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『今にも削除したくなるような自分語りを:エピソード6 点のかたち』

 超大型巨人の視点は、高所恐怖症にとってはかなり怖い。
 高速バスに乗り、博多駅から1時間と半分、大分県の日田市に大山ダムはある。比類なき歴史的傑作漫画『進撃の巨人』の作者諌山創氏を輩出したこの地は、2020年秋「進撃の日田」として場所やお土産等を『進撃の巨人』と連動させた企画を始めている。大山ダムはまさにその中核で、主人公級の登場人物であるエレン・イェーガー、ミカサ・アッカーマン、そしてアルミン・アルレルトの銅像を造り、ダムの高い天端を劇中に出てくる壁「ウォール・マリア」に見立て、さながら超大型巨人を見上げるようにかれら3人は屹立している。
 きっかけは、クラウドファンディングのプロジェクトだった。いくつかクラウドファンディングをビジネスとしている企業はあるが、この件は2021年Forbes JAPANの「日本の起業家ランキング 2021」で3位に入ったことで記憶に新しい、家入一真氏が代表を務めるCAMPFIRE社発のものであった。
「竹谷さん、大分へ行きませんか?」
 そもそも、竹谷がこうして大分県日田市は大山ダムの天端から山々と一緒に自然を見下ろし、その高さに震え慄きながら超大型巨人と諌山創先生に想いを馳せているのは、突如ポコンと通知の来たLINEからだった。
 遠藤寛之。背と笑い声が高く、よく食べよく眠り、まるで依り代のような髭と髪を併せ持つ好青年。かれからの突然で粋な誘いがなければ、竹谷はこの美しくて怖い景色を拝めていない。
 そして、ここまで書いておいて恐れ入るが、遠藤さんにはいったん退座していただく。


 杉山剛は、可愛らしい瞳を輝かせる。
「ビールを取ってくれた」
 株式会社ミリアッシュの副社長と社長、という関係となる数年前、当時イラスト制作会社の同僚兼先輩であった杉山は、そう感想を述べた。
 その前日、かれは新宿で開催された交流会へ行っていた。昔も今も、クライアントへの訪問や交流会への参加が生じた際は、先方の印象や新たに知り得た情報など、特筆すべき事柄をメンバー間で共有するようにしていた。
「面白いひとがいた。同い年だった」
 杉山は、このふたつの感想に、先ほどの句を続けた。
 交流会というのは、エンタメ業界では頻繁に開かれるイベントで、飲食をしながら名刺交換をし、互いのビジネスを知ったり、これまでにない繋がりを求めたりする場である。数名から、大きくは数百名に及ぶ規模もある。前社では主に責任者の杉山と竹谷が、遊撃軍よろしくあちらこちらに出ていた。
 ここでひとつ申しておきたいのは、杉山も竹谷も交流会がそこまで得意ではないということである。ご挨拶させてください、と見知らぬひとにお声がけするのは、こと竹谷のような元ニートの仄暗い人間にとってはそれこそ超大型巨人のようなハードルの高さがあった。また、大人の切り札であるお酒の力は、下戸では頼むに命が関わる。 
 当然だが、交流会には色々なひとが来る。正直に申せば、あまり波長の合わない方もいる。しかしビジネスであるから、と自らを鼓舞し、名刺を三刀流する勢いでご縁を作らんと臨んでいた。今にして思えば、交流会への参加も始めたばかりで、頻度と程度が低く、見知った戦友のような存在がいなかったのも起因していたのだろう。
 そしてそう考えれば、かれは当時の杉山と竹谷にとって、果ては現ミリアッシュにとっての、最初の戦友と言える。
 笹谷崇。株式会社セガに勤める、お酒をよく飲むがあまり食べず、髭と髪のきちんと手入れされた、クレーンゲームが上手すぎて「UFO王子」という異名を持つ、もとい仕事を担う男性。
 杉山から即座に紹介され、なんだか周波数が合致し、今では月に何度も会っては色々なことを一緒に楽しむ間柄となった。
 笹谷と竹谷。パンダの界隈からすれば全幅の賞賛を浴びせたくなるような名前のふたりは、このようにして邂逅を果たした。
 きっかけは、杉山が取ろうとしていたビール缶を、かれが優しく取ってくれたことだった。これは竹谷のあずかり知らないお酒の力、その余波と言って差し支えないだろう。


