世阿弥の「風姿花伝」を現代の仕事や生き方に通じるエッセンスとして翻訳し、能に楽しく興味をもたせてくれる名著
時の試練を経た古典は、その多くが現代に通じる、
いえ、普遍的な人間の営みに通じるエッセンスを持っているので、
読み手が生きてきた中で得た必須の概念に響くのだと思われます。
もちろん、歴史的に繰り返し起こる事象に対する知恵、
未来予測としても有益なことは言うまでもありません。
今回は、特に新刊ではありませんが、
自分の生きる国の文化にもっと関心を持っていきたい、という
(まだ持っていなかったんかい、といわれてしまいそう)
気持ちから、土屋恵一郎 著、「世阿弥 風姿花伝」を見かけ、
早速読んでみました。
土屋氏は、2020年まで明治大学学長を務められていた、
演劇や能に造詣が深い方であり、今回の著書を読み進めていくと、
上手に現代の経営や運営、生き方と絡めわかりやすく語られ、
やさしさと好奇心、能への愛情を感じられる一冊でした。
構成は次の通り大きく4章に分かれ、
最後に能を体験してほしい旨が書かれています。
特に心惹かれた箇所を、まとめておきたいと思います。
【珍しきが花】
導入として、世阿弥の生きた時代背景、
風姿花伝が描かれた考察がなされています。
まず世阿弥の大きな功績として二つあげられます。
1、数多くの能の作品を書き残したこと
2、世界初の演劇論ともいうべき「風姿花伝」を書き残したこと
ここではどのように世阿弥が能を現代に続くまで昇華させたのかを、
権力者の交代など時代の変化によるパトロン、マーケットの変動を
見極め対応する必要(マーケターとしての力量)があったこと、
そしてその対応として「能」の在り方を進化させる力
(イノベーターとしての力量)が現代にも通じる姿として記されます。
現代のイノベーションと通じるところは、
いま私たちが「能らしい」と感じているものは、
時代背景に合わせ、当時すでにあったさまざまな芸から
取り入れられたものであること、
また、能の研究者の間では「複式夢幻能」と呼ばれる
新しい物語のシステム(形式)を確立し、
源氏物語や平家物語などすでにあった古典を、
能として量産できたことなど、
(今で言えば異世界ものが形式としてアニメ化
されていることでしょうか笑)
その世阿弥の発想は、数多くのビジネス書や自己啓発書に見られる
アイディアを何百年も前にすでに行なっていたことです。
また、発想においては、
「複式夢幻能」に見られる「夢」の活用も
イノベーターとしての力量が垣間見える例です。
複式夢幻能の形式は、
旅の僧が、ある者に出会う。
↓
ある者がありありと物語り、消える。
↓
後に村人などから、
その者は、語られた物語の当事者の霊で
想いを残し亡くなった者で、
弔ってほしいと頼まれる
↓
その夜、僧が霊自身となり、
語られた夢を見、苦悩の舞を踊る
↓
夜が明け、霊も消える
といったパターンで、これに
すでにあった古典(源氏物語や平家物語)を
入れ込み、「能」の量産を可能にしましたが、
そこに用いられた「夢」という装置は、
メディアやスクリーンのなかった時代に、
誰もが知っている「夢」を通し観ている者が
バーチャルな体験をすることが可能となりました。
これだけでも、革新的なアイディアが詰まった「能」ですが、
本書は本質的な言葉ながら面白い言葉でまとめています。
それが、世阿弥の
「珍しきが花」
という言葉でした。
世阿弥の「花」という概念は、
「花と面白い、珍しいは同じ」ということ
(もっと広く深い意味があるのですが、詳しくは本書を是非お読みくださいね)ですが、
時代に合わせ、芸の新結合を成し成熟した「能」は
私たちが知っている古典のイメージを覆し、
新たな関心をもたらしてくれるのではないでしょうか。
まさに「花」とは「イノベーション」のことかもしれませんね。
【初心忘るべからず】
二章目は、私たちのよく知っている(紹介される世阿弥の言葉の多くを私たちは知っているので驚きます)「初心忘るべからず」についてです。
この言葉自体は、風姿花伝ではなく、その後に書かれた「花鏡」のものですが、風姿花伝にも初心については語られ、
世阿弥は、人生にはいくつもの初心がある、と述べています。
本書では、能役者人生における、いくつかの「機」に、
その都度、「初心」があると世阿弥が述べた本当の意味を
解説しています。
特に興味深いのは、「初心」と老いの美学ともいえる「却来」が対に、
あるいは表裏一体に語られる場面です。
世阿弥の父、観阿弥が最後の舞を踊る際、
老いて、動きが限られる中、それでも
「いよいよ、花が咲くようにみえ」
その価値を積極的に評価しました。
これは、オペラやバレエなど「青春の芸術」と異なり、
日本の芸能、そして日本人の美意識に大きな影響を与えたそうです。
確かに、「老いてのち、なにかがある」という期待は、
無意識に私たちが持っている価値観だと納得する記述でした。
そして、この章の終わりに、「却来」(きゃくらい)について語られます。
「却来」とは、ある境地に達したあと、また元に戻る、という意味ですが、
世阿弥は、美しい歌舞中心の能を極めた役者も、
年を取ったら能のルーツに近い鬼能をやるとよいと言っています。
そして、そこに「幽玄」があるというのです。
本章では、著者の「却来」による幽玄の体験なども書かれ、
まさに世阿弥の価値観、息遣いが能を通し、伝わってくるようです。
前章で書かれた、世阿弥のイノベーターとしての能力は、
