見出し画像

[小説] リーラシエ ~月齢4~


「おはよう。」

リーラシエは窓から差し込む微かな陽射しで目を覚ました。闇の中から這い出たような太陽。これから朝焼けの世界が始まる。

「ミャウ。」

隣で寝息を立てていた猫も目を覚ました。猫は大きなあくびをして、伸びをした。それから辺りをくるくる歩き回る。これが猫の毎朝の日課だった。

「おはようございます。」

声がした方に目を遣ると、ディアナが立っていた。早朝だというのにシャキッとしている。

「おはよう…ございます。早いですね。」

リーラシエはぎこちなく挨拶した。ディアナが家に泊まりに来て数日経つが、リーラシエはまだ会話することに慣れていなかった。特に朝はまだ頭がぼーっとしていて尚更だ。

ディアナは昨日からリーラシエと同じ頃起きるようになった。泊まりに来た最初の頃はリーラシエが朝食を摂り終えてしばらくしてから起きていた。リーラシエは旅人は太陽と活動をともにするものだと勝手なイメージを抱いていたのでディアナの行動は意外だった。

「今日もついて行っていいですか?」

ディアナが伺うようにリーラシエに聞いた。

「はい。」

「ミャオン。」

リーラシエが猫に目配せすると猫は嬉しそうに答えた。





リーラシエは少し先の地面を見ながら歩いていた。依然として口を固く閉じている。何か話すべきなのかもしれないが、何を話せばいいのかわからない。ここでの暮らしのことか。猫のことか。はたまたリーラシエ自身のことか。

話題を思いついては掻き消し、掻き消しては話題を考えた。しかし、これといった話題は思い浮かばなかった。どれもこれも当たり障りのない表面的なことに思えた。かと言って深奥な話をするのも気が引けた。

「ミャオン。」

猫の声がしたかと思うと、猫がリーラシエの一歩後ろで飛び跳ねていた。見ると、そこには淡藤色の小輪の花が咲いていた。道の端にひっそりとそれでいて凛と佇んでいる。

「こんなところに咲いてる。」

リーラシエは顔を綻ばせ、愛おしそうに花を眺めた。猫は宝物を見つけたと言わんばかりに自慢げに飛び跳ねている。

「ありがとう。」

リーラシエは猫の顔を優しく撫で回した。リーラシエと猫のやり取りを見ていたディアナは身体がじんわり温まるのを感じた。この二人は信頼し合っている。心の底から尊重し合っている。

そのことが嬉しくもあり、また少し寂しくもあった。リーラシエはあの優しく温かな眼差しを猫にしか見せない。猫としか心を通わせない。

一方、まだ知り合って数日しか経っていないとはいえ、ディアナには表情一つ動かさない。会話どころか挨拶さえ辿々しい。傲慢なのかもしれないが、ディアナは嫉妬のようなものを感じていた。

「…猫は周りをよく見ています。世界の隅々まで視界いっぱいに映しています。私が見逃すような些細なことも猫は見逃しません。いつもこうして世界の美しさを教えてくれます。」

リーラシエは一息に言い切るとふっと肩の力を抜いた。表情には優しさが滲んでいる。恥ずかしさからか俯いている。

ディアナは嬉しかった。やっとリーラシエが感情を向けてくれた。猫のことを話すリーラシエは温かかった。愛に満ちていた。猫も誇らしげに目を見開いている。

「ミャ。」

かと思いきや猫が不機嫌そうに喉を鳴らした。

「急がないと。お腹、空いたみたいです。」

リーラシエはお腹を空かせた猫を追いかけるように駆けていった。ディアナも慌てて後を追う。

ディアナは感心した。リーラシエは猫が一言発しただけですぐに猫が何を思っているか察する。ディアナはころころ変わる猫の感情に翻弄されて、猫の感情を読み取るどころではなかった。どれだけの時間をともにしたらああなれるのだろう。

「…ディアナさん。旅は楽しいですか?」

不意にリーラシエに問われ、ディアナはぴくりとした。今までリーラシエから話しかけてくれたことは、まして質問を投げかけてくれたことはあっただろうか。ディアナは飛び上がりそうになるのを堪えて言葉を紡いだ。

「はい。とても、とても楽しいです。知らない土地に行くことも、そこに住む人と話すことも、そこにしかない料理をいただくことも。」

ディアナは本当に楽しそうに話していた。今まで訪れた土地や会った人のことを思い出しているのだろうか。ディアナの目はきらきら輝いている。

「どうして、旅人になったんですか?」

無意識にリーラシエは尋ねていた。満ち足りた表情をして旅のことを語るディアナにリーラシエは無性に興味が湧いた。

「私は小さな村に生まれました。街のはずれにある静かな村です。街はずれで小さいながらもよく旅人が訪れていました。旅人たちからの評判もよく、『礼儀正しい』、『共同的』と評されていました。しかし、それは集団主義の裏返しでもありました。」

ディアナの表情がどんどん険しくなっていく。リーラシエは尋ねたことへの申し訳なさを募らせた。

「…友達がいたんです。いえ、あまり話したことはないので友達と言うのかわかりませんが。その子はとても特殊な存在でした。見えないものが見えたり、自然への共感力が強かったり。私はその子に興味津々で、仲良くなりたかったんです。けれど、『普通』と違うことを拒み、邪険にする村の風土に阻まれ話すことさえできなくなりました。」

ディアナはうなだれ、目には強い哀愁の色が浮かんでいた。

「ある日、その子はいなくなってしまいました。村人からの排除する目線に耐えかねたのでしょう。…私は、悔しかった。村の空気なんて無視して話しかければよかった。そうしたらあの子がいなくなることはなかったかもしれない。」

ディアナが顔を上げ、遠くを見据えた。

「私はその時決めました。旅に出て、強くなろうと。周りの空気に押しつぶされずに生きられる強さを手に入れようと。そして、もし生きていたらあの子を見つけ出そうと。」

ディアナは自分に言い聞かせるように言った。ディアナの目には強い意志が宿っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?