 その後も、交流会へは継続して顔を出すようにした。Facebookで繋がると、共通の知人がたくさんいる、といった場合も増えてきていた。今すぐ何か仕事が欲しいわけでは豪もない。現時点で何もなくとも、いつかきっと何かがある。いつだって可能性はなくなりはしない。会社にとって、そして竹谷にとって良い出会いがあることを祈りつつ、どの場にも参じるようにしていた。
 そこには、やはり大体笹谷さんはいた。ふたり同じく1985年生まれ、ということも手伝って、敬語や敬称は急速に剥がれ落ち、もはや笹谷さんではなく「ささやん」と呼ぶに至っていた。
「言ってもまだ、数回しか会ってないよね」
 仲が良いですね、といただくコメントに対し、互いに見合わせて笑う。竹谷は自分の知人をささやんに、ささやんはかれの知人を竹谷に紹介し合う。継続は力なり、とは古代の魔法の言葉であるが、その古さゆえの力は強大で、交流会に出れば出るほど、知り合いは雨後の筍のごとく増えていく。
 繰り返しとなるが、竹谷は交流会が苦手である。大勢が集まっていると、隅っこで小さく落ち着いているのが心地よい。よく吐く妄言となるが、祖先は孤高な狼なのだ。しかし苦手な食べ物を、食べるうちにちょっと美味しいと舌が判断する時があるように、交流会を楽しいと感じる時がちらほらと見つかり始めていた。
 その理由の中で大きく光るひとつの要素は、ささやんのように、異なる会社に属する人間であっても、同じ時間を面白く共有できる仲間のような存在に出会えることだ。漫画『HUNTER×HUNTER』のジン・フリークスから台詞を引用するなら、「オレに生きた情報をくれる」という状況である。未知の道中を楽しむために、これほどありがたくて心強いものはない。
 時折生まれる大きなご縁に喜びつつ、竹谷は交流会や飲み会へ出続ける。前社を退職し、株式会社ミリアッシュを立ち上げてからはなおのこと、新しい繋がりに対して貪欲になっていたように思える。
 そして往々にして、思うことは、思うからこそ現実になる。


 長くて細くて、そしてお洒落だ。
 耳から入ってくる情報は、実に騒がしい量だった。今日も今日とて、都内で行われている交流会に竹谷は来ていた。100人ほどが集まっており、参加者には事前に参加者情報の列挙されたリストが配られていた。
 参加者リストの一行を、食い入るように見つめては、視線を少し遠くへ外す。その先には、これもまた参加者に渡されるネームプレートが、とある人間の胸元に提げられていた。
 眼鏡の力にこれでもかと頼り、やや離れたところにあるネームプレートの会社名と名前を読み取る。あまりじろじろ見るのもよくないので、あくまで素っ気なく、白々しくなく。教室の後ろの席から、黒板近くに座る意中のあの子を、不自然にならず視界へ収めるように。
 株式会社サーチフィールド。遠藤寛之。
 間違いない。参加者リストを見てからというもの、ずっと探していたひとだった。
 サーチフィールド社は大先輩のイラスト制作会社で、前社に在籍していた時も、ミリアッシュを設立してからも、常にその筋骨隆々な背中を見上げていた。現代表取締役である中山直人氏や副社長である長谷川洵氏、また取締役である笹淵久子氏とは食事をご一緒したことはあっても、交流会といった不特定多数の集まる場でサーチフィールド社の方と知り合うことはこれまでになかった。同業の方とは、たくさん仲良くできるなら仲良くしておくことに越したことはない。そんなことを考えていた竹谷は、光沢のあるネームプレートからきらりと見えるサーチフィールド社の名前を見て、もう繋がりたい衝動が堪えきれる限界へと近づいていた。
 しかし。
 もう一度となるが、細くて長身で、なんだかお洒落なのだ。カタカナを用いるなら、イケメンというものだ。
 感情とは裏腹に、頭は行動にブレーキをかけてくる。なんだかお洒落なひとは、こと竹谷においては、話しかけづらいのである。原宿や表参道を歩く際、妙に緊張するのと似ている。
 とはいえ、交流会もそろそろ終わりの時間が近づいていた。この場を逃せば、すれ違ったままとなってしまうかもしれない。それだけは避けたかった。どんなに勝手にATフィールドのようなバリアを感じ取っていても、破らねばならない障壁はある。
「ご、ご挨拶よろしいでしょうか」
「ぜひぜひ」
 こうして、遠藤さんとのファーストコンタクトは成し遂げられた。そのあとのことは、あまり語れるようなものではない。上手く行っている関係ほど、他人の興味を引かない事象はないだろう。
 しかし、それを重々承知で少しだけ述べるなら、なんと実家が徒歩10分程度の距離で、さいたま市中浦和という最寄り駅からの帰り道も、最後の曲がり角まで一緒ということが判明した。帰路に点在する、ファミリーマートの数で盛り上がれる。同じ業界にいながらも出会わず、30年もの時間同じ空気を吸い同質の水を飲んでいたこととなり、さらには同じプラザホテル浦和に併設されたボーリング場で打ち上げをし、その上階にある同じバーミヤンのドリンクバーを頼んでいたことになる。そういうご縁もあるのだなと、改めて思い知った。
 そしてかれは、同業の企業に勤めているが、同業ではなかった。
 遠藤寛之を通じ、竹谷はクラウドファンディングに出会う。


