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「自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、ただそれだけが人の行ひを罪としない。」 (中原中也)…

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「自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、ただそれだけが人の行ひを罪としない。」 (中原中也) ・・・・・・思考停止して、親や教師、上司や年長者など権威に従ってると、いつの間にか犯罪者にされてしまうかも。 村上主義者

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村上春樹「1Q84」を考えた時のスライド

    • 心臓弁膜症の診断と手術

      あれから2年 「完全房室ブロック」という病気で救急搬送されて、ペースメーカーを植込んでから約2年が経過した。 当時のことは、ここに記録がある。 【コロナの最中、2021年12月に救急搬送された記録】https://note.com/n_ikoma/n/n5afa1f1d0175 退院後、初の検査は手術から3ヶ月後。 以降は半年ごとに検査を受けてきた。 心臓の検査というよりも、ペースメーカーの検査だ。ペースメーカーの会社の人と技師によって行われ、シャツの上から胸に小さな箱を置

      • 村上春樹「1Q84」を読んで感じたこと、考えたこと

        2011/3/30 柳屋敷の老婦人は「既得権益層・権力層」の、タマルはその支配下の「暴力装置・治安組織」のメタファという風に読めば、現在の日本の問題とダブって感じられます。 思考停止によって罪を犯してしまうが、途中で自分の行為に気づいて自殺しようとした青豆は、上司の命令で犯罪に加担してしまった優秀な官僚にも思えます。 セーフティーハウスの爆発してしまったドイツシェパードは、証拠改竄で捕まった某元検事を思い起こさせます。 リーダーや戎野先生は、国家の理想を目指す革命思想家ですし

        • 村上春樹「1Q84」を外形的構造から読み解く

          村上春樹「1Q84」に関する私的メモ。 Book1,2は、奇数章「青豆の物語」、偶数章「天吾の物語」いずれも天吾が別々に書いた小説であり、後から1章づつ交互に並べ直されたもの、という体裁を取っている。そして異なる物語を、平行して進む1本の小説とする際、そしてBook3の必要性を感じた時点で一部書き直された、という外形的構造を持っている(と考えている)。 「青豆の物語」Book1の第1章から第13章までを書いた段階で、著者である天吾に「空気さなぎ」をリライトする話が舞い込み

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        村上春樹「1Q84」を考えた時のスライド

          村上春樹「1Q84」についての考察

          「こうであったかもしれない世界」とは、「あの革命がもし成功していたら」という世界ではないか。オウム(Aum)を象徴するのは「さきがけ」ではなく青豆(Aomame)だ。大半の読者や評論家は「リーダー」の風貌の記述に引きずられている。 村上春樹は中沢新一のような失敗を避けるために、物語の要素をわざと混ぜ返したのではないか。しかし要素間の関係、つまり「構造」は明確に記している。注意深く読めば、村上春樹がジャスミン革命の指導書を著したジーン・シャープのような役割を果たそうとしている

          村上春樹「1Q84」についての考察

          「風の歌を聴け」の冒頭から村上春樹を考える②

           冒頭の言葉と対になるように、最終章の最後はデレク・ハートフィールドの墓碑に刻まれた「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか。p196」というニーチェの言葉によってこの小説は終わっている。   <僕>を診察していた精神科の医師の言葉を借りるなら、「もし何かを表現できないなら、それは存在しないも同じだ。p33」。  夜の闇の奥底に潜み昼の光に晒されない「完璧な絶望」は、「存在しないも同じ」である。そのようなものを表現する「完璧な文章などといったものは存在しない」そういうこと、なの

          「風の歌を聴け」の冒頭から村上春樹を考える②

          「風の歌を聴け」の冒頭から村上春樹を考える

           動物の象と、その調教師である象使い、・・・・・・「象のサーカス」のようなイメージへと読者を誘導するこの文章は、読者にそこに何らかの意味が隠れていることを感じさせる意味深な「比喩表現」だ。  が、暗喩のように見えるこの文章は比喩ではない。かといって文字通り「象のサーカス」を描写しようという話でもない。  この文章の「象」は、「動物の象(ぞう)」ではなく、字義通りの「象(しょう)」だ。漢字:「象(しょう)」の本来の意味は、「物の形・目に見えるすがた」なのだ。著者は、「象」と「象

