見出し画像

「LGBT」を考えたい


こんばんは みょーです。

いつか絶対に向き合ってみたいと考えていた話題ですが、簡単に触れていいものでは無いと思っていたのでやめていました。


何が分かっているわけでもないですが、真面目に考えたいと思います。



簡単に触れられないと思った理由


まず「身体と認識している性が一致していて、異性を愛するセクシュアリティ」を何と呼ぶか知っていますか?

私が簡単にこの話題に触れられないなと思った理由がこれです。知らなかったんです。


いざ文章を書こうとすると私が属するこの性を何と呼ぶのかと考えました。

まず何も考えずに思いついたのは「普通の人」という言葉。


でも、この「普通」ってすごく嫌な言葉で、「LGBTの人達が普通じゃない」というのと同じ意味になりますよね。

それに気づけたので良かったのですが、私の配慮なんてちっせえもんなんだなと自覚したんですよ。真面目に考えているつもりでこんなこと言ってるとクソ野郎になるので触れられないなと思ってました。


実際、抱えている悩みを理解してあげられるわけでもないし、同じ視点に立つことも出来ません。そもそもこういう深刻な感じに考えるのも迷惑かもしれないですので、あんまりかたくなりすぎないようにします。



じゃあ本題に。


普通の人ではなく「ストレート」と呼ぶそうです。この語源はまっすぐということでは無くて、マイノリティに当たる人たちを歪んでいると呼ぶものではないそうです。私がこの言葉を知ったのはプリズンブレイクの主演俳優ウェントワース・ミラーさんのインタビューです。

ミラーさんはゲイであることを公言できないままプリズンブレイクでストレートの役を演じたそうで、自分の俳優としての道に悩んでいたそうです。


同性愛者であることは知っていましたが、ストレートという言葉は知らなかった、というのが私の知っていることと理解力の限界でした。




考えたいと思ったきっかけ


きっかけはハッキリと自覚していて姉が「びじゅチューン」にハマったことから、井上涼さんの存在を知り、「確信」という動画を見たことです。

3分程度の動画なので、内容の説明は無しでいきます。是非見ていただきたい。


この動画をみたことで、自分の学生時代を振り返りました。というのも何人か性について悩んでいる人がいたからです。

はっきりと周囲に分かるくらい堂々としている人もいたのですが、後から悩んでいることを知った人もいました。


そして私はその人を無自覚に傷つけてしまったことがあります。あとで気づいて謝るにも謝れませんでした。気付くのがあまりにも遅かったことやどう謝ればいいのかも分かりませんでした。

今はもう何もしないのが正解だと思っていて、それ以来その人との接点はほとんどありません。正直、心から尊敬している人だったのでとても後悔しています。でもその人にとっての私の存在が、一生嫌な人間として残っていることが一番の贖罪かなと思います。


私は中学のときにいじめに近いような仕打ちをされたことや、高校のときにもしょうもないちょっかいをかけられたことで、深さは置いといてそれなりに傷つきましたが、今謝られても正直めんどくさいですし、「謝るのってあなたの自己満足でしょ?」と思います。だからもう関わらないのが一番なんだろうなと考えています。当時を思い出させるだろうし。


「タイムマシンがあったらいつに戻りたいか」と妄想したことは誰でもあると思います。私は今の自分になるための大事な経験だと思っているので「別に戻らなくていいや」って結論にたどり着くのですが、他人を傷つけてしまったことはやり直したいです。そして一番に思いつくのがこのことなんです。


当時の私の感覚は「男は女を好きになって女は男を好きになる」「でも世の中にはそうじゃない人もいるけど、自分の周りにはいないし、これから関わることもない」といういかにも無知な感じ。

でも気づいていないだけで実際はいました。きっとそうだったんだろうなと確信できるような出来事もいくつか思い出せます。そう考えると意識をしているのかどうか、ちゃんと認識できているのかどうかというのは物凄い差を生むことでした。


私はもともと思ったことを言ってしまうタイプで、それがあまりいい結果を生まないことから控えるようにしていますが、仲が良くなるほど遠慮なく色々と言ってしまいます。

でも、もし「確信」のように身近な友人が出来た時、もしその人が性に悩んでいた時、遠慮も傷つけることもしたくありません。


これが考えたいと思ったきっかけと経緯です。




noteを始めてから


こうしたことを自分の頭で考えても、同じところをグルグルと回るだけで良い結果にたどり着くことは稀ですので、noteでLGBTについて取り上げた記事をいくつか拝見させていただきました。

特に私のフォロワーさんの記事は感動します。なんというか本当に感動します(語彙)

許可とってないんで紹介は出来ません。身構えた状態で読んで欲しくなかったという私のワガママです。



いろいろな記事を読む中で、おそらくLGBTという呼び方も古いものというかもっといい呼び方があるであろうこととか、特別視されるのも怖いという悩みなど、自分の知識や想像力では補えないことがたくさんありました。

一番自分の認識の限界を思い知らされたのが「僕のカミングアウト」という記事。


私は「ゲイであることのカミングアウトについての記事かな?」と思いました。

女性の方の記事でした。「僕」という一人称で勝手に男性だと決めつけていました。


こうした概念にとらわれていることに気付けて良かったです。私は比較的理解がある方なのではないかと思っていましたが、全然ですね。自分を悪く見すぎるのは良くないですが、だからって良く見るのもいけないと改めて思いました。


note始めて良かったです。




最後に


まずは知ることが大事なのかなと思いました。どっかで聞いたことがあるような言葉ですが、自分でその結論にたどり着くと全然感覚が違います。

幼い頃に「色んな性の形がある」と知ってはいましたが、それ以上の認識はなく、どこか”関わらないようにした方がいい”というような感覚で生きていました。多くの人はそうじゃないかな?


そしてそれが違うのかなと思いました。少なくともちゃんと知ることで、同性愛をバカにするような馬鹿な奴以外には、身近なことであるという事実は届くのではないかなと思います。



さて、最後の最後になりましたが、昨日私が言っていた男性の感覚、女性の感覚という話題。その両方を持っているのが井上涼さんだと思っています。

「びじゅチューン」の世界観、ストーリー、キャラクターは男性の視点、女性の視点の両方を持っていると思うんです。どっちかじゃできないし、どっちとも違う訳ではない。その感覚が羨ましいです。


あとこれは全然差別的な意味で言ってないんですが、やっぱり物事の捉え方にも性の違いというのはあって、最近で言うとカズレーザーさんの独特な考え方も、本人の知性だけで片付くような話ではない気がしています。あの明確で曖昧な答えを導き出す思考の道筋は、「頭いい」じゃ表現しきれないですよね。

だから私が「このひとすげー!」って思った人が、いわゆる「男らしい女性」だったり「繊細な男性」だったりすることが多いです。意識しすぎかもしれませんけど。



と、ここまで色々と振り返りつつ考えてきましたが、もっと色んな性の形が普通でも特別でもない存在になればいいなと思いました。

それにはまず知ることからですね。


では、今日はここまで。

何かおかしなことや失礼なこと言ってたら、すぐ訂正するので教えてくださいませ。



応援よろしくお願いします 心の支えになります