、かっこよかったよ。
最後の日にすら言えなかったけど、そんなみんなを応援してる時間が、私は本当に大好きだった。

途中で辞めた私だけど、それだけは信じていてくれないかな。

そして、野球に懸けた大学生活を誇りに思っていてほしい。これからの自信にしてほしいな。誰が何と言おうと、華の高校球児を終えても野球を追い続けるみんなは、最高にかっこよかった。


輝かしい思い出をありがとう。たくさんのことを学ばせてくれてありがとう。日焼けして、汗かいて、白球に願ったあの日々は、私の宝物です。

4年間お疲れさま!
これからもみんならしく、頑張ってね!

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