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お年玉

私の母は、ちょっと変わった人だった。言葉もキツい。性格も、キツい。でも、愛情深く、過保護で。

私は、凝り性のところがある。気に入ると、飽きずに、ずっと、ひとつのことに拘ったりする。ちょっと困った子供だった。

そんな私だったからだろう。母には、私がこだわり、大切にしているものを、よく、一夜にして一掃して隠されたり、捨てられることがあった。

私は、大切なものが無くなっていることに驚いて、どこに隠したのか母を問い詰めるのだが、一切答えない。そして、そもそも、自分がやったとは、絶対に認めない。

少し後になって、分かったことだが、本当に、捨ててしまっているのだから、隠したどころではないのだ。どこにも、あるわけがない。

そして、自分がやったと認めないのは、今から思えば、母なりの信念があったのだろう。

いくつか、そういう事件があったのだが、そのうち、私自身、大いに反省することになった事件を書こう。

小学校に、上がる前のことだ。

今は、プラレールなどがあるが、当時、私が持っていたのは、レールも電車もブリキのおもちゃだった。私には5つ年上の兄がおり、すべて、兄のお下がりだったが、当時としては、かなり高価なおもちゃだったのではないかと思う。

ひょっとしたら、誰かのお下がりの、お下がりだったのかも知れない。

私は、それが大好きで、ずっと、その線路をつないで走らせては、眺め。それをまた、付け替えては眺め。走らせていた。

ある日、線路を繋いでいたところ、手を少し挟んで切ってしまったのだ。血が流れ、恐らく、大げさに泣いたと思う。

そして、言ってしまった。

もう、これでは、遊ばない。捨ててしまって。

と。


翌日、遊ぼうと思っておもちゃ箱を覗くと、ブリキの電車セットが、無い。

不思議に思って母に問うたら、

神様が、捨ててしまったんやろ。

あんたが、捨ててって言ったから。

……。


そこからの記憶は、実は、あまり、無い。確実に言えるのは、それから、電車遊びを全くしなくなってしまったということだけだ。

それから、半世紀以上の時を経た。年末に、トミカを買いに行ったとき、もう、忘却の彼方に置き忘れた感情が、ふつふつとわき上がってきた。

あの頃のトラウマがあった。だが、家内が好きな新幹線。私の、思い出の新幹線。それを、急に、身近に置きたくなったのである。

じつは、まだ、開封していない。

机の上は、雑然として狭い。片づける時間も無く、どこに置こうか、迷っているのである。

正月のあいだも、時々、箱を眺めては、どこに置こうか、悩んでいた。今も、そうだ。

家内が、言った。

まだ、開けないの?せっかく、買ったのに。

私は、

まだ、悩んでるんだ。どこに置こうか……。

そう、こたえた。

すると、心の中の、リトルkojuroが、呟いた。

あの時捨てられたのは、単に、本当に危ないと思ったからじゃないのか?

そうだったの?ほんとうは?


母に聞こうにも、もう、母は、こたえてくれることはない。

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