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#16 元不登校7年間がついにイギリス留学に!!(※2週間だけ)【不登校7年間から大学院へ】

 小学校3年生から7年間不登校だった私が高校に通い始め、イギリスへの語学研修に参加する経緯を書いた前回記事はこちらから


 イギリスへの語学研修に参加すると決意したものの、当時の私は本当に全くと言っていいほど英語が喋れませんでした。


それもそのはず、中学3年生の11月にやっとアルファベットが書けるようになり、そこから1年も経っていないころの話だったからです。


日常会話どころか空港の入国管理での会話すらままならず、ロンドンの空港に到着した際は、入国審査でパスポートにハンコを押してくれるスキンヘッドで強面のおじさんに向かって、なにを聞かれても、ひたすら " I'm a student. Studying abroad!! (私は生徒で、留学!)" とカタコトに言うばかりでした。

そんな入国審査で恥ずかしかった思い出があって。


それは、入国審査官のおじさんに「もう一度言ってください」と言いたかったのに、なぜか高校の英語の授業でよく耳にしていたフレーズ "repeat after me" がとっさに口から出てしまい、

入国審査のおじさん 「Are you traveling with your friends or teachers? How many people in your group ?(友だちと一緒?それとも先生と? 何人グループで来たの?)」

 『*repeat after me(私が言ったあとに続けて復唱してください)』
*本当は、「Could you repeat that? (もう一度言ってもらえますか?)」というフレーズが言いたかった

入国審査のおじさん「……(眉間にシワを寄せて、だめだこりゃ、という表情)」


英語が全く話せず身長も小さな私は、とりあえず危害はなさそうだと判断されたのかそのまま通されて、その後に引率の先生が入国審査官に呼ばれていました。

入国審査を通り抜けてから、「恥ずかしい〜(汗)」なんて友だちと爆笑しながらも、若いときは、若いからこそ、どれだけ恥ずかしい思いをしても失敗から何度でも学べるのだなと、あれは若さゆえの特権だったなといま振り返って思います。

でも、そんなふうになにも知らないからこそ、なにも喋れないからこそ自由で、生まれて初めての語学研修にドキドキしながら、同時にワクワクしていました。


では、今回はそんなイギリスへの語学研修について書いていきます。




イギリスへの出発の日


学校の授業を2週間休むことになるので、その間に他の教科に遅れが出ないか心配だったけれど、同じクラスのMちゃんも一緒だったしどこか大丈夫だろうと思いながら出発の日を迎えた。


家族で海外に行ったことは何度かあったけれど、引率の先生と自分たちだけで海外に行くなんて初めてだったから緊張もした。

旅行初心者のように、あれもこれも、といろんなものをスーツケースに詰め込んで出発した。


現地の学校に着くと、夜にも関わらずホストファミリーがちゃんと車で迎えに来てくれていて、助手席に乗り込んだ。

ホストマザーとの車内での会話。

何度も頭のなかでシュミレーションしてお風呂で唱えて覚えていた定型文を話す。


伝わっているのか、相手の言っていることをちゃんと理解できているのか分からないまま、家に着いた。

ホストマザーから、「明日の朝は仕事があって学校までは送っていけないから、近くの子たちと合流してから行ってね」と言われていたのに、リスニングができないせいで分からないまま、曖昧に「Yes」と答えてしまった。


留学とかのときに気をつけたほうがいいこと、それはやたらむやみに「Yes」と言ってしまわないこと

それを学んだ。


翌朝は何が何やら分からないまま、朝ごはんをゆっくり食べていた。そしたら急に「Now! Go!」とホストマザーに家を出された。出発時間になっても家を出ていかない私たちを見て、ホストマザーは私たちが昨日の話を理解していないことに気が付いたらしかった。

急きょホストマザーが自転車で学校の見えるところまで着いきてくれることになり、私たちはイギリス特有の重苦しい曇り空と小雨が降るなか早歩きで学校に向かった。

そしたら途中のTesco(テスコ、イギリスのコンビニ)から別の家にステイしていた同級生が出てくるのが見えたので、「They are my freinds!」とホストマザーに言ったら「Ok! Good! Bye」と言い放って自転車で踵を返して仕事に向かっていった。そのあとは日本人の友だち4人で学校に向かった。




