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計算論的精神医学に入門してみた

CPSYコース東京2023に参加してきたので、単なる感想だけれどもその話をしようと思う。
まず貴重な機会を与えてくれた主催者および参加者のみなさんに感謝したい。長年いろんなことをやってきたのでセミナーや研究会には慣れているが、このような密度の高いレクチャー・ディスカッションが実現することは稀だと思う。また、若い研究者や学生さんが多く意欲も高いので分野の将来性が感じられた。また全体として非常にオープンでアットホームな雰囲気の集まりになっており、関係者のみなさんの暖かいおひとがらが表れているように感じられた。多忙な中でこのようなイベントを企画し準備してくださった関係者に心から敬意を表したいと思う。

さて、筆者の立ち位置からいって、ここからは全く計算論について予備知識のない読者を対象として想定することにしたい。
コースに参加しての感想でもあるのだが、ハードなサイエンスとしての計算論的精神医学についてのセミナーゆえにその内容としては、一般の臨床現場にいる医師や心理職がなじんでいる概念や世界観とはかなり距離の遠い文脈での研究ということになる。また科学的に厳密に考えれば、このような異なった文脈での議論の成果を、安易に臨床的現実に当てはめることは誤りに導く危険が存在することも意識しておく必要がある。しかし、ハードなサイエンスとしての計算論の概念枠組みには、臨床精神医学の概念枠組みそのものを変革していくような力があり、この力を適用することなしに現代臨床精神医学の行き詰まりを打開することはできないとも思われる。
そこで、このふたつの世界を媒介するような提示の仕方が必要になると感じた。学問分野としては、本来は認知神経心理学がその両者をつなぐ分野となるのだが、そもそも臨床家にとっては認知神経心理学そのものですらハードルが高いという現実がある。このため、やや粗暴な操作であることは承知の上で、臨床精神医学的な文脈での記述によって、ハードなサイエンスとしての計算論的アプローチによる概念セットと対応づけられるような臨床的概念化を作り出すことを、ここしばらくシリーズ的に試みたいと考えている。

正直言って、「誰得なんだよ? 」という感じもするが、少なくとも自分の臨床にとっては必要なので、物好きな方はおつきあいいただければ幸いである。

セミナーの内容である計算論的精神医学そのものについては、成書『計算論精神医学』(勁草書房)が出版されているので、ちゃんと勉強したい方は本NOTEシリーズよりも、ただちにこの緑本を読むことをおすすめしたい(電子版もある)。全体を精読することがもちろん望ましいが、非常に広い範囲を持つ分野なので、特に自閉症研究に関心を持つ臨床家でかつ短時間で要点を知りたいのであれば、1章から3章を読んだ上で、5章のニューラルネットワークモデルを詳しくみたあと、まず11章13章を読むとよいだろう。

日本の自閉症研究を振り返ってみると、十一元三による間接プライミングを用いた自閉症の情報処理についての研究が重要な成果として輝いてはいるものの、認知神経心理学的な、あるいは情報処理心理学的なアプローチをする研究者の取り組みは必ずしも力強いものではなかった。太田昌孝は、シンボル表象機能の障害というアイデアと並んで、場面の統合という機能について注目していたが、論文という形では具体的成果に結びつかなかった。
十一元三・神尾陽子を含む京大グループ、および太田昌孝を中心とする東大グループに属する富田・清水らの貢献として、自閉症に関するウタ・フリスの仕事の紹介があり、何冊かの本が日本語に翻訳された。その中には「弱い中心性統合(weak central coherence)」概念の紹介が含まれていたが、かならずしも臨床レベルで広く理解されるには至らなかったようにも思われる。その一方で、「ガラパゴス的」といっては失礼に当たるだろうが、自閉スペクトラム症の”精神病理学”的な記述については異常なまでに多くの論考がなされ成書も多い(あまり多いので参考文献は省く)。しかしそれらの記述は、臨床的には非常に役立つ深い洞察を含むとはいえ、統一的で全体的な概念的総合を欠いており、厳しく言えばそれらの洞察そのものが「弱い中心性統合」の実例のようになってしまっていることは皮肉である。

いまのところ、ゆるふわな感想のレベルだが、ニューラルネットワークモデルによる自閉スペクトラムの特徴表現は、非常にシンプルなモデルであるにもかかわらず、疾患の幅広い特徴をさまざまな側面でよく再現している。特に、過学習・オーバーフィッティングあるいは不適切なマッピングの自己組織化などの概念は、階層的予測誤差最小化と組み合わせると、「弱い中心性統合」あるいは「失文脈」などの神経心理学的所見に関連するさまざまな特徴や、感覚特性、社会的相互作用における特徴、協調運動などの学習の障害、行動の汎化や高次の抽象概念の形成の困難さなど多くの特徴を統一的に説明可能であるように思われる。そこで、今後の予定としてディスカッションセッションで学んだ論文を紹介しながら、臨床の観点からこの点についてもうすこし詳しく解説しようと思う。(今のところ上手くできるという確信があるわけではない)

臨床の側から、計算論的精神医学に期待することは、もちろん病態の解明ということもあるけれども、このような多様で文脈を異にする精神病理学的な記述の群れに対して、全体的に統合された理解の枠組みを提供してくれるのではないかということにある。そのことが、次のステップとしては、多くの異質なものを含む自閉スペクトラムの多様性を記述できる新しい枠組みの発見につながり、さらにはサブグループおよびケースの多次元的な位置づけの測定可能な枠組みの構成に至るのではないかと考えている。


【参考文献】
『計算論的精神医学: 情報処理過程から読み解く精神障害』 国里愛彦, 片平健太郎, 沖村宰, 山下 祐一 勁草書房 2019

『間接プライミングを用いた自閉症の言語連想の研究』十一元三 精神医学 40 (6), 623-6 1998

『自閉症児の表出言語と表象機能との関係: 自閉症児の言語の発達を促す指導』仙田 周作, 染谷 利一, 亀井 真由美, 松永 しのぶ, 太田 昌孝 聴能言語学研究 10 (1), 27-34 1993

『自閉症とアスペルガー症候群』 ウタ・フリス (冨田真紀訳) 東京書籍 1996

『ウタ・フリスの自閉症入門―その世界を理解するために』 ウタ フリス (神尾陽子・華園力訳)中央法規出版  2012


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