[小説] リーラシエ ~月齢3~
リーラシエは毎朝日の出とともに起きる。太陽が地平線からほんの少し顔を覗かせただけで目覚ましとして十分な役割を果たす。
一方で猫がいつ姿を現すかはまちまちだった。リーラシエの側で眠ることもあれば、家に来ないこともあった。まさに神出鬼没だ。
この数日、旅人としてリーラシエの家に泊まっている間、ディアナはリーラシエの一挙一動に興味が絶えなかった。これまでの旅路で人里離れた場所に泊まったことは何度もあるが、リーラシエの暮らしはそのどれとも違かった。
一人なのだ。どこに行ってもどんな過疎地域に行っても皆誰かと一緒に住んでいた。家族、友人、あるいはただの同居人同士。形は違えど、皆共同生活を営んでいた。
そして、電気もガスも水道も通っていない。今まで見た誰よりも原始的な生活を送っていた。発展の速度はそれぞれで機械の発展が著しい地域もあれば、ぎりぎり電気だけは通っているという地域もあった。
しかし、電気もガスも水道もない暮らしを送っている人がまだこの地上に存在するとは思わなかった。いたとしても頑固な老人くらいだろうと思っていたから、尚更驚きだった。
朝は採れたての野菜で作るスープ。リーラシエは朝起きると外に空気を吸いに出て、そのまま食材採取に行く。
今日はディアナも連れて行ってもらうことにした。ここに来て初めて、日が昇る頃に起きられたからだ。旅人というと日の出とともに目覚めるというイメージがあるようだが、ディアナはそうではなかった。
「おはようございます、リーラシエさん。」
「あ、おはよう…ございます。早いですね。」
今日は特段寝起きがよかった。いつもしっかり太陽が昇ってから起きてきて、その上起床後はむにゃむにゃ言っていたディアナが真夏の太陽のような溌剌とした様子で挨拶したからか、リーラシエは戸惑っていた。
「あの、毎朝食材を採りに行っているんですよね。私もついて行ってもいいですか?」
「はい…」
リーラシエの目には驚きと戸惑いの色が浮かんでいたが、リーラシエは一緒に行くことを承諾してくれた。
リーラシエとディアナは無言で足を進めた。リーラシエは表情一つ動かさず、さっさと歩いていく。ディアナを気にして後ろを振り返ることはなかった。
ディアナは何とも言い表せない居心地の悪さを全身で感じていた。リーラシエがあまり人と喋ることを好まないたちなのは感じていたが、ここまで喋らないとは予想外だった。
旅をしてきた中で寡黙な人の家に泊まったこともあるが、饒舌でないながらも懸命にその地域の暮らしぶりや特産品、祭りなどを教えてくれた。いくら普段無口でもはるばるやって来た旅人に自分たちの地域の良さを知ってほしいと思うものなのだろう。
ディアナはリーラシエの方をちらりと見た。相変わらず何の感情も映していないような顔で黙々と歩き続けている。こちらを振り向く様子はない。リーラシエはこの土地に愛着がないのだろうかとディアナは思った。
「ミャオーン。」
声がした方に目を遣るといつもの猫が尻尾を振ってこちらに向かってきていた。
「おはよう。」
リーラシエは目を細めて猫の顔を撫でた。さっきまでの無表情が嘘のように。まただ。リーラシエは猫にだけ愛に満ちた表情をする。本当に幸せそうに。
ディアナに対しては愛想笑いすらしない。それに対して不満や嫉妬は一切ない。旅人としては雨風防げる宿と温かい食事を提供してもらえることが何よりありがたいことだから、それ以外のことは割とどうでもよかった。
しかし、がっかりする気持ちが全くないわけではない。ディアナはその土地に暮らす人たちと話し、交流を深めることが好きだった。旅の醍醐味と言ってもいい。ここではそれが望めそうにはないが。
「ここです。」
リーラシエの声でディアナは我に返った。
「わぁ。」
ディアナは思わず声をこぼした。視界いっぱいに植物が生い茂っている。背の高さも色も形も様々でそれぞれが天に向かって伸びている。ところどころに花が咲いていて寒い時期とは思えないほど鮮やかだった。
その場に立ち尽くすディアナを置いてリーラシエは緑の中に分け入った。猫もその後に続く。ディアナも慌ててリーラシエの後を追った。
「これと、これと、これ。あと、これも。」
リーラシエは数ある植物の中から食べられるものを選び採り、持ってきたかごの中に入れた。
「すごい。」
ディアナは思わず口にしていた。旅人ならある程度食べられる植物の区別はつく。しかし、リーラシエほど素早く的確に見分けられる人は見たことがない。
「え?」
リーラシエはきょとんとしていた。
「すごいです。瞬時に食べられるものを見分けられて。その上すべて丁度食べごろで。」
リーラシエは納得したように頷いた。
「私も最初は何が何だかわかりませんでした。けれど、猫が教えてくれました。」
リーラシエは頬をほんのり朱に染めて答えた。ディアナはハッとした。リーラシエの素直な表情を初めて見た。今まで感情が宿っているのかわからない陶器のような人だと思っていたが、頬を染めるほど照れている姿に妙に人間味を感じた。
ディアナにじっと見つめられたリーラシエは気まずそうに帰路についた。
その日のスープはいつもより鮮やかで、優しい甘みを感じた。
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