 4という数を日本は忌み嫌う傾向が強いが、別の一面として、四角形からもわかる通り強固なバランスが4には含まれているようで、起承転結の四コマ漫画や東西南北の方角等、一度聞いたら忘れられない響きを持つ言葉も作られている。漢字を4つ並べて生まれる言葉は四字熟語とされ、アニメ化もされた小説『有頂天家族』の金閣銀閣兄弟のように、捲土重来や融通無碍といった四字熟語はたくさんのひとに愛用されている。漫画『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』の強敵志々雄実は弱肉強食という四字熟語を信念としてよく使い、当時小学生だった竹谷は「所詮この世は焼肉定食」と言い換えて遊んでいた。なお、樋口一葉は四字熟語ではない。
 古来から続く四字熟語であるが、新しく作られるケースもいくらかあるように見受けられる。個人的に大の苦手な言葉である自己責任はおそらくその一例で、2000年代に入ってからちらほら使われ始めた四文字であるように思う。責任は自分で負うものなのだから、わざわざ自己と頭につける理由がなく、またこの言葉を使う状況のほとんどが「私には関係ない」と他人を突き放す時なのも、なんだか好きになれない。
 話が逸れた。四字熟語ライクな言葉なら、これはもっと最近になってから用いられてきた言葉だろう。
 地方創生。
 東京圏でなく、地方を活性化することで日本社会を広く維持しようという意思を指す。竹谷は専門家でないため誤っていたら謝るしかないが、町おこしや村おこしもその一環と言えるはずだ。
 そしてその地方や地域に特化してクラウドファンディングを展開していたサービスにFAAVOというものがあり、当時サーチフィールド社の事業のひとつであり、つまりは遠藤さんの担当していた業務であった。知り合った頃にはすでに、かれはクラウドファンディングに精通しており、素人の竹谷にあれこれと教えてくれた。クラウドファンディングとは、単なるお金集めではないこと。よく進むプロジェクトと、そうでないプロジェクトの要素。ほかにどのようなサービスを他社が展開しているか。
 その他社のひとつに、株式会社CAMPFIREがあった。
 遠藤さんとの出会いから半年後、FAAVOはCAMPFIRE社に事業譲渡され、随伴してかれはサーチフィールド社からCAMPFIRE社のスタッフへと天地を新しくする。
 

 ここまで緊張するのは、初めてかもしれない。
 握りしめたマイクから、なにか重圧が伝わってくるかのように、竹谷はじわりと四肢に汗を感じていた。
 マンガ新聞大賞のプレゼンター役でも、何か名状しがたい大事なイベントでの挨拶でもなかった。
 立っている場は、お店の角である。段差があり、お立ち台となっていた。いくらかの知り合いでないお客たちと、盛り上げ隊という煌びやかで明るい女性たちが、竹谷が歌うのを眼前で待っている。
 アニソンカラオケバーZ。中野にある老舗のコンセプトバーだ。
 歌うことは大好きだが、人前で歌うとなると話が変わる。緊張感で、張り詰めた弓の震える弦の、その切っ先のような顔つきとなっていたに違いない。そもひとりでバーへ入るのに高い敷居を勝手に感じ、UFO王子のささやんに同道をお願いしてさえいた。そしてそのささやんは、スマートフォンを構え、撮影のスタンバイが完了している。
 どうして、今ここで歌うことになったか。
 小刻みに揺れる手を必死に抑えながら、竹谷はBUMP OF CHICKENの『カルマ』を歌い始める。
 必ず、僕らは出会うだろう。その歌詞が示す通り、ささやんと遠藤さんとは必ず出会った。そしてさらに、「必ず」と言えるような出会いが生まれていた。
 絶唱の片手間で思い返す。アニソンカラオケバーZさんとの起点を挙げるとするならばそれは、CAMPFIRE社、ひいては遠藤さんとの繋がりからだ。


