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モロッコ旅③サハラツアー:気分は隊商⁉6カ国のツアーメイトと砂の世界へ

2024年2月15~24日のモロッコ一人旅の記録です。最初の宿泊地・マラケシュの観光を終え、いざ憧れのサハラ砂漠へ! マラケシュ発、フェズ着の2泊3日のツアー(2月18~20日)の模様をお送りします。

▼ ピンクシティ・マラケシュを満喫した前日(2月17日)の模様はこちら

▼ 初日(2月15~16日)から読まれる方はこちら

日本語で話せる、と思ったら…⁉

18日、サハラツアーのピックアップは7:30。朝食もしっかり食べておきたかったので、7時のオープンと同時に食堂へ。一番乗り組はほかにもたくさんいたが、ビュッフェ会場はまだバットが並べられている最中でバタバタしていた。出たメニューからよそい、超スピードで頂く。

ツアースタッフは、ほぼ時間通りにロビーに迎えに来てくれた。先にワゴンに乗っていたのはノルウェーの人、後から乗ってきたのもヨーロッパの人たち。「Sabaku Toursというからには日本人客が多いんだろう、ツアー中は日本語で話せるな」と思っていたけれど……あれ?

実はこの人たちはそもそもツアーメイトでもなかった。18日出発で予約したお客たちをマラケシュ中のホテルからまず1カ所に集め、行き先別のバスに乗せ換えるのだ。ちなみに、ツアーを予約しただけで安心してしまい、メールをよく読んでいなかった私は、最初のワゴンでいきなり集金されて焦ってしまった。参加費135ユーロのうち、事前決済したのは40ユーロだけで、残りは出発日に現金払い(950ディルハム/95ユーロ)だったのだ。Sabaku Toursご利用の皆様、こんな間抜けな人は他にいないかもですが、ぜひご注意ください。

乗り換えたミニバスは、大きなシートで快適。私は2列目に座ったので、最初はツアーメイトたちの声しか分からなかったが、今、覚えている限りではこんなメンバーだった。

■サハラ砂漠へ向かうツアーメイト

  • フランス人家族(パパと3人姉弟)

  • ギリシャのエンジニア3人組

  • トルコ人夫婦

  • ポーランドの母娘

  • オランダ人夫婦

  • オランダ人の女性(彼女の連れが思い出せない……)

  • フィリピン出身オランダ在住の女性2人組

つまり、日本人は私だけ(笑)。でも、みんなフレンドリーで旅慣れた、気持ちのいい人たちだった。全員英語が母国語ではなく、似たようなペースで話せるのも、私にはちょうどよかった。

アトラス山中に残る要塞の街

1日目の観光スポットは、世界遺産のアイト・ベン・ハッドゥ。バスを降りると、ベルベル人の青い衣装に身を包んだガイドさんが待っていた。

2日目の底抜けに陽気なガイドさんもよかったけれど、1日目の彼は英語もきれいで、とても分かりやすい説明だった。二人ともまず英語で話した後、フランス人家族のために(小さい弟君がいたので)フランス語で繰り返す。そういえば、スイスあたりのガイドさんには、これを3カ国語も4カ国語もする人がいたっけ。近い言語とはいえ、一瞬で切り替えるプロの技には感心させられる。

「アラビアのロレンス」「グラディエーター」など数々の名画のロケ地になった要塞の街、アイト・ベン・ハッドゥ。
今は観光客向けに、ベルベル人の文化を紹介するショップが入っている
熱気を遮断する日干し煉瓦の厚い壁。夏は40度を超えるという
ランチはレストランで各自好きなものを注文。私は野菜タジンを選択
ミニバスの車窓からも目が離せない。雪をかぶったアトラス山脈も見えた

この日の宿はダデス渓谷のロッジ。夕食時、どこに座ろうかと見回していると、奥に座っていたオランダ人夫婦の旦那さんが手招きしてくれた。彼の名前はボブ。「英語っぽい名前ですね」と言うと、「みんなにそう言われるよ。まあ、自分の名前は選べないからね」といたずらっぽく答える。彼らの住むオランダの北部地域には独自の文化があるらしく、言葉も少し違うのだとか。あれほど小さな国にも、そんな地域があることに驚く。

反対側に座ったギリシャ出身の3人組は、学生時代からの仲良しで、それぞれエンジニアになった今も休暇を合わせて旅行しているそう。一人は今はロンドンで仕事をしているという。内容が複雑だったうえにだいぶ忘れてしまったのだが、どうもビザの関係で一定期間ごとにギリシャを離れる必要があり、そのタイミングで旅行している?というような話だった。たぶん3人は外国からの移民だったのだと思う。

夕食もタジン(ボケボケですみません)。
深い味わいで私は大好きだったが、ツアーメイトの中にはモロッコ料理全般が苦手という人たちも(スパイスが体質に合わなかった?)