          「風の歌を聴け」の冒頭から村上春樹を考える

          救急搬送から手術の記録

          【64歳・男、既往症:高血圧】 12月7日 朝7時頃に起きたとき、何とも言えない不快感。動き出したら落ち着くかと思ってそろそろと起き上がり出勤準備する。 パンとコーヒーで普通に朝食を取り、区役所に用事があったので、車で区役所に向かう。意識はハッキリしてる。座っている時は立ってるときより大丈夫な感じ。 区役所の地下駐車場に車を停めてエレベータで1階へ。エレベータホールとロビーの間で急に身体が崩れ落ちた。視界が暗くなった感じではなく気づいた時にヘタリ込んでた感じ。バタンとではなく

          救急搬送から手術の記録

          mixiから引っ越し

          村上春樹 「1Q84」 に関する、私の個人的ノート(覚え)です。 読んでおられない方は、どうぜんにスルーして下さい。 これは、facebook のノートを転載したものです。 本来、他人様(ひとさま)にお見せするような文章ではなく、個人的「覚え」であり、また、太字やアンダーラインが消えてしまったり、コメント欄の追記を後にして、読みにくいと思いますが・・・。 ------------------------------ 2011/3/30 柳屋敷の老婦人は「既得権益層・権力

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          zoom meetingの視線。

          zoom での会議が増え、操作に慣れてきたら「視線」か気になるようになってきました。 リアルの会議では必要に応じて相手と視線を合わせるけれど、zoomでは合わない。目線が下に向いてる人がほとんどだ。 原因は「カメラの位置」だ。ノートPCの内臓カメラは普通はディスプレイの上部に付いている。ディスプレイに映る相手の顔を見ていると、カメラは視線より上から撮るから、見下ろしているように、というより視線を下げているように見えてしまう。 それに気づいてから、相手と視線を合わせたいと

          zoom meetingの視線。

          起て、万国のインテリよ!       森 下 泰 1955年度会報

          起て、万国のインテリよ!                     森 下  泰  1955年度会報  「起て、万国の労働者」という標語を、度々吾々は耳にしてきた。同様に、「起て、万国のインテリよ」と昂然と世界に呼びかけようではないか。それは、JC運動の、歴史的な社会的な然も本質的な、存在意義にかかわる重大な問題である。  インテリとは、単なる知識を指すものではなく、況や学校出と言う様な愚かしい概念といささかの関連もない。客観的思考と認識とそして志向(ゾルレン)を自立的に具

          起て、万国のインテリよ!       森 下 泰 1955年度会報

          論説 JCに対する世の批判に応ふ   森 下 泰 1952年度会報

          論説 JCに対する世の批判に応ふ                   森 下 泰                      1952年度会報  "出る釘は打たれる"と言ふ訳か、三年目を迎へるにつけ、そろそろJCに対する様々の批評が行われ始めた。出る釘は何でも之を打つ、と言ふのは日本の社会の伝統的習慣であるから、一々そんな批評を気にする必要は素よりない。然し、その中には傾聴すべき種類のものもありはしまいか、或いは、批評そのものはともかくとして、之を吾々自身のJCの意

          論説 JCに対する世の批判に応ふ   森 下 泰 1952年度会報

          JCの本質   佐治敬三 1955年度会報

          JCの本質   佐治敬三 1955年度会報

          会員の抱負 「主 張」   森 下 泰 1950年度会報

          会員の抱負 主 張 森 下 泰 1950年度会報  「物事夫れ自体」の正否善悪或いは価値が、今少し問題にされてもいいように私は考へる。「あの人」が言ったから正しい、「あいつ」が為すことだから間違っている、等々、このよう

          会員の抱負 「主 張」   森 下 泰 1950年度会報

          大阪青年会議所 初代理事長 挨拶文

          挨   拶                                 初代理事長 徳 永 博太郎  萬象は歴史を背景として、始めて生起するものであります。  戦後、吾人の周辺は何よりも先ず「国際世界性」を以て彩られました。他方そこに於て、国家社会の要請して止まざるものは「青年の自覚と奮起」である、と申し得るでありませう。  「青年会議所」は斯くして此処に生誕しました。同時にその使命と意義も亦此処に存するのであります。  「青年会議所」は今より三十五年前一九一五年十

          大阪青年会議所 初代理事長 挨拶文

          大阪青年會議所 設立趣意書

          大阪青年會議所 設立趣意書