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お笑い芸人だった僕が、前澤ファンドから出資を受け 「最高の家」をつくる理由|マイホムCEO乃村一政

どーも、ぼくです。
あ、いえ、すんません、住宅業界特化のテクノロジースタートアップ、マイホムの乃村と申します。

「マイホムって何?」「乃村って誰?」というに方々に向けて自己紹介をさせていただこうと思います。


▼基本情報

名前
マイホム代表取締役CEO 乃村一政 Kazumasa Nomura

生年月日
1976年6月21日

プロフィール
1976年奈良県大和高田市生まれ。奈良県立高田高等学校を卒業後、吉本総合芸能学院(NSC)へ14期生として入学。約6年間の芸人活動を経て、訪問販売の営業マンに転身。2006年11月より住宅業界へ移り、2010年7月に奈良県でSOUSEIを設立。エリアNo.1に成長させ、住宅用IoTデバイスの開発にも着手。2021年2月にマイホムを立ち上げる。8人の子供を育てる大家族の父。

▼自己紹介

芸人......人生を変えたNSC

奈良県大和高田市という、ほんまに何の特徴もない、特産品はヤンキーという町で生まれ育ちました。

父親は、子供の僕からみても分かるほど不器用で真面目な人。それゆえ、家計は苦しく余裕がない学生時代を過ごしましたが、そこで救いになったのがお笑いでした。
ダウンタウンさんが特に好きで、彼らが出演していたラジオ番組「MBSヤングタウン」は全てテープに録音。擦り切れるまで聞き返し、自然と「芸人になりたい」という夢を抱くようになった僕は、高校2年生のときに幼馴染とコンビを結成。
「そちらの高校の文化祭で漫才をさせてください!」と自ら他校へ営業電話をかけて舞台に立たせてもらったりしていました。

高校3年のときにNSC(吉本総合芸能学院)を受け、1994年の秋生(14期生)として入学しました。同期はフットボールアワーや次長課長、野生爆弾、シャンプーハットなど。高校卒業後の1年間は、昼間バイト、夜NSCという生活を送りました。

芸人は約6年続けました。結局は鳴かず飛ばずでしたけど、大阪大学主催の漫才大会で優勝して大阪ローカルのラジオ番組を持たせてもらえたりしたこともあり、当時は「いつか有名になれたらええな」という夢を抱いていました。

それに、毎週平日に5分間の漫才の新ネタを考えて練習、休日に舞台で実践、という芸人時代のスケジュールはかけがえのない経験でした。

漫才のネタって、A4ノート1ページに行を空けずびっしり会話を書いてちょうど1分ぶんくらいなんです。5分間舞台に立つためには丸々5ページ分の文章が必要というわけです。

そのネタを作るには、例えば目の前にコーヒー牛乳があったら、相方がコーヒー牛乳になるコントにするのか、自分がコーヒー牛乳を飲みたいコントにするのか、二人でコヒー牛乳を作るコントにするのか.....と、日常にあるものをいろんな角度で考えてみる作業をしていきます。

どうしたら1番ユニークになるのかを考えて会話の構成を練る訓練を、それこそノイローゼになるくらい何年も続けて自分を鍛えたことは、お客さんへ営業トークをするときにも、一人でビジネスの展開を考える上でも、めちゃくちゃ役に立っているなと思います。

転職......人生を変えた求人広告

芸人時代に立たせてもらっていた心斎橋筋2丁目劇場は、1回のギャラが2000円。しかも現金支給じゃなくて、500円の入場券を4枚を手売りして自分の取り分を回収せんと収入にならないシステムなんです。さらに僕はそれを相方と折半するんで、1回の舞台で1000円しか手元に残らない。

そんな最中に家庭を持ちましたんで、潮時かなと思って求人広告を眺めていたら

「初月から月給40万円 あなたも夢の1000万プレーヤー」

の謳い文句を目にしまして。これや!と飛びついた先が、訪問販売の仕事でした。

扱っていたのが30万円くらいする結構高額な浄水器だったんですが、なんと入社初日に1台成約したんですよ。それで褒められてやる気になって、がむしゃらに頑張ったら、半年で成績もトップになって。俺は営業向いてるんやなと、数年間はなんも考えず働いてました。