 遠藤さんがCAMPFIRE社へ移ってからも、何かと一緒に遊んだり、食事をご一緒したりしていた。面白いプロジェクトをかれからキュレートしてもらい、竹谷個人または法人ミリアッシュとして、支援させていただくことも一再でなくあった。現在ミリアッシュのウェブサイトには今日に到るまで支援してきたプロジェクトの件数と総額を記載しており、これは他社には中々できないだろう内容でもあると自負しているのだが、まさに遠藤さんとの関係性あってのものである。
 遠藤さんは見た目そのままのナイスガイで、ささやんと同じく交流会で知人を紹介してくれ、また、CAMPFIRE社の方々とのご挨拶の機会を設けてくれることもあった。よくわからないまま誘われるがままで人生で初めて宮崎へ飛び、CAMPFIRE社の宮崎支部の立ち上げの瞬間を、CAMPFIRE社の皆様と一緒にお祝いさせていただいた。代表の家入一真氏にご挨拶もできれば、宮崎の美味を堪能でき、さらにはへべすくんという、宮崎名産の柑橘系果物であるへべすの化身にも運よく遭遇できた。
 そしてCAMPFIRE社のひとりに、現在はサービスが終了しているが、当時クラウドファンディングのミニ版と言えるフレンドファンディングサービス、その名もpolcaを展開していた責任者の方がいた。クラウドファンディングでは支援額に見合ったリターン、つまり返礼品のようなものが必要だが、polcaではそこは重要視されず、少しのお金をただお渡しする。バーチャルYouTuberことVTuberの生配信でのスーパーチャットや、ピクシブ社の運営する総合マーケットサービスBOOTHのBOOST↑等、投げ銭を経験できるものはあちらこちらに存在していたが、竹谷が初めて投げ銭そのものの魅力を強く感じたのは、polcaであった。
 誕生日だから祝ってほしい。財布をなくして落ち込んでいるから慰めてほしい。両親に旅行をプレゼントしたい。Nintendo Switchがほしい。
 そういう雑多で人間らしい感情や欲望がpolcaには溢れ、なんとなく「しょうがないなあ」と知人のような気持ちで数百円を払う。ひとによっては「なぜそんな他人ごとにお金を払うのか」と訝しんでも当然であるが、竹谷にはどうしてかこの寄付めいた投げ銭が大変魅力的に映った。
 そんな折だ。
「polcaのチームブログに寄稿してくれませんか?」
 遠藤さんを通じて、このような話がpolca側より届いた。自分でよければ、と二つ返事で応じ、polcaの面白さの原因を自分なりに考え、ああでもないこうでもないと文章をこねあげた。
 まだそんなにひねくれていなかったからか、送った文章は無事polcaのチームブログに載り、遠藤さんやpolcaの責任者の方からは感謝をいただいた。どれくらい読まれているかは竹谷の知る範囲ではないが、それよりも、自ら書いた文章がなにかの媒体で読まれることに、妙な嬉しさを抱いていたように覚えている。
 その媒体は、何だったか。
 掲載されたウェブサイトを眺めながら、ひとつの言葉を覚える。
 note。なんとなく文字としては見かけていながら、しっかりと隅々まで目を配ったのはこれが初めてであった。
 これは、即刻盗むべきものかもしれない。
 そう思い、チームブログを始めたい旨を、すぐさま会議の議題として出した。いつも通りの竹谷のわがままであるが、杉山寺井の両名はいつも通り快諾してくれ、方針は「好きなものを好きと言う」に決まった。次いで、竹谷はカタカタとブログ用の文を書き始める。好きなものを好きと言うために。
 そうしてこしらえていく最初の文章は、自分のこれまでの話だった。好きなものを好きと言う、そのテーマはどこへ飛んだのか。いきなり逸脱した内容へなったと頭では理解していても、憑りつかれたように、指をキーボードへ叩きつけていく。この世に絶対はないが、これがミリアッシュと竹谷にとって絶対必要だと思った。その思いに比例して、文字数もどんどん膨れ上がていった。
 2019年8月29日、公開した株式会社ミリアッシュ設立に到るまでの話は、ありがたいことに反響も大きく、たくさんの方にお読みいただいた。今もなお大変お世話になっているサイバーコネクトツー代表取締役松山洋氏や、ナンバーナイン代表取締役小林琢磨氏からも高評価を頂戴し、ミリアッシュと竹谷をより深く知っていただく契機を作ることができた。
 そして、noteを間借りした竹谷の冗長な自分語りは、思いがけない新たな出会いを生み出す。
「竹谷さんとお話してみたいです」
 チームブログを始めました、というFacebookへの投稿に対し、そうコメントをいただいた。
 アニソンカラオケバーZのオーナー、生明康之。竹谷のようなオタク垂涎憧憬のディープな街中野で、老舗のアニソンカラオケバーを続けてこられてきた大先輩だった。生明さんとは、先に述べたような交流会でご挨拶をしてのち、緩くSNSで繋がっていただけの関係だった。
 竹谷の文を通じ、変化が生じたのだ。
 もちろん即答し、中野でお食事をご一緒しながら生明さんのお話を聞き、漫画『ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン』の登場人物ジャイロ・ツェペリの言葉の通り、”納得”を優先するために会社勤めを辞めて独立された経緯等、お聞きしていて面白く、そして共感させていただくものばかりであった。
 そして、意気投合と表現するだけでは足らないようなこの信念の共鳴は、望外の事態を呼び寄せる。
「ミリアッシュさんに作っていただいたイラストを、アニソンカラオケバーZに飾らせてください」
 そんなことがあるのか。喜び驚き再びの即答とともに、8周年をお祝いするイラストを寄贈させていただいた。本当にありがたいことに、現在でもそのイラストはアニソンカラオケバーZさんで一番目立つだろうお立ち台のすぐ傍に飾っていただいている。
 ちなみに、初めてアニソンカラオケバーZさんへこっそりとお邪魔した際、生明さんは不在であったためご挨拶できずじまいであったが、ひとりで行く勇気のなかった竹谷は前述のささやんに同道をお願いしていた。ささやんには、ここぞという時の精神的支柱として寄りかからせていただいている。
 王子の徳の高い愛は、竹谷のような捻じくれた民にさえ行き届く。


