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「留学して」、英語は身につかない。

「留学して、」って、すごい包括的な言い方だと最近思う。

その「留学して」の言葉の中に、どれだけの変動要因があって、ステップが省略されているのかは、推して知るべしだ。

だからこそ「留学して、思ったより英語が喋れるようにならんかった」とか「留学して、英語めっちゃ喋れるようになった」のように、結論が二極化しがちだと気づいた。


「じゃあ留学をして、どうやったら英語が喋れるようになるの?」っていう具体的なステップに疑問を持たず、そのまま留学に行って、何も考えず帰国する留学生が何人いることだろう。

「留学いく=英語喋れるようになる」という方程式が成り立つためには、複数の「条件」がちゃんと存在しているからだよって言いたい。

そうしない限り「留学して」、英語は身につかない。そう断言できるって、最近思う。


「留学」によって英語が喋れるようになる理由について、多くの人が「留学先に着いて、なんやかんや奮闘して、気づいたら英語ができるようになってる。」と思ってるのではないだろうか?

その「なんやかんや」の仕方で、語学力に差がつくことは理解していても、具体的に何をしていいかわからないから、その時の自分に頑張ってもらおうと将来に委ねる。

私も例に漏れず、その典型例の一つだった。

実際私がその「なんやかんや」に出くわしたとき、結局その時もわからなかった。

「何をしたら良いのか」なんてわからなかったから、明確な「何をしたら不味いか」を考えて、+の行動をするより、ーの行動をしないようにしていた。

例えば、「日本語のYoutubeなんて見てたら不味いよな」とマイナスの行動を減らし、「日本人とつるんでるのなんて言語道断だよな」と付き合いをきっぱりとやめた。

軸にあったのは「どれだけ英語習得において不味い行動をしないか」だった。


これが正しいとか、正しくないということではなくて、

もしあのとき英語について真剣に向き合わなかったとしたら、

「留学行ったのに、英語喋れなかったわ」と言う一人になるところだった。


留学して、英語が喋れるようになったんじゃなくて、

英語に正面から向き合って真剣に考え抜いたから、英語が喋れるようになったんだなって最近本当に思う。

「留学した=英語に真剣に向き合った」じゃ無い。

当たり前のように見えて、実は見落としがちだったなーと思って、備忘録のために書きました。

まとまりのない構成で読み辛いメモ書きでしたが、

それでも読んでくれた方、本当にありがとうございました!





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