HSPでよかった|人生で1回くらい1年位かけておもいっきり生きてみようの振り返り

プロフィールに書いた「人生で1回くらい1年位かけておもいっきり生きてみよう」について1年くらいで結果が出るかと思ったけど、約2年くらい経っていた。

どんな違いがあっただろう
・捨身で生きる意味が違っていた(自己犠牲精神がひどかった)。
 ∟ 正しさは「人」「環境」「状況」によって変わる。
 ∟ 人間はみな発展途上(高機能グレーゾーンと出会って)
 ∟ 「脳の機能で理解できない」存在を知るが見分けはできない
 ∟ 「できない」ことがいけないのではなく、認知できていないことがトラブル
・そんなこんなの状況から
 ∟ 「暇」=「不安」こそ現代の敵。忙しくしている方がいい
 ∟ どんな行動も「自分が選択した」という意思の元だと責任が生まれる
 ∟ 知識や学習は自分を裏切らない。でもすぐ活用できるものでもない
 ∟ 他人に意見することは、トラブルになっても大事(できれば穏便に)
 ∟ 失敗は失敗ではなく、成功ではないと知るひとつの成功

目に見えるところでかわったこと
・英語学習を続けて楽しみを知る(留学込みで3年はかかる)
・車買った
・家買った
・商社に業務委託
・日本主要都市に出張
・カメラマンとしての仕事がくるようになった(クリエイティブ職)

目に見えないけどかわったこと
・気圧性の気象病持ちだった
・プラトーとの付き合い方を感覚でちょっと理解
・「環境」「体」と自分の心以外でも休まないといけない時がわかってきた
・人と関わりがなくても経済的に成功できる
・人との関わりが好きかどうかはその人個人の傾向による
・自己矛盾がある人が人との関係を拗らすけど、それでも人と関わりたいとする気持ちがますます拗らしている。

色々変わったけど、かわらないこと
・どんなに人生が豊か(お金・家・恋人・生き方)になっても煩わしい人は、どん底時代と同じくらい存在している。
・ブッタの反応しない修行は大事だけど、自己主張も大事で結局、自分と他人のバランスはついて回る
=人の悩みは「人間関係」が9割

上記のことを総括してHSPでよかったなと思ったこと
・HSPの「正しさ」は、輪の調和だけではなく、世の中の正しさ平等性も兼ね備えている、とても気難しい難解なもの
・HSPの「正しさ」精度はかなり信頼できる
 ∟ 自分軸が歪んでるとしくじる(自己犠牲精神)
 ∟ 他人軸に傾倒しすぎるとしくじる(他人のことを考えすぎる)
・世の中の「正しさ」知るとめきめき伸びる
おすすめ図書
これからの「正義」の話をしよう|マイケル・サンデル
FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣|アンナロスリング・ロンランドとオーラロスリングとハンス・ロスリング
・まだまだ他人軸によって人の雰囲気察しちゃうけど、みんなハッピーだからとりあえずよしとしている
・「信じられない!」って人が現れた時、その人の自己矛盾を見つけて「脳」の機能でそうゆう人かもしれないと多めに見ている
 ∟ 残念ながら権力者(リーダー)でそうゆう人も多い。そんな人にあったら人間的に近寄らず、行事として一緒にできることだけ探す(ここがうまくまだ割り切りでできない)
=友達は多い方がいいという初期設定はインプットしておく

ただね、こっからが微妙。
結局、友達多い方がいいとは言っても、「自分の尊厳」を犯す人々とは、距離を置いた方がいい。「距離を置いた方がいい」というといい言葉だけど、社会や小さいコミュニティーでは、「排除」「追い出す」そんな形になりがち。自ら戦略的に立ち去れるのならそれは「勝ち」と思えることも、その人から離れられることで「どれほど自分のメンタルが保たれ、他にできることがあるか」について、特にHSPは尽力した方がいい。

なんせ、HSPの私たちは矛盾に弱く、カサンドラになりやすいからね。
(しかも悪く言うつもりはないけど、カサンドラにしたASDの人がカサンドラは「病み系」でカサンドラの体質が悪いと書いてる記事見つけたから、あーっと思った。こんな酷い人には会ったことないけど、ASD傾向の人の無言の先にはこうゆう思想もあっておかしくはない。距離を取ろう。)

そしてHSPはアダルトチルドレンにもなりやすい。
(最近中年の離婚後の人たちもAC傾向出すんだよね。これは立派な現代病として受け止めてもいいかも。)
負の思考セルフチェック
・最初にやり方に固執する
・大きなことを始める
・コツコツやれずに、大きな努力と根性、一気にやる
・自分だけこっそりやる
・記録やふりかえりをせず、暗雲にやる
・やりたくないけど、やる意識が強く苦しみに耐えている

ずっと思っていたこと|私は絵が描きたい
結構、「絵を描きたい」「仕事にしたい」人が多い。私もそうだった。
そもそも「絵を描きたい」とは
先祖が伝承のために字の前に絵を描いてきたから描きたい衝動は、遺伝的なもので別に才能ではないことを理解した。
それでも描きたい私がいれば、あきあぐねればいい。
が、私の場合、あんまり描きたくないのに絵描きになりたかったので、
「趣味」にしようといつか描きたい技法を溜め込んでいる。
時間ができたら自分時間として自分のご褒美にとっておいている。
「私の描きたいもの」がだれかの欲しいになればいいねとあんまり期待しない妄想に膨らまし、高値をつけてやろうとかちゃんとガメツイ。
そのために、印刷技法や私の絵がどんなレコレージョンされるとより生えるかとか、絶対ビジネスで私の嗜好が歪まされないために、などゆるーく考えてる。
HSPが絵を描くには本当に人一倍「環境」「状況」「メンタル」が必要だし、それが整ってから、絵画への思考性と言う深みをましていいものできると思う。そう!上流家庭かなにかは知らないが豊かでないとHSPの絵描きは育たないと思った。

デフォルトの環境で自分が100%出せるHSPはほぼいないだろう。
自分を知ることで自分の環境を獲得していくこと。
間違っても自分で挑戦すること。
その中で世の中の不愉快と折り合いをつける。
むしろ、利用できるほどになったら「生きてる」って楽しくなると思う。
結局、よりよく生きるって「平穏」なイメージより、せめぎ合って、騙しあって、信じ切って、それでも残る何かだと思っている私は情熱的だな〜と思う。

その手法全部覚えた時に、自分が適材適所使いこなせた時に、結果が伴う確率が増えて、おぉなんかわかんないけど、回ってるっていう今、実感ないけどそんな幸せ。

だから、自分が根本ずるい人でなくてよかった。
(ずるいことはちゃんとするよ。HSPも。結果やらされるではなく、ちゃんと意図して自分でできることも生きていて大事だと思う。だって、知らずに誰かを傷つけることすらちゃんと責任感じる気質だから、ちゃんと知って欲しい。悪気がなければ許されると思っている人が世の中まだ半分いる。そんな人を見ていたら、私は悪気で人を害する人の方が寸分ましだと思った。)

と思うことがHSPでよかったと思う。


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