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No.39所感=^_^= 30歳過ぎて、水泳大会に出たこと①

今回は、夏にちなんだ話題を。

先日まで、世界水泳が、盛り上がっていた。
池江璃花子さんは、病気を乗り越えただけでなく、また、世界の舞台にまで戻って来られて、本当にすごいと思う。

選手たちには遠く及ばないが、30代前半に、地域の水泳大会に出場したことを、思い出した。
というか、水泳大会を見ると、必ず毎回、水泳にまつわる昔のことを思い出す。



私と水泳

私は、スイミングスクールに通ったことはない。
正確に言うと、小学校低学年の頃、初心者対象で数回で完結する、地域の公営屋内プールで行われた無料のスクールに、一度通ったことがある。

時期は、冬休み。
温水プールだから温かい、無料で泳げるようになればお得!…。
という両親の期待も空しく、私は、一切泳げるようにならなかった。

当時、小さくて痩せていた私は、水温25℃、プールサイド30℃という温度設定では、すぐに唇が紫色になった。
皆さんご存じのとおり、プールの中では泳いでいれば体は温まるが、泳げない子がじっと浸かっていると冷え切ってしまう。

確か、1週間くらいのコースだったが、私は毎回、すぐに冷え切って、プールサイドでタオルをかぶって、ガタガタ震えていた。
さらに、帰り道、濡れた髪は寒風にさらされ、タオルをかぶったぐらいでは防げないほど寒かった。

なんで、泳げるようになる必要があるのだ?
なんで、私はこんなめにあっているのだ??
と、どんどんプールが嫌いになっていった。

最終日、習いに来ていた全員が、25mプールの縦を泳がされた。
端でやっと足が届くくらい、公営のプールは深い。
私は最初から、自分にはムリと完全にすくんでいた。

案の定、プールの半分もいかないところで水を飲み、もがいているところを指導員に救出され、私の水泳人生は終わった…と思った。


小学校のプール

そもそも、なぜ、私が冬に無料のスイミングスクールに通う羽目になったかというと、小学校のプールで、全く泳げるようにならなかったからである。

私が通っていた小学校のプールは、敷地が狭く、それを解消するために、体育館の下にプールがあった。
当時は、温水プールとして画期的だったのかもしれないが、水温は25℃までしか上がらず、体育館の下にある日陰のプールは、風通しもよく、小さくて痩せっぽちの私は、すぐに唇が紫色になり、震えあがった。

1学年の児童数が200人ほどで、✖6学年。
たぶん学年を半分にして入っていたので、1週間に1回程度入れるかどうかだったのだと思う。
その少ないチャンスに、甲羅干しというプールからつながるコンクリートの日向で、タオルをかぶって震えているのだから、泳げるようになるわけもない。

夏休みに小学校で数回実施された水泳教室には、比較的きちんと通ったというか、通わされた。
時間になると、家を出され、仕方なくプールに向かった。

ある日、手をぶんぶん振り回しながら歩いていたら、どうも飛んでいる蜂をたたいたらしく、左手の小指が腫れた。
これ幸いと家に帰り、小指が痛くてプールに入れないと、一度さぼったことがある。
それほど、大嫌いだったのだ。


水に顔をつけられるようになった日

思い返すと、水に顔をつけられるようになったのは、夏のプールの間だったと思う。
プールでは、水に顔をつけるのが怖くて、迷いながらじっとしているうちに体が冷え切っていた。

私は、なぜ自分は顔を水につけることが怖いのか、考えた。
お風呂で、顔を洗うことはできる。
なぜ、顔は洗えるのだ?
お風呂につかりながら、考えた。
水を手ですくって、顔につけることはできる。
どうしてできるのだろうか?
試しに顔を洗ってみると、自分は、ちゃんと息を止めていることに気づいた。
なんだ、息を止めることはできるのだ。
水を顔に近づけるのと、顔を水に近づけるだけの違いではないか。

最初は、お風呂の中に手を浸けて、そこに顔を浸けてみた。そして、手を離したら…
お風呂のお湯に、顔をつけることができた!

潜ることだって同じではないか?。
頭からお湯をかぶるのと、自分からお湯に入っていくのと、息を止めることができれば同じだ。

私は、自分を納得させ、一晩で、水に顔を浸けることと、潜ることができるようになった。

喜び勇んでプールに行って、プールでも水に顔を浸けること、潜ることはできた、浮かぶ、バタ足までもできるようになったが、どうしても水の中で目を開くこと、息を吐くことができるようにならず、私の成長はそこで止まったのだった。


泳げるようになった日

転機は、小学校4年生の時に訪れた。
伯父と、確か父も一緒だったと思うが、Yランドのプールに連れて行ってもらった。
その時に、どうやって教えてもらったか今となっては忘れてしまったのだが、急に泳げるようになった。

その頃は、相変わらず皆に比べれば小さかったが、低学年に比べればしっかりした体つきになっていたので、できないという先入観を払拭しさえすれば大丈夫な段階に来ていたのかもしれない。

とにかく、私は、クロールと平泳ぎでかろうじて25m泳げるようになったのだった。

つづく・・・

長くなったので、続き(本題は)明日=^_^=




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