#401 泳げなくてプール指導が憂鬱/これまで編
2023.8.7.
夏と言えばプール!どこかでプール指導について絶対書こうと思っていたところ、N=^_^=kotyo先生の記事がもう出ていた!
すみません、被るトピックスですが、追随いたします。
★幼少期に言われた「水難の相」
まだ自我も芽生えぬ幼少期、私にはどうやら水難の相が出ていたらしい。川に行っては水に落ち、公園に行っては噴水に落ちたそうだ。そのせいか、気付くと、顔を水につけるのも嫌がる程の水嫌いになっていた。(顔に水がつくと、両手で上から下に水を落とさないことには目が開けられないタイプの人)
その後、どうやらスイミングスクールに行っていた時期があったようなのだが、嫌がりすぎて何級などが始まる前の「かにグループ」で辞めた。
かにって…泳がないからね!笑
★小学生時代に負けず嫌いが爆発する
ということで、小学校でのプールの授業は苦痛でしかなかった。流石に顔を水につけるくらいはできるようになっていたが、泳ぐのはからきし。ゴーグル必須。プールの水面に目を凝らしては、死んだ虫を見つけて勝手に怯えていた。宝探しだって、できれば足で取り上げたい。
だが、何年生の時だったかは忘れたが、先生に言われたのだ。
「ほらみんな、体育がすごく得意なみゃーさんでも苦手なものはあるのよ!」
みたいなことを。
ふーーーーーーーーーーん。
どの先生に言われたのか忘れるくらいだったので、言った相手に対しては何も感じていなかったのだと思うのだが、プライドが鬼高い私にはこの発言内容は許せなかった。
そこからは、なんとか「どちらかと言えばできる方」くらいのところまではレベルを上げようと、授業・夏季プールで必死に練習した。(習いに行くという選択肢はなし)先生にアドバイスをもらい、多少苦しくても気合いで乗り切った。いや、苦しい時点で泳ぎ方に難ありなのだが…。確か当時は学校で飛び込みもやっていた気がする。時代だ。
6年生では飛び込み・100m泳ぐ(気合いの賜物)辺りまでクリアし、学校の特1級を取って水泳を終えた。小学校レベルのものは、たいてい負けん気でできるようになるものだ。
★中高では水泳から解放される
中高では、なんと水泳指導がほぼ皆無だった。学校にはプールがなかったので、中1の夏に数日間、新宿かどこかの施設に行ってプール指導があったくらいで、それ以降は全く泳がなくてよくなった。
どうなってるんだろう、中学校の指導事項は…。
なのでそこからは、プールとは浮き輪に乗ってぷかぷか浮かぶか、流れるプールで流されて楽しむか、ウォータースライダーで遊ぶかくらいの接し方になった。平泳ぎの方が遊ぶときは便利で、クロールって何だっけというレベルになる。
★大学体育科での恐怖体験
大学に入ると、体育科配属になった者たちは…何年次かに水泳実習が必修だった!
その水泳実習の課題は「海で2時間の遠泳」だった。
ムリ、ムリ、ムリ!!!
いやもう、本当に意味がわからなかった。体育科は先生も友達も大好きだったが、遠泳が必修というのを受け入れるのにはだいぶ覚悟が必要だった。
事前実習はプールで。泳力別にABCに分けられ、全く泳げないという人も確かいたので、私はBだったと思われる。プールでやったこと…それは、15分間泳ぎ続けるというものだった。
いや、辛すぎる。死んじゃう…。で、本番はこれを、2時間???
大丈夫!プールよりも海の方が浮くから!勝手に浮くから!などとなだめられたが、恐怖でしかなかった。
実際、海水では体は浮きやすい。力を抜いて泳ぐことさえできれば、なんとかクリアできると思うのだが、当時の自分の一番のネックはメンタルだった。「怖い」「ムリ」と思うと、体が強張る。呼吸が速くなる。
2時間遠泳の本番、ボートに乗って並走(並泳?)している教授から声をかけられた。
「おーい。呼吸が速くなってるぞー。落ち着けー。大丈夫だー。」
私は対策を立てた。何か泳いでいる間に考えよう。そこで、当時所属していたバレー部の部員一人一人について考えることにした。怖いキャプテン、励まし合う同期、それぞれの良いところや嫌なところ。笑。泳ぐことから意識を逸らすことに成功し、何とか2時間を泳ぎ切ったのだ!終わってから放った一言は「ありがとう、バレー部!!!」だった。
この実習で得たものは泳法ではなかったと思う。またしてもクロールは使わなかったし。そして、遠泳の技能でもない。得たものは「私は海で2時間足をつけずに泳ぎ切ったんだ」という事実。やり切ったことはすごいことだし、ちょっとネタにもなるというものだ。
自分のことしか考えていなかったのだが、よく考えれば、この実習の引率とか、教授たちは大変だっただろうなあ。2時間、学生たちの様子を見ながらボートで並走。時々一緒に泳ぐ。途中でボートから投げ込まれた氷砂糖は印象的だ。甘くて、塩辛かった。
★プールと無縁の会社員時代
社会人になってからは、ほとんど泳ぐ機会はなかった。夏になると、ビーチバレーの大会に行かないかと友達に誘われ、試合前後に海に入って水と戯れる程度だ。
そんな水泳とほぼ敵対状態だった私が、30歳になって、子供たちに水泳指導をしなければならなくなるのである…。
続く。
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