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「パレスチナ問題」を考える際に押さえておきたいポイント

 2023年10月7日、仮庵の祭りの最終日、シムハット・トーラーという喜びの日の早朝6時半、ガザのハマスは突如としてイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けてきた。数千発のロケット弾が打ち込まれ、それがスタートの合図となって、ハマスの戦闘員が国境の壁やフェンスを破壊して陸から、船を使って海から、パラグライダーで空から、イスラエル領内になだれ込んだ。

 今も続く戦闘の詳細は、マスコミ各社によって報じられているが、そもそも「パレスチナ問題」はどのように発生したのか。日本のメディアに欠落していると思われる点について、ポイントを整理してお伝えしよう。数年前に出版された下記2冊の訳者・神藤誉武氏が、同書の「訳者あとがき」および本文中の「訳注」として書かれたものから抜粋した。

※『イスラエル――民族復活の歴史』ダニエル・ゴーディス著、神藤誉武訳(2018年、ミルトス)

※『わが親愛なるパレスチナ隣人へ――イスラエルのユダヤ人からの手紙』ヨッシー・クライン・ハレヴィ著、神藤誉武訳(2019年、ミルトス)


パレスチナ難民問題の背景

 「パレスチナには多数のアラブ人が住んでいたのに、ユダヤ人が大量に移住して、地元のアラブ人を追い出した」という説明をよく耳にする。だが事実はもっと複雑だ。

過疎地パレスチナ

 まず、「多数のアラブ人が住んでいた」のではなく、「住んでいた人の多数がアラブ人だった」と言うべきである。パレスチナの面積は日本の四国ほどの大きさで、7割が岩だらけの荒れ地かマラリヤの蔓延する湿地だった。1867年に同地を訪れたマーク・トウェインは、次のように記している。

 荒涼とした沈黙の地がどこまでも広がっている……旅行の途次、我々は人っ子一人見かけなかった

Mark Twain, "The Innocents Abroad" (1869)
マーク・トウェインが描いたヤッフォ

 1870年代末(ユダヤ人帰還の前)の人口は38万人(うちユダヤ人は2万7千人)で、現在の四国の人口(約380万)の1割である。ユダヤ人は古代からこの地に住み続けてきたが、当時は非常な過疎地であった。

増加したアラブ人口

 「地元のアラブ人」と言うと、何世代も前から定住していた印象を受けるが、実際は必ずしもそうではない。同地のアラブ人社会は、昔から移動性が著しかった。例えば1850年代には、フランスによるスエズ運河の強制労働を逃れたエジプトのアラブ人が大量に流入している。
 今でも西岸地区のナブルスに行くと「エル=マスリ」という名字のパレスチナ人によく出会うが、彼らはエジプト出身のアラブ人である(エル=マスリとは「エジプト人」の意)。その他にも、「タラブルシー」という名字のアラブ人家族はレバノンのトリポリ出身、「アル=ホラーニ」はシリア出身、「ザルカウィ」や「カラキ」はヨルダン出身である。
 パレスチナのアラブ人と言っても出自は様々で、後年ユダヤ国家に割り当てられる地域に深いルーツを持つのは一部の人である。

 19世紀末からユダヤ人帰還の波が始まり、湿地や未耕作地を不在地主や不動産業者から購入して集落を築き、パレスチナの地は大規模な開拓事業によって著しい発展を遂げた。例えば、1921~43年の約20年間で、パレスチナの雇用は10倍、資本投資は100倍になった
 ここで注目すべきは、19世紀末からイスラエルが独立した1948年にかけて、パレスチナのアラブ人口は減少するどころか、約4倍に増えていることだ。大量のアラブ人がパレスチナの発展を伝え聞いて、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、イエメン、スーダン、サウジアラビア、シリア、トランスヨルダン、イラク、イランから当地に流入している(不法移民を含む)。

難民定義の問題点

 パレスチナ難民の定義(UNRWA、国連パレスチナ難民救済事業機関)は、国連が定める一般的な難民の定義(UNHCR、国連難民高等弁務官事務所)とは違い、「1946年6月1日から1948年5月15日の間にパレスチナに住んでおり、その家と生計を失った者とその子孫であること」となっている。つまり、該当する2年間にパレスチナに住んでいたら、各地から流入した多数のアラブ人もその子孫も、パレスチナ難民と見なされるということだ。現在、「自分たちの先祖は何千年も前からパレスチナに住んでいた」と自称する人の何割が、実際にそうなのか正確には分からない。いずれにしろ、この難民の定義では、人数が年々増えるばかりで、問題が永続化してしまう。