夕食後はアフリカ音楽のショーもあったが、疲れていた私は食べ終わってすぐ部屋へ。簡素な部屋だったが、シャワーはお湯が出たのでほっとする。あまり使わなかったものの、Wi-Fiもあった。

ついにサハラへ!夕暮れの砂漠をラクダと共に

ツアー2日目もお天気は快晴。午前中、ベルベル人の村を散歩したのがとても楽しかった。モロッコの2月はもう早春で、萌え出した緑が美しい。爽やかな空気の中、アーモンドの白い花も満開だった。

ツアー中、ずっと親切にしてくれたフィリピン出身の二人組。
この川で洗濯している村の人にも出会った
これがアーモンドの花。
ツアーメイトたちに日本の桜の開花時期を聞かれ、日本人代表としてご説明した。
いつか本当に遊びに来てね!
散歩の次は、絨毯づくりのデモンストレーションを見学。
真面目そうな説明役の男性がこの後、下に写るギリシャ3人組の一人を(髭もじゃの見た目から)「アリババ」と呼び、全員爆笑
深く削られたトドラ渓谷にも立ち寄った。右手を上げているのが陽気なガイドさん。
ロッククライミングの聖地らしく、元気なフランス人パパが登りかけるふりをして見せ、3人姉弟にたしなめられていた

長いドライブの後、いよいよ前方に砂漠が見えてくると、バス車内が静かな興奮に包まれた。途中、四輪駆動車に乗り換え、ラクダツアーの始点に向かう。

大人しく待機するラクダさんたち。
私たちが近づくと、「あ、お仕事の時間ですか?」というような反応を見せ、まるでSabaku Toursの社員かのよう

昨日案内された店で買った大きなスカーフを取り出し、教わった通りに巻いてみる。下3分の1あたりで結び目をつくってうなじに当て、上を広げて頭全体を覆った後、残りをねじり鉢巻きのようにして頭を一周させ、最後に結び目を解く。意外に簡単にできた。

私が乗せてもらった白いラクダは、とても大人しい子だった。座った状態のラクダにまたがり、立ち上がると一気に視点が高くなる。5頭で隊列を組み、中学生くらいに見える男の子が先頭のラクダを引いてくれた。彼はまだ見習い中なのか、ときどき違うルートに入りかけ、別の隊を率いる大人に注意されている。アラビア語の会話は全く分からなかったものの、男の子が何やら主張しては、やんわりと諭されているようだった。

ばっちりカメラ目線の白いラクダちゃんと私。
立ったり座ったりするたびに「キューン」と鳴いていた最後尾の子はまだ赤ちゃんとのこと。
それでも健気にお仕事してくれた

1時間半ほどラクダに乗っている間、目の前に本物の砂漠が広がっていることが信じられないような、夢を見ているような気持ちだった。一面、砂しか見えない世界は、静謐で美しかった。リズミカルな揺れに身を任せつつ、「私は今、サハラ砂漠にいるんだ」と噛み締めると、自然に頬が緩んでくる。

芸術的な稜線に目を奪われる
踏むのが惜しいような砂紋

ちょうど日が落ちる頃、キャンプに到着。一組ずつ用意されたテントに落ち着いた(私は一人で一部屋使わせてもらった)。テント内にはベッドが置かれ、トイレやシャワー、洗面台は共同。中央の大きなテントが食堂になっている。

砂漠の中のキャンプ。夜は極寒で、風邪を引く人続出

オランダ版金八先生との会話

夕食中、フィリピン二人組の一人が「ごめんね、名前を忘れちゃって」と話しかけてきた。「アキラ、だった…?」

「アキコ! でも、アキラも本当にある名前ですよ。コは日本語で子どもっていう意味なの」。頭の中で「明(アキラ)+子」という字を思い浮かべながら話していたのだが、そこは漢字を知らない人たちに伝わるはずもない。「じゃ、ラはどういう意味?」なんて聞かれたら答えられないな……。