現地の学校


 現地の学校はこじんまりとした学校だったので、ひとクラスの人数はとても少なかった。

朝に登校してゲーム形式の遊びのような授業を一コマ受けたと思ったら、すぐにブレイクタイムがあって、教室からブレイキングルームへと移動した。



すると、みんなそこで朝食を食べたりしていた。


朝ごはんをしっかり食べていた私は、ブレイクタイムになにをして良いかからず、次の授業のプリントを見ていた。すると、エリザベス女王にしか見えなかったおばあちゃん先生が、紅茶をすすりながら私にこう話しかけてくれた。

「Bring some sweets for breaktime from tomorrow (wink), British chocolate is the best(明日からは、あなたたちもブレイクタイム用のお菓子を持ってくるのよ(パチっと片目でウィンク)。イギリスのチョコレートは美味しいから、オススメよ)」


学校に登校してから朝ごはんを食べる時間が設けられているなんて、日本の学校ではあり得ないことで、私にとってはとても不思議だった。


日本の学校では、お菓子なんて見つかったら没収される。

それがここの学校では、先生が紅茶をすすりながらチョコレートを食べていて、生徒たちも一緒にブレイキングルームのソファに座りながら、楽しそうにポテトチップスやサンドイッチなどを食べている。



聞いた話だと、イギリスでは学校によっては給食かお弁当かを毎日選べるらしかった。

しかも「給食」と言っても日本でイメージするものとは違って、カフェテリアでブュッフェ形式として自分の好きなものを、好きな量だけ選んで食べて良いらしい。


国が変わると、「学校」でのルールが全く違うことを身をもって知った。

なんだ、私が信じ込んでいたルールが全てじゃなかったんだと、思えた瞬間だったかもしれない。





コミュニケーションツールとしての英語


 午前中は教室で授業を受けて、ランチを食べた後は先生とみんなで周辺の散歩に出かける。2週間の語学研修なんて、半分は観光のようなものだから当たり前かもしれないけれど、そんな優雅な授業形式が楽しかった。


でも、いつも耳から聞こえる言語は全て英語だから、ランチの時間ごろにはもうそれだけでヘトヘトになっていた。聞き取れた単語から言っている内容を推測して、でも推測していたら全然違う話っぽいぞということに気が付いて、また推測に戻って耳を凝らすといったことの繰り返しだった。

返答も “Yes”、“No”、“Thank you”ぐらいしかいうことができなくて、とてももどかしかった。


自分が伝えたいことを言えないのはこんなにももどかしくて、何も伝えられないものなんだと実感した。


この留学での経験が、英語 = コミュニケーションツールと身をもって実感する機会となり、英語学習へのモチベーションを良い方向へと大いに変えてくれた。

「英語を喋れるようになりたい!」「もっと自由に色んなことを聞きたい話したい!」「ホストファミリーにも感謝の気持ちぐらいは伝えたい!」とステイ先で毎晩そう強く思いながら寝た。




イギリスでの経験


学校までホストファーザーが車で送ってくれた日があって、しかもその車内ではフットボールの中継を聴くというなんともイギリスづくしな日々だった。

イギリスでは起きた時から寝る時まで部屋のなかの明るさが変わらなかったのが印象的で、朝起きてもグレーの空に覆われて曇っていて電気をつける。そして日が暮れた学校から帰った後もずっとそんな感じで、道端の落ち葉にはずっと水溜まりがあって、道路が乾くことがなかった。

ご飯があまり美味しくないと聞いていたので身構えていたけれど、ホストファミリーが作ってくれたご飯はとっても美味しかった。(帰国直前に観光で寄ったロンドンのホテルでは、全部味がしなくてパサパサだったけれど)

