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暗黒の青春時代はオーケンや太宰に救われた。

僕の人生において最も深く沈んでいたのは高校時代だった。

いじめられたとかハブられたという覚えはないし、それなりにうまくやれていたと思うが、元々幼少期から人付き合いに疲れる方で、自分から勝手に心の中で周囲と一定の距離を置いていた。そんな状態のまま高校に進学したものだから、高一の終わり頃からは校内で一度も声を発さずに帰宅する日も珍しくなかった。

誰ともコミュニケーションを取らなかったわけではなく、幼馴染や一部の友人とは交流し、その友人達が偶然共通して軽音楽に触れていた事から、僕も自然とロックンロールやエレキギターに触れる事となった。

実際触れるロックの世界は、自身が今までイメージしていた派手で華やかな者たちの世界ではなく、意外にも自分のような心を閉ざした者に寄り添う物だと感じた。特にそう思うきっかけとなったのが大槻ケンヂとの出会いだった。

中3の半ば頃から文学に触れる事が多くなり、クラスメイトと連むことができずに一人の時間が増えた高校時代は、アルバイトで自由な金が増えた事もあり、より文学の世界にも没頭する事になった。そんな人間が文学とロックのどちらにも精通しているアーティストに出会うのはとても自然な事だった。

初めて読んだ「グミ・チョコレート・パイン」に登場する主人公たちが、大した事もできない地味なグループの男子のクセに、他のクラスメイトや意中の女子へのコンプレックス全開で、大衆があまり聴かない音楽に関心がある事だけで大きな気になっている滑稽な様は、どう考えても自分の事だった。そんな彼らが報われず、もがく様に共感し、カタルシスに大いに酔った。

何も成せずに沸々と過ごした僕は、高2の現代文の授業で教科書にあった「富嶽百景」を介して太宰治と出会う。彼の「人間失格」は、僕の心の影にある自殺願望まで肯定してしまい、絶望の淵の淵まで行った気にさせ、更にカタルシス漬けにしたのだが、今思えばそれは救いだったと思うのだ。

別に死にたいと思ってもいい、無理してクラスメイトと話さなくてもいい、本来そんな弱さをなんとか押し除けて、人として成長していくべきタイミングである中、この暗黒時代の僕がそれを押し進んでいれば、それこそきっと、僕の人格は死んでいたと思う。どこにでもいる、つまらない人間であったと思う。側から見れば今の僕もただのつまらない人間かもしれないが、自身がそうでないと信じ、30歳を過ぎた今でもネット上でこんな文章を掲載できるような自分を保てた事がとても素晴らしいと思うのだ。

オーケンや太宰に守られて、僕は今も生きている。自分らしく生きている。

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