 難民発生の因果関係もよく間違われる。大量の難民が発生した直接の原因は、イスラエル国の独立ではなく、国連分割案やイスラエル独立に反対した内外のアラブ勢が攻撃を仕掛けてきたことにある。確かにアラブ難民には、それ以前から戦争を予期して事前に自主疎開した者もいれば、アラブ側指導部の指示に従って避難した者もいるし、エルサレム郊外にある町リフタの住民のように、戦闘が始まってイスラエル軍に追い出された者もいた。しかし難民の大多数は、戦闘が始まってから安全地域に避難した人々だった。

 難民問題は紛争の原因ではなく、アラブ側の政策の結果である。内外のアラブ人指導者が国連分割案やイスラエル独立を容認していたら、難民問題は発生しなかったからである。

領土問題の捉え方

 メディアやネットでも「イスラエル国家は最新の植民地国家だ」とか、「ユダヤ人による入植活動は国際法違反」などというコメントをよく目にするが、その解説を読むと論拠薄弱な場合が多い。領土問題を論じるときは、テーマごとに大別して、次の3つに整理して考えればいい。
 1. シオニズムは植民地主義か
 2. 東エルサレムを含む西岸地区は法的にどこに帰属するのか
 3. 西岸地区にユダヤ人集落を築くことは国際法違反か

1. シオニズムは植民地主義か

 一般的に「植民地主義」と言うとき、次の3つの特徴がある。

 ①宗主国、つまり郷土が別の場所にある。
 ②入植した地とは歴史的に関係がない
 ③入植地を搾取し、その富を宗主国に持ち帰る。

 これらがシオニズムにあてはまるかというと、①ユダヤ人に宗主国はなく、②イスラエルの地との歴史的関係は現存する他のどの民族よりも古く、そして、③入植地を搾取するどころかユダヤ人の開拓が発展と余剰を生み、アラブ人を含むより多くの移民流入を可能にした
 従って、どの特徴にも当てはまらない。実際、シオニスト会議がウガンダ案を否決(つまり歴史的関係のあるイスラエルの地にしか帰還するつもりはないと決議)した時点で、シオニズムが植民地主義ではないことを表明したことになる。

2. 西岸地区の法的な帰属

 マスコミの報道や解説書などで、東エルサレムを含む西岸地区を「被占領パレスチナ地域」と称することがあるが、これは政治用語であって、国際法に則した表現ではない。と言うのも、西岸地区の法的帰属はまだ決まっていないからだ。
 そもそもイスラエルが西岸地区を統治するようになったのは、1967年の六日戦争を通してである。この地域は、国連の分割案でパレスチナのアラブ人に割り当てられるはずだったが、アラブ側が分割案を拒否。そして、1948年の戦争でヨルダンがそこを侵略し、自国領としてしまった
 国際社会で、この併合を認めたのはイギリスとパキスタンだけで、アラブ連盟でさえ承認しなかったが、ヨルダンは1967年まで実効支配する。そして、イスラエルは六日戦争でヨルダンの攻撃を受け、自衛権を行使して西岸地区を占拠するが、ヨルダンの支配権が国際法上認められていなかったので、誰がこの地域の主権を有するのかは明確でないままである。

 実はパレスチナ側も、このことをオスロ合意(1993年)で認めている。合意の中で、国境の最終的な確定は、暫定自治の時期中に協議されると明記しているからだ。オスロ合意では、アメリカやロシア、ヨーロッパ連合、エジプト、ヨルダン、そしてノルウェーが証人として立ち会って調印しており、国際社会でも承認を得ていることになる。
 イスラエルは六日戦争で西岸地区(東エルサレムを含む)を攻略したので、事実上、西岸地区は占領地である。ただし、国際法上は「占領地」ではなく、「係争中の地域」と称するのが正確である。