自分の目を通して知ったイギリスは、事前に聞いていた情報の半分は嘘で、もう半分は本当だったみたいな感じ。

でもちゃんと美味しいフィッシュ&チップスに巡り会うこともできたし、日曜日には貴重な晴れ間も経験できて、イギリスをとっても楽しめた。


そんな2週間の語学研修が終わって、帰国の途についた。

エリザベス女王に似ていた先生から言われた「チョコレートがオススメよ」という言葉通り、私はお土産にキットカットをたくさん買って帰った。



帰国後、みんなに配ったら「……いや、日本でも売ってるし!」と総ツッコミを受けた。

私は必死に、イギリスと日本のとでは味がちょっとだけ違うから……! と弁明した。




語学研修後の変化


語学学習で授業に出ていなかった2週間、とても優しいクラスメイト(仮称:Kちゃん)が私のために授業ノートを一冊つくってくれていた。

その手作りノートには板書内容だけでなく、授業のときに先生が言った重要ポイントなどまでが全て書かれていた。


「これ、いつまでに返せばいい?」と聞くと、さも当たり前かのようにKちゃんは「え?返さなくていいよ、ノートごとあげるために作ったから」と言った。


私は感動した。
本当に感動して、こんな優しい気遣いがあるのかと思った。


他人にとって自分が何をしたら助かるか、先回りして考えてそれを実際の行動に移してくれる子がいるのかと衝撃だった。そんな優しいクラスメイトの手助けとノートがあったおかげで、2週間分の授業にはなんとかすぐに追いつくことができた。


そして語学研修から帰って来てから、意識が変わったからか、自然と私の英語の成績は伸びていった。


友だち複数人からも「なんか、イギリス行ってから変わったよね。勉強すごい頑張ってる」と言われた。

意識が変わっただけで英単語も毎回ちゃんと覚えようと思えるようになり、どうやったら英語が少しでも喋れるようになるかなと考えながら授業を受けた。


そんな少しずつの変化がのちに大きな変化につながる。
やっぱり意識や気持ちって大切だった。


あのときに「やらずに後悔するよりも、やってみて後悔した方がずっといい」と背中を押してくれた両親。素敵な経験をさせてくれてありがとう。その言葉を信じて行動してみて本当によかった。


その都度やらずに後悔するよりも、やって後悔した方が良い。
「あの時行かなければよかった」と永遠に思い続けるよりも「あの時、無理はしちゃったけど行って良かった」となる方がやはり良いみたいだ。


そんなイギリスへの語学研修も終わって季節は冬になり、あっという間に3学期も過ぎ去っていった。


学校での勉強は、定期テストは全科目20点代なんてことはなくなっていたものの、良くも悪くもなく、50点付近を彷徨う感じだった。英語だけが少し良くて、50点〜60点ほどだった。まだまだ。まだ全然追いつけていない。


そんな感じで、私は高校生活最初の一年目を終えた。


7年間のブランクを1年でどこまで埋められただろう。

勉強してもしても完全には追いつけない。それはまるで、ブルドーザーで堀り開けた大きな穴に、地道にスコップでひたすら砂を埋めようとする感じだった。

毎日スコップで砂をその大きな穴に放り入れるのだけれど、溜まっていっているのかすら分からず、もしかしたら無駄なんじゃないかと思うほどに途方のない道に思えた。

でも諦めずにスコップで穴を埋めようとしていたら、途中からそれが楽しくなってくる瞬間がくるはずだと、それを信じていた。


高校2年生になった私は、まさかのクラス委員長になる。

高校生活に完全に慣れて、塾にも通い、部活動にも通う。

さらにはクラス委員長になるだなんて、みんなと同じように、ちゃんと高校生になれたんだ、と思っていた。



でも、クラスメイトたちとの些細なすれ違いがキッカケで、ある月曜日の朝、いつも通り登校して教室に入った瞬間、クラスの雰囲気が変わっているのを真っ先に感じとった。

「もうこのまま逃げて帰りたい」と本能的に察するような雰囲気が、そこから1年近く続くことになるだなんて、思ってもみなかった。

そんな高校2年生の詳細はまた次回に。


次回 #17 クラス委員長、いじめのターゲットに【7年間の不登校から大学院へ】を更新予定です。




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