でもあるとき目が覚めたんです。

いや、ちゃうちゃう。ほんまはもっと大きいことやりたかったはずや。
芸人なってテレビ出て有名になりたいと思ってたやん。
なんかこんな、ただ「稼げてハッピー」っていう人間じゃないやろ、俺。

それが30歳目前。でっかい挑戦を求めて、「住宅」というより大きな市場へと営業の舞台を移すことにしました。

起業......人生を変えたiPhone

ハウスメーカーでも、入社一年で事業改善計画書を作って社長に直談判したり、先輩社員の代わりに店長に立候補したり、業界タブーとされてる「葬式チラシ(黒塗り一色のチラシ)」で宣伝したり......初っ端から自分らしく働きました。

特に集客におけるアイデアは何通りも提案しました。大半は「非常識」だと却下されてしまいましたが、いくつか実践できたものでは、前年を超える結果も残すことができました。それでもやはり会社からはあまり評価されず、次第に閉塞感を感じるようになって。

そこで2010年、奈良県香芝市で地域密着型の注文住宅建築会社SOUSEI(SOUSEI - 香芝市
)を起業して独立します。

同時期に初めてiPhoneに触れたことが、人生の転換点になりました。

なんやこれ。なんでもできるやん。魔法やん。

ずっとテクノロジーとは無縁の仕事やと思っていましたが、完成後もアップデートできる家ができたら便利じゃないかと、住宅業界もIT化できないかと、考えるようになりました。

そこからHEMS(※Home Energy Management System=家庭内で使用する電気・水道などのエネルギーを計測管理するシステム)事業にも興味を持ち、住宅用頭脳デバイスの開発に力を入れていました。

そして2013年7月、世界初のIoT機能付きHEMS「Luterio」を完成させます。
高卒でIT未経験の新米起業家でもなんとかなるもんです。

世界初のIoT機能付きHEMS「Luterio」

さっそく、業界最大手のハウスメーカーが僕のデバイスを全戸標準搭載してくれるという話が進んで、一気に2万台分の仮契約をいただいたんですよ。
注目のベンチャー企業としてドイツで開催されたスマートハウスのシンポジウムに招待されてスピーチしたりもして、めちゃくちゃ幸先ええなと思っていたんですが......。

その契約締結の直前、国からHEMS関連商品に支給されるはずだった補助金の廃止が決定したんです。(省エネ政策の一環で、1台につき10万円がもらえる予定でした。)

今思えば補助金頼みで事業を組んでいたのが間違いなんですが、当然、単純計算で10万円×2万個=20億円の大型契約は反故になり、IT事業でのファーストチャレンジは失敗に終わりました。

ご縁......人生を変えた前澤ファンド

住宅用機能デバイスへの想いは断ち切れず、再チャレンジもしました。
2018年、SOUSEIの代表を妻に譲り、僕はIoT事業とアプリ開発事業を行うために分社化したSOUSEI Technologyの代表に就任。家の頭脳となるIoTデバイスHOME OS「v-ex」と、家の情報をスマートフォンで管理できるマイホームアプリ「knot」をリリースしました。

これもAmazon Echoと業務提携を組んだりして、累計調達額は14億円と、結構ええとこまで行ったんですけど、最終的には在庫を抱えてやりくりできなくなってしまい、2021年1月に倒産。このときはいろんな方に迷惑をかけましたし、負債も10億円以上抱えてしまって、激しく落ち込みました。

でも、結果的に失敗は何回もしてますけど、サラリーマンを辞めて会社を作ってからは、やりたいと思ったことに片っ端から挑戦してきて後悔はありません。

コネもなんもなかったので、お問合せフォームを駆使していろんな人と出会い、勉強させてもらいました。(参照:人生の大切な出会いは全てお問い合わせフォームから始まった|乃村 一政

マイホム共同経営者の金箱さん(以下:バコさん)との出会いも、当時彼がお勤めだったマネーフォワードのお問合せフォームがきっかけです。一年以上かけて口説いて、ようやく僕のところへ来てもらいました。