3. 入植活動は国際法違反か

 西岸地区のユダヤ人入植活動は国際法違反と言われることがある。その根拠としてジュネーヴ第4条約の第49条が示されるが、実はこの条項は占領地への強制移住に関するもので、国民が自らの意志で集落を築く入植活動には本来該当しない。同条項は、第二次大戦中にドイツ、ソ連、ウクライナ、ポーランド、ハンガリーの住民が経験したような強制移住が繰り返されないために定められたからだ。
 アラブ側はこの条項をイスラエルの入植活動に当てはまるよう巧みに解釈して、ロビー活動によって国連や国際刑事裁判所などに普及させた経緯がある。この解釈の問題は、その正当性を厳密に検証することなく用いていること、およびユダヤ人にだけ適用されていることだ。自発的な入植活動は、例えば北キプロスを占領したトルコ、レバノンを侵攻したシリア、西サハラを領有したモロッコの国民がそれぞれの地域で行なっているが、この解釈が用いられたことは一度もない。そもそも、占領地に関する条項を「係争中の地域」である西岸地区に適用すること自体に問題がある。

西岸地区のユダヤ人集落

 イスラエル・アラブの領土問題は、双方が同じ領土に抱く夢の衝突である。解決のカギは、双方がお互いを尊重し、この土地への歴史的な絆と正当な権利を認め合って、同地を共有できるかどうかにある。和平が実現しない主要因は、むしろ、妥協を許さない「オール・オア・ナッシング」(全か無か)というメンタリティであろう(これはイスラエルの過激派にも当てはまる)。

イスラエル国防軍の対応

 紛争では、イスラエルとパレスチナ双方の一般市民が犠牲になっている。そんな中、イスラエル国防軍が相手側の一般市民に犠牲が及ばないように最大限の努力を払っていることは、マスコミでは伝えられていない。例えば、軍事作戦の前には空から大量のチラシを撒き、携帯電話にテキストメッセージを送り、地域の民間人に指定安全区に避難するよう勧告していることや、民間人の避難が遅れる場合は作戦を延期または中止していること。また、イスラエル空軍の攻撃は、武器や戦闘司令部のある場所にピンポイントで行なわれていることなども知られていない。さらに、双方の死傷者数だけが報道されたりもするので、誤ったイメージを与えかねない。

ガザ市民に南へ退避するよう呼びかけるチラシ(2023年10月13日に投下されたもの)

 一例を挙げよう。2014年のガザ紛争では、約2千人がガザで亡くなり、イスラエルは民間人居住地区に無差別攻撃を実行したとして国際社会でかなり叩かれた。イスラエルの思想家で戦争倫理も講じているヘブライ大学のモシェ・ハルベルタル教授は、この紛争におけるイスラエル国防軍の戦闘行為を評価する上で、次の5つの点を考慮する必要があると述べている。

ガザの戦闘員と非戦闘員の関係

ガザにおける戦闘員と非戦闘員の人口比率1対60であること(ハマス戦闘員およびジハード戦士が3万人、一般市民が180万人)

ガザの戦闘員は、非戦闘員がいる場所よりも安全な地下壕やトンネルなどにいること

イスラエル国防軍がテロ組織の基盤などを攻撃する場合は、そこにいる一般市民に立ち退くように勧告するが、多くはガザの戦闘員が阻止していること

ガザは人口密集地であること

ガザからのミサイル攻撃など、対イスラエル作戦のほとんどが一般市民の密集する地域からなされていること

 そして、ハルベルタル教授はこう説明する。

 仮にイスラエルがドレスデンのような無差別爆撃をしていたのなら、戦闘員の総死者数はどのくらいになっていたか。1対60の人口比率、そして戦闘員が安全な場所にいたことを踏まえると、戦闘員と一般市民の死者比率は恐らく1対80から1対100となり、戦闘員の死者数は全部で20~25人程度となっていたはずである。しかし実際には、戦闘員の死者数は700~900人だった。つまり、戦闘員と非戦闘員の死者比率は1対1ないし1対2で、他の同じような条件下での紛争と比べても、この比率は驚異的に低い。一般市民の巻き添え被害は残念と言うしかないが、この驚異的な比率は、イスラエル国防軍が民間人の死傷者数を最小限に留めるために相当な努力をしていたことを示している。

