【映画感想】「ボヘミアン・ラプソディ」
※2018年公開映画「ボヘミアン・ラプソディ」についてのネタバレを含む内容があります。
12月某日、20代として過ごす最後の夜、特に何かをするつもりでもなかったのだが、仕事の帰りを共にした同僚が、20代最後に何を食べるのか、何をして過ごすのかなど、妙に事細く聞いてきたために、こちらとしても何か特別な夜にしないといけないような気になってしまい、梅田まで迂回して前々から気になっていた映画「ボヘミアン・ラプソディ」はレイトショーで観る事にした。
「ボヘミアン・ラプソディ」は世界的バンドであるQUEENのボーカルであったフレディ・マーキュリーの生涯にフォーカスした伝記映画だ。
フレディ・マーキュリーは1991年11月24日、エイズの合併症による気管支肺炎により45歳という若さで他界。
私も人生の多くの時間をロックミュージックに愛を注いできた人間の端くれとしてQUEENは敬愛していたし、楽曲も人並みに聴いてきたし、余りにも有名過ぎるフレディのエイズでの死も知っていたが、彼らに対して大ファンと呼べるほどの知識は無い。ほぼ真っさらな気持ちでの鑑賞だ。
ネット上の映画レビューは5点満点中平均が4.3点という異常的な点数を1カ月以上保ち続けるモンスター映画であるにも関わらず、職場では誰に話してもタイトルすら通じなかったのだが、この映画を勧めてきた友人達は皆、私の音楽的な根底部分をよく知る者達ばかりであったため、何をもって私に勧めたのかをずっと確かめたくて仕方がなかった。
冒頭は映画ではお決まりのセンチュリーフォックスのロゴとテーマが流れるのだが、そのテーマがギターアレンジされていて、そのサウンドがギタリストのブライアン・メイによるものであるのは、ギターキッズであれば聴けばわかるだろう。私はひとりニヤリと唇を曲げ、気持ちを少し前のめりにしてスクリーンを見つめた。
家族と呼べるメンバーとの出会い、亀裂。
将来を約束した女性、メアリーとの出会い。
同性愛への目覚め、メアリーへの想いの葛藤。
彼の才能に集る者達、友の裏切り。
予期せぬ病との対峙。
この映画ではミュージカルの様にQUEENの楽曲が使われているのだが、その詞の多くが、フレディが生涯を通して常に死を強く意識していたのだと感じられるものが多い。
物語の終盤、フレディは確執のあったメンバー達へ謝罪しバンド活動を再開。メンバーに病気を告白し、バンドとして最大の大舞台である「LIVE AID」というチャリティーライブのステージへと上がる。
ここでこの映画のタイトルである「ボヘミアン・ラプソディ」が一曲目として披露されるのだが、その中の一節で特に響いた一節がある。
"I sometimes wish I'd never been born at all"
("時々 考えてしまうよ、いっそのこと生まれてこなきゃよかった")
最初は出生や容姿のコンプレックス、メンバーの裏切り、予期せぬ病、彼の人生のあらゆるシーンで思い浮かべたであろう一節だが、私の中ではフレディがメアリーへ同性愛者である事を告白をするシーンが浮かんだ。
彼は同性愛に目覚めたが、女性であるメアリーへの愛情を失った訳では無く、彼女を幸せにするという約束を守り通したいという想いが、ずっと彼の心の中に色褪せずに在り続けていた。その想いは結果的にメアリーを傷つけ続ける事になるのだが、メアリーと別々の人生を歩む事になろうとも、彼はその想いを貫き通した。愛する人を大切にしようとすればするほどに傷つけてしまう。その度に彼はこの一節を何度思い浮かべたのだろうか。
QUEENとして、そしてフレディとしても最も輝いたであろう、この「LIVE AID」のステージを愛する人たちに見守られてこの映画は終わった。
この映画の冒頭は、フレディと思われる男がベッドから目覚めると共に「Somebody to Love」(邦題:「愛にすべてを」)が流れ出し、優しく朝を演出するところから始まる。
"Oh Lord
Ooh somebody - ooh somebody
Can anybody find me somebody to love ?"
("あぁ神様、誰か、誰か僕の愛せる相手はどこかにいないのかい?")
この映画は、特殊な出生からコンプレックスを分かち合う仲間を見つけられず、ずっと孤独だった少年バルサラが、後に世界を圧倒するパフォーマー、フレディ・マーキュリーとなり、世界中を巻き込んで愛を見つけ出す物語だ。
世界中に愛を振り撒いて天国へ旅立ったフレディをリアルタイムで見ていたシニア世代も、そうではなかった子や孫の世代であっても、この映画はその愛のおこぼれを味わう事ができるだろう
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