「じゃ、アキはどういう意味?」。違う方向からオランダ人のボブが参加してきた。普段、アキコの漢字を「明るい子」と説明することはあるが、それはほとんど「一番簡単な字のアキコです」と言っているだけのようなもの。「名前の意味」を聞かれることは、私の場合(誰もが知っている漢字だけに)、日本ではまずない。

「アキは……Brightです」。ちょっと口ごもって答えると、予想した通り「じゃ、Bright childなんだね!」とボブ。随分賢そうな響きだけれど、「明」にも確かに「賢い」の意味もある。そこは同じなんだなと面白く思いつつ、なんとも面映ゆかった。

ボブは哲学&進路指導の先生。オランダでは離婚が多いらしく、「親が離婚している子は、なかなか心を開かないことも多いんだ。でも1年間接し続けているうちに、何かが変わってくる。それは見ていて、はっきり分かるよ」と話してくれる。いい先生なんだなと思いながら聞いていると、「で、アキコは何の仕事をしてるの?」。突如私の進路指導になった。

「会社に所属して、代表のゴーストライターのような仕事をしてたんですが、先月退職しまして。今後はジャーナリストになれたら、と思ってます。まだ思ってるだけですけど……」

もし日本語で話していたら、もっと曖昧な言い方をしていただろう。自分の限られた英語の語彙からとっさに引っ張り出したのが「ジャーナリスト」だったのだが、図らずも本音が出たような気もした。

「あなたはいいライターですか?」。質問するボブはすっかり先生の顔になっていた。
「と、自分では思ってます」
「そこは、ハイって言わなくちゃ。まず、自分を信じることが大事だからね。それにしてもこんなところまで来て、帰ったらラクダのことでも書くのかな?」
「アハハ。でも、砂漠に来るっていうのも私の夢だったんです。一生に一度はと思って」
「ほら。じゃ、夢を叶えられたんじゃない」

同じようにこれからの夢も叶えればいい、という意味なのはすぐに分かった。こんなところでオランダ版金八先生に出会うとは――砂漠の夜のひんやりした空気と共に、忘れられない会話になった。

テントを出ると、360度の地平線まで続く星空は、まるでプラネタリウムのよう。圧倒されるほどの存在感だった。たまたま月が明るい時期だったが、新月の頃はもっとすごいのだろう。

一気に470キロ北上し、古都フェズへ

翌朝、またラクダに乗って昨日の地点まで戻り、何度か車を乗り換えた後、一路フェズへ。私は途中からツアーメイトたち(フェズへ向かう人とマラケシュへ戻る人がいた)とは別の車に割り振られ、お別れのあいさつができなかったのが残念だった。最終的に落ち着いたミニバスに乗っていたのは、ほぼスペイン人のグループ。フランス人も少し混ざっていたようだ。

サハラ砂漠の日の出

ランチのテーブルで一緒になったのは、何度もモロッコに来ている女性と、一人旅好きで最近日本にも来たという男性。二人ともスペイン人で、女性の方が英語が堪能だったので、ちょいちょい通訳してくれる。フェズの宿(マラケシュ2日目の夜にネットで予約)の場所がよく分からなかったので彼女に聞いてみると、「私は詳しくないけど、夫なら分かると思う」とのこと。彼女の夫はバス酔いしたようでランチを抜いていたが、世話焼きらしくあちこちのテーブルを飛び回っていた。

この旅一番の長いバス旅で、私も少し酔ったものの、暗くなってから無事フェズ市内へ。宿の場所問題は、世話焼き氏が解決してくれた。トイレ休憩中、突然「ハポネサ!」と呼びかけられ、宿の名前と住所を伝えると、あれこれ調べてくれ、「Down the medina!」と教えてくれる(「メディナ」は旧市街のこと)。随分シンプルな指示に思えたが、実際、バスが着くブー・ジュルード門から、緩い坂になっている旧市街のメイン通りをひたすら下った場所だった。

旧市街には車は入れないので、今でもロバや荷馬車が活躍。メイン通りとはいえ、かなり狭い道はごった返していた。「この辺で一本入るはず」と言われていたあたりでお店の人に聞いていると、「案内してあげる!」という男の子が登場。今、思えば遠回りされた気がするものの、確かに宿まで「案内」してくれた。まあ、重いバッグも持ってくれたし……と、仕方なくチップを渡す。迷路の街、フェズの洗礼を早速受けつつ、無事に砂漠ツアーを終えることができた。

▼ 明日は白い古都、フェズを観光します

※モロッコ旅④は執筆中です

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