そのまま生き方にも反映されています。
老いてたくさんの壁がある度、
それを創意工夫して咲く花を追及する姿は、
ビジネスも生き方もどちらがありき、ではなく、
すべては自分のそういった「価値観」の表れに過ぎないと
感じさせてくれる章でした。
(とはいえ、生き方をしっかり持ち、仕事もプライベートも一貫性があるなんて才能ないと難しい。。能だけに。なんちゃって)
【離見の見】
能といえば、「幽玄」という言葉を耳にしますが、
その「幽玄」について、世阿弥の言葉を通し、具体的に説明されています。
「幽玄」とはもともとあった言葉ではありますが、
世阿弥が選び、強調した「能」の美意識として定着しています。
世阿弥は優秀なコピーライティングのセンスがあり、
キャッチコピーとなる言葉を生み出す天才でもありました。
「幽玄」を語る際、当時の「男色」の歴史的背景も語られます。
(本書でも「幽玄」の概念を知る際、必須の歴史的背景と
書かれてはいますがボリュームは少なめです)
また「幽玄」のほかに、世阿弥の残した言葉たちが紹介されますが
どれも生きていくためのヒントとなる強度をもった言葉です。
・「一調二機三声」 (機の力学)
・「かるがると機を持ちて」 (場は生き物)
・「時節感当」(時に当たればうまくいく)
※()内は意訳
そして、上記の話を絡め、最後に「離見の見」について。
能の舞台の構成と観客の位置関係から
目は前を見て、心は後ろに置く、
といった意味ですが、
その視点は、自分の芸だけに固執せず、
ほかの芸からも良さを積極的に取り入れた
「我見」ではない世阿弥の視点でもあります。
これは、私たちが持つべきメタ的な認知・視点でもあるでしょう。
個人的な関心として、メタ的な認知を人間はどのように獲得するのか
常に興味があり、
学業だったり宗教だったり、修練だったり哲学だったり、
あるいは経験的な人間的成長だったりするのかと考えていましたが、
今回、突き詰められた美意識もまたメタ認知の一つかと思いました。
【秘すれば花】
最後の章で紹介されるのは、「男時女時」(おどきめどき)そして。
人生において勝つとき負けるとき、良いとき悪いときがあり、
いわゆる女時にあがいてもしかたがない。かといって、
なにもしないのではない。
そのときにこそ、芸を磨きいずれめぐる男時に備えよ、という意味です。
その奥の一手を常に準備し続ける意味として、
「秘すれば花」らしいのですが、
現代では少し違って使われているのもおもしろいですよね。
(恥じらいで色気倍増的な意味かと思っていました。え? 私だけ? )
そして、「秘すれば花」と「珍しきが花」は表裏一体と
著者は語ります。
秘する花は常に創り磨き続けられ、珍しき花となるよう努力が必要である。
これは、「能」という伝統に保守的なイメージを持っていた
私にとって見方の変わる言葉でした。
残り続けるには、新しく変わり続ける。
まさに、能は革新的であったと同時に真理でもあったことが
現代まで続く理由であったのです。
■能を見に行く
さて、世阿弥について紹介が(著者にとっては足りないでしょうが)一通り終わったところで、実際に「能」を見てみよう、という構成になっています。
ここからが、読んだ私にとって世阿弥の紹介と同じくらい、
現代に生きる人々にとって必要なもう一つの「エッセンス」が
紹介されているな、と感じました。
東京近辺の「能」の鑑賞できる会場が紹介され、
そして、近くに能を見る場所がない人は、、、呼んじゃえ!
なんと、この著書の方自身が「能」の
プロデューサーになったいきさつと、
「能」自体が芸であったと同時に、
大衆の娯楽でもあったことなどの歴史とともに
紹介されます。
私が最近感じることは、
やはり強く純粋な好奇心と、行動力があれば
人は何でも「始める」ことができるということ。
そして実際に「関わる」こと。
そして、そのちからは何よりも大きい。
それは一つの「離見の見」であり、
イノベーションもそういった気持ちから動いている人が
成功している、ということです。
もちろん、なかなか自分の行動の意図自体を
エゴから離し「離見の見」の域に到達することは
難しいものです。どんな人間にもエゴがあり、
私にもあります。
しかしながら、ここもまた
「初心忘るべからず」
「秘すれば花、珍しきが花」
好奇心を大切に、はじめてみること、関わることを恐れずに、
イノベーションを日々の小さな変化から
起こしてみたいと思いました。
特に、文化は鑑賞するだけのものではなく、
著者の「能」の対する姿勢と同じように
「関わる」ものでありたいと思います。
そういった意味では、まさにnoteは「関わり」の文化。
発信を通し、たくさんの方と「関わる」ことを楽しみにしています。
末筆ではありますが、
「能」を大変わかりやすく、
そしてわたしたちに身近なものとして
やさしい語り口でご紹介くださった著者の
土屋 恵一郎氏に御礼を述べたいと思います。
是非、「能」を知っている方も知らない方も、
特に知らない方にとっては入門、というより
のめり込んでしまうくらい楽しい書となっていますので
機会がありましたら是非ご一読ください。
また、初めてのnoteへの投稿でしたので
長々と拙く(読み疲れてしまっていたらごめんなさい)
ここまでお読みいただいたあなたへも
「ありがとう」をお伝えしたいです。
今後も是非、お読みいただけると幸いです。
written by Noboru Parker