ガザの報道統制

 他方、この紛争で、ガザの報道にかなりの統制があった。これはハマスの広報担当イスラ・アルムダラル自身がレバノンのテレビ番組で認めていることで、2014年の紛争中、「意に沿わないジャーナリストたちをガザ地区から追放し、治安当局を通して指定時間内に報道内容を修正するよう彼らに要請した」と述べている。
 実際、ハマスの戦闘員が私服を着て戦っていたことやテロリストが国連の車を使っていたこと、ミサイル攻撃はモスクや学校からなされていたこと、戦闘用のトンネルがモスクの下に掘られていたことなど、様々な国際法違反については、ほとんど報道されなかった。
 フォーリン・プレス・アソシエーションも同年8月に、ハマス当局がジャーナリストに悪質な嫌がらせや強引な報道規制を敷いていたことを声明書で非難している。

被害者の論理

 現代は、「被害者性のロジック(論理)」が蔓延する時代である。自分を被害者の立場に置き、相手側を加害者に仕立てて攻撃し、第三者を味方につけることで訴えを成立させようとする。そして、「被害者」には現在の状況に至った責任はなく、どんな過激な対抗手段も容認されてしまう。
 この点を踏まえないと、紛争問題を誤って理解するだけではなく、下手をすると喧伝戦に利用されかねない。残念ながら、日本内外の人権団体にはその傾向が否めないのが現実だろう。

国連神話の弊害とイスラエル

 国連に加盟している国は193カ国あり(2017年現在)、その中で民主体制を敷いている国は80カ国にも満たず、過半数は軍事独裁国家や非民主的な宗教国家である。また、職員のほとんどがパレスチナ人である国連のパレスチナ難民救済機関(UNRWA)が様々な反イスラエル活動の拠点になっている問題もある。同機関の運営する学校のパレスチナ人児童が、イスラエルに対するテロ行為を奨励するような教育を受けていることも度々発覚している。
 こういった現状を踏まえ、イスラエル国民の国連に対する評価は厳しい。国連のすべての活動を否定するわけではないが、世界の平和と安全を目指す国際機構という国連のイメージなどは、幻想と一蹴される。

UNRWAのヨルダン事務所

 国際連合人権理事会(UNHRC)には、人権侵害国が人権問題を担当するといった歪んだ現実がある。中国、ジンバブエ、ロシア、サウジアラビア、パキスタンなどは、人権理事会の構成国になる資格がないという批判がある。
 また、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の政治化も問題になっている。世界の科学や文化の発展に寄与するはずの同機関で、アラブ諸国が反イスラエル活動を展開しているのも有名である。例えば、2016年には、ユダヤ教とイスラム教の両方にとっての聖地であるエルサレムやヘブロンをアラブ名だけで呼び、ユダヤ人とその地の歴史的繋がりを否定するような決議を採択した。この決議が中立でないことを批判したボコヴァ事務局長は、殺害の脅迫を受けている。
 こうした一連の動きを受けて、イスラエルとアメリカは2017年にユネスコ脱退を表明した。

アラビア語圏のベストセラー

 アラビア語圏では、『シオン長老の議定書』(ユダヤ人が世界を支配するという陰謀論、偽書)とヒトラーの『我が闘争』の普及率が特に高い。出版以来、何度もアラビア語に訳され、ベストセラーになっている国もある。エジプトやシリア、パレスチナ自治区では学校や教育機関の教材として用いられ、ハマスやヒズボラも両書を積極的に普及させている。
 特にアラビア語圏では、こういった反ユダヤ本の陰謀論を真に受けて、シオニズムをユダヤ人による世界征服の一環として信じている人が少なくない。こうした普及活動が、イスラエルとの信頼関係を築く障害となっている。

イスラエルはアパルトヘイト国?

 イスラエルは、南アフリカのような「アパルトヘイト国家」だという主張をよく見かける。逆説的ながら、仮にイスラエルが南アフリカのような人種差別政策を実行していたなら、パレスチナ人による市営バスやレストランでの自爆・殺傷テロは起こらなかっただろう。アパルトヘイト国家では出自別のバスやレストランを使用しなければならず、パレスチナ人はユダヤ人が使うバスやレストランには入れないことになるからだ。

 また、イスラエルにはアラブ系の大学教授国会議員最高裁判事がいることも、この紛争の本質人種差別ではないことを裏付けている。なおパレスチナ民族運動は、南アフリカのアフリカ民族会議の目標とは異なり、イスラエルの市民権獲得を望んではいない。と言うのも、市民権獲得はイスラエル国の正当性を承認することになるからだ。同運動が市民権獲得を拒否していること自体、イスラエルがアパルトヘイト国家でないことを意味している。


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