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一寸先は闇 | 広場恐怖

今週は先週よりも外出の頻度や電車で行ける距離を伸ばした。もちろん苦しい感覚そのものはあまり変わっていないのだが、不安を感じそうな電車や人混みに行く前には抗不安薬を服薬してから行くようにした。それからAirPods Proでノイズキャンセリングして、Kindleで文庫を読む。

主治医の見立てでは"社交不安障害"とされているのだが、僕の不安の感覚から言うと、一定条件での「人との関わり」で不安が発生するというよりも、「家以外の場所全体に対しての不安感」が強く、また電車では特に動悸や冷や汗、パニック症状が出たりする。古くは"神経症"とひと括りにされていたこともあり、こういった不安障害や、強迫性障害、解離性障害は関連がかなり深いようである。こうやって分類していけば、病気も増えていく。だけどきっと大切なことはそんなに多くは無いような気もしている。

今思えば、物心ついた頃から知らない場所に行くのは苦手だった。行ったことのない場所がたくさんある。例えば、踏み入れたことのないライブハウス。例えば、南海沿線よりも北の方にある大阪。例えば、一度も注文したことのないスターバックス。自分が心から行きたいか、行きたくないかはさておいたとしても、周囲との会話のネタがすぐに尽きる。だからきっと自分の空想の世界に閉じ籠もって何時間も何年間も過ごしているのだと思う。

自分の部屋よりも外側が物質的に満たされているのは分かっている。自分の閉じた部屋とは雲泥の差である。同じ物であってもたくさんの種類の商品が置いてあったりする。父から「お前は自分の世界の中だけで生きている」と言われたことがあった。正にその通りだ。それを僕は否定はしなかった。ただ、自分がこの部屋にずっと留まざるを得ない理由を考えてほしかった。好き好んで、"不要不急の外出を自粛"する人間なんて居るのだろうか。ゼロコロナ政策が行われた中国人たちがどんな精神状態になったか。リモート授業に出席して、誰とも顔を合わせないまま進級する大学生がどんな気持ちになるのか。大人たちの自粛が解かれる中で黙食を求められ続ける小学生が何を思うのか。次に何が起こるかなんて誰も解る術がない。この一瞬を生きる僕らが出来ることをもう一度見直さないといけない。

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