フォトグラファーさんに乗せてもらってハートつくりました

2020年2月には、Twitter(現:X)で目にした前澤ファンドに応募し、前澤さんともご縁を得ました。選ばれるのは応募総数4331社のうちわずか10社。さすがに難しいとは思っていましたが、一方でサービスの価値には絶対的な自信がありました。SOUSEI Technology倒産直後の2021年2月からマイホムを始動できたのも、前年末に最後の10人の起業家のうちの一人に選んでいただいたおかげで、ほんまに、感謝してもしきれません。

前澤さんは、エンドユーザーがどう幸せになるのかを徹底的に考える人。
例えば、僕らが次はこんな新機能をリリースしますと報告すると、すかさず「ユーザーはどうハッピーなの?」と追求される。
正直、僕はずっと営業マンとしてエンドユーザーに対面してきたし、成績も良かったので「お客さん目線」にはかなり自信があったんですが、前澤さんに出会ってその自信が打ち砕かれました。
今も月一回のミーティングの際、顧客目線が足りないと突き返されることがしばしばです。

信念......人生を変える「家づくり体験」

僕の、住宅事業を始めた当初からずっと変わらない気持ちは「家作りの体験を変えたい」ということ。

「家」というものは、各部の素材やデザインに差はあれど、現代の日本の住宅メーカーが用意する設備は高品質揃いだし、大前提としてお客さんの希望を聞いて作る注文住宅である以上、極端に悪い完成形にはならないんですよ。

じゃあ、本当の意味で住宅会社が提供できる価値の違いって何?となると、相談から引き渡しまでの一連の「体験」の方にあるんじゃないかと思うんです。

例えば、連絡。
工事について気になったことを質問した時に、メールや電話だと3日経ってもまともな返事をくれへん工務店がある中で、些細な質問にもチャットで即日対応してもらえたら、それだけで安心感が異なりますよね。

例えば、資料。
従来のように紙束でドーンと重要書類を手渡しされるんじゃなく、アプリ内で整理しておいてもらえたら、いつでもどこでも確認できるし、管理と保管の手間も省ける。リフォームや売買を検討する際もスムーズに情報を引き出せます。

これら一つひとつ、あらゆる「家づくり体験」を最高に気持ちよくすること。 
そのためのノウハウを、マイホームアプリ「マイホム」には詰め込んでいます。

目標......「面白い」で人生を変える

ぼくは人生において常々「でかいことがしたい」「一番になりたい」と思ってきましたが、有名になりたいとか、大富豪になりたいとか、そんなんは僕が思う夢とは違うんです。
人に尽くすとか、社会のために働くとか、それも、今回の僕の人生にはちょっと合ってない。

やっぱり原点はお笑いをやっていた時と同じで、「自分のアイデアでみんなを驚かせたい、ワクワクさせたい」ってことに尽きるんです。

それは、すでに家を建てたいと思ってるお客さんだけじゃなく、家を建てたいなんて思ってもなかった人に「面白そうやから家建ててみたいな」と思わせること。

マイホムアプリやPlusMeを通じて、関わった全ての人から「マイホムが出てきてから住宅業界は面白くなった」って言ってもらえるようになること。

僕は、他人から「とても真似できん、真似したいとも思わん」と思われるような再現性のないトライアルが大好きなんです。
本当は会社経営に向かない性格やと思います。
だからこそ、マイホムは共同経営なんです。
バコさんは再現性を作るプロ中のプロですから。

少し前までの僕は「無謀なチャレンジ、派手な取り組み、それこそがスタートアップだ、それこそが起業家だ!」と思っていましたが、失敗を重ねることで、本当に大切なのは「身の丈を超えたチャレンジをすること」ではなく「身の丈自体を高くすること」なのだと気がつきました。

僕は「伝える力」「巻き込む力」「熱い想い」では誰にも負けません。
でも「マネジメントスキル」「経営力」「ビジネスセンス」が足りません。そこは、共同経営者の金箱に背中を預けています。

こんな僕を𠮟り、励まし、マイホームアプリという事業を応援してくださる方々に、心から感謝しています。

みなさま、これからもどうぞよろしくお願いします。

マイホムコーポレートサイト/アプリサイト


編集:眞板響子
撮影:曽川拓哉

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