 2020年、めでたそうな数字の並び方とは反比例するかのように、世界は語るまでもなく未曾有の様相を呈していた。
 幸運にもミリアッシュはあまり影響を受けず、今まで以上に報恩を意識して働いた一年間だったが、これはどちらかと言えば少数派で、思うように働けない人々の方が圧倒的に多かったはずだ。
 もちろん、飲食しながらみんなでカラオケを楽しむ、アニソンカラオケバーZさんも例外ではない。現在でこそ席数減少と徹底除菌でリスクに取り組みながら営業されているが、それでも春頃は営業を停止せざるを得ず、その時の生明さんの心中は、竹谷ではとても計り知れない。
 しかし、やはりというべきか、「ジョジョ好き」は苦難に挑む闘志があるのだ。
「コロナショックを受け、現在クラウドファンディングを検討してるのですが、CAMPFIREの担当者をご存知の方いましたらご紹介いただけると有り難いです」
 2020年4月7日、生明さんはFacebookでこう発信された。竹谷が漫画『鬼滅の刃』の技霹靂一閃のごとき速さでコメントしたのは、想像に易いことではないだろうか。
「熱意あるひとを紹介できます」
 もちろん、遠藤さんを指している。直後、生明さんに遠藤さんを紹介し、なんと一週間後の2020年4月13日、アニソンカラオケバーZさんのクラウドファンディングは始まった。この速度から、『風の谷のナウシカ』の「火の七日間」のように、高く火柱を上げているおふたりのガソリン量をご推察いただけるだろう。そして、そのプロジェクトのトップバナー画像は、ありがたいことに弊社で制作させていただいたイラストだった。
 それからおよそひと月後の2020年5月15日、信じられないことに、アニソンカラオケバーZさんのクラウドファンディングは、500,000円という目標金額を大いに吹き飛ばし、漫画『ドラゴンボール』の界王拳も結構びっくりのおよそ6倍、2,972,297円という額を集めて無事終了した。
 およそと言ったのは、足らなかったからではない。
 後日、生明さんと遠藤さんと3人で、クラウドファンディングの達成を祝う会を開いた。当然、場所は中野である。
 その時、生明さんが照れながらこう言ってきた。
「本当に誰だかわからないのですが、クラウドファンディング中、ポストに4万円が入っていたんですよ」
 それを聞き、遠藤さんと竹谷は一寸固まってからどよめく。説明を重ねるが、クラウドファンディングには、支援した額に応じてリターンがつく。ふるさと納税の返礼品と同じような感じだ。
 そのリターンさえ不要という、ただただ純粋な応援の寄付。支援額は、実は3,012,297円だった。
 生明さんが8年もの期間、平均寿命80歳とすると人生の一割をかけ、丁寧に丹念に続けてきた仕事の結果。そのひとつが、如実に顕現していた。信頼は基本的に不可視だが、まれに何かを媒介して、ポツリと目の前に出てくるのだ。
 寄付をされた方も、その結果を作り上げた生明さんも、筆舌に尽くし難くかっこいい。竹谷もかっこよくなれるよう、もっと頑張らねばと改めて意を固くした。
 余談だが、来年2021年の早いうちに、竹谷はアニソンカラオケバーZさんで一日店長をやる予定だ。もしよければ、万障繰り合わせの上お越しくださればと思う。


