見出し画像

美容と日記.1[きっかけ、始まり、今に]

2月からの新しく始めることとして、週に1、2回の投稿をしようと思う。美容と私の関わりを通して、誰かの心に美容の栄養が届きますように。就活も始まることだし、自分をじっくり振り返るためにもここに残してみる。

赤面する

 美容との関わりはいつだってネガティブな問題から始まることが多かった。私の美容の第一歩はきっとここだろう。

 中学2年生になった頃、私は赤面症に日常を邪魔されていた。いつ自分の顔が赤くなるだろうかとハラハラしていた。あれの面倒なところは、「顔が赤くなってしまうんじゃあないだろうか」という不安も原因に繋がるところだ。まるで蟻地獄のように、赤面することに怯えていた。

 実際に赤くなると何が辛いのか。それは、周りの目が気になること、それによって突然自分に自信がなくなること。動悸がして、頬が熱くなって、体が熱くなって、息が浅くなって、クラクラして嫌になる。それが始まったきっかけは全然見当もつかない、もしくは無意識に忘れようとして忘れてしまったのかは分からない。けれども、当時の私はとてもストレスに感じていた。

 ただ、私はそれでも人前に出ることを謎に望んでいた。というかなんというか、昔からやれリーダーに生徒会、授業中の発表など生真面目になんでも挙手するタイプで、根っからの目立ちたがり屋だったのかもしれない。

 持久走で苦しむ12月。走って胸がドキドキしても頬は赤くなる。赤くなった頬を恥ずかしく思う。息があがる。走る。息があがる。こんなことの繰り返しを何キロも繰り返していたら死んでしまうよ。と思った。安心して走ることのできる方法を模索した。ついに、一つの結果に辿り着く。


はだ色

 真面目な私はもちろん、「ファンデーションを塗る」という選択肢のリスクを恐れた。バレて先生に怒られるのは嫌だけど、苦しすぎる持久走を乗り越えられる自信もなかった。付随して、私は極度の乾燥肌で悩まされていたということもあった。小学生の頃には乾燥のあまり唇の周りが爛れ、ひび割れ、痛くて痒くて、といった感じで、口の周りに軟膏を塗っていたのだがそれまたその見た目が変で悩んでいた。赤面症の弊害は、乾燥肌とも関連深い。

 赤面すると頬が熱くなり、頬の水分がその熱で飛んだような感覚になって頬がカピカピに干上がってしまうのだ。要は、油分で保湿でき、安心安全の肌色で「恥」を覆ってくれるあのアイテムは私にとって必須であった。

 ファンデーションをこっそり塗って登校した。少しソワソワする。でも、少し安心する。自分のあたふたした心のうちが誰にもバレないようで、安心した。

 初めて臨んだ持久走。少しファンデーションはよれた。ドラッグストアで手に入れたメイベリンのリキッドファンデだった。

変化

 毎日ファンデーションを塗るようになった。慣れてきた。他のことにも興味が湧いてきた。メイクには様々な要素がある。色彩はもちろんだが、骨格の陰影や、艶などの質感、楽しく新しい要素が沢山あった。

 お化けみたいに真っ白な顔も、妖怪みたいに真っ黒なアイメイクも、失敗だらけのメイクを家族は誰も馬鹿にはしなかった。ありがたい。おかげですごくメイクが好きになった。自分な好きなところをもっと好きになれたり、誰かになれたような気分にさせてくれるメイクは唯一無二の「だいすきなこと」になった。

 赤面症は今も別に治ってはいない。けれど、私にははだ色の安心がある。好きに目立って、好きに生きられる心を楽にのびのびと生きられる方法。

だれかへの

 大学生になり、すっかりメイクにもなれてきた頃。今やコスメオタクとして成分まで愛すようになった私には沢山のコスメやメイクの相談が寄せられるようになった。どうせならみんなでそんな話をしたいなと、ノリでサークルを作った。美容を通じて素直な心で自分について話してみると、沢山の真実に出会った。

 沢山のコンプレックスや葛藤、現実や理想、人は自分に対して厳しい生き物なんだなあと思った。もっと素直に自分を愛せるヒントに美容はなり得るとも思った。ホップステップジャンプして、理想の誰かになるメイクよりも、君は君だと、君は素敵だと思わせてくれるメイクが好きだ。

 サークルの代表を務めていた頃、美容部員をしていた頃、美容学生になった今。美容を通じて出会う様々な人とのつながりにいつも感謝と発見と、幸せが絶えないこの人生の一部がとても気に入っている。

 はだ色の安心から、彩りの希望が着々と芽生えている最中だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?