 ささやんと夜もすがら遊び、遠藤さんの熱い手を握って振り、noteを生明さんに読んでいただき、今こうしてそれぞれの出会いを書いている。それらは本来別個で、竹谷の小宇宙に並んでいたものであったものだが、まるで星座が出来上がるかのように連なり、大きなひとつとなった。漫画『鋼の錬金術師』の「一は全、全は一」というのは、漫画『ハイキュー!!』の「すべてのプレーは繋がっている」というのは、漫画『HUNTER×HUNTER』の『大切なものは、ほしいものより先に来た』というのは、きっとこういうことなのだろう。
 今日大切にする誰かとの点は、明日出会う誰かとの点へと連なっている。月並みだが、点は線となり、線は面となり、面はかたちとなっていく。何かのかたちを成すには、まずは点がなければならない。
 2021年は、早いもので、ミリアッシュは5年目となる。大台に乗るその1年間、ひととの出会いをどう意識していくかは、すでに答えが出ている。

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お読みくださり、誠にありがとうございました。
下記は、アニソンカラオケバーZさんがクラウドファンディングをなさっていた際、寄稿させていただいた応援メッセージです。この場をお借りし、再度応援の意も兼ね、掲載させていただきます。

 中野でお食事をご一緒した日を、今でも思い出します。
 生明さんの独立された経緯や、お仕事に対する姿勢を拝聴し(半分くらいは『ジョジョ』の話だった気もしますが)、ぜひなにか会社間で取り組みをしたい、と意気投合しました。
 また、大先輩(出身大学が一緒でした)である生明さんが竹谷に興味をお持ちいただいたのは、竹谷が自身の会社設立について書いた記事をお読みくださったからでした。そういった経緯で生まれたのが、今回プロジェクトのトップ絵にもご活用していただいているイラストです。これらはすべて、お互いがお互いにビジネスを本気で全うしていたからこそ、生じ得たご縁だと考えています。
 その折のご休業。ご決断に至った生明さんの胸中を思うだけで、やりきれない感情を拒めません。とはいえ、応援しにお店へ行くことも、当然ながら可能な状況ではありません。大好きな飲食店や、常連として通われているお店のある方は、今まさに同様の苦さを噛みしめられているのではないでしょうか。竹谷は、生明さんの哲学の結晶であるアニソンカラオケバーZさんに対して、とりわけ強くそう思っています。
 アニメやマンガへの愛が溢れた空間に、気配りよく行き届き、明るくかわいい盛り上げ隊の皆さん。恥ずかしくて歌おうとしない弱虫な竹谷に、優しく根気よく歌を勧めていただきました。
 その生明さんが、お店存続のためクラウドファンディングにご挑戦されると聞けば、支援しないわけがありませんでした。変化に適応し、歩みを止めない精神に深く感嘆し、賛同します。本当にかっこいいです。
 あの場を、生明さんの覚悟を、消してなるものか。
 微力ながら、この度メッセージというかたちで、応援させていただきます。竹谷の思いを、支援以外でお伝えする機会をくださり、改めてありがとうございました。無事、お店の営業が再開可能となった暁には、竹谷という新人一日店長とともに『ネットにひっかかってはじかれたボール』に乾杯しましょう。
 その時は、さすがに竹谷も歌います。
 プロジェクトのさらなる成功と、お店でまた会える日を、心から祈念して。  

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福岡出張二日目(2020年12月18日)、サイバーコネクトツーさんがお貸しくださった本社応接間の棚に飾られたご実績を拝見し、深甚に